【365日のわたしたち。】 2022年4月12日(火)
おじいちゃんの、眼鏡をかける仕草が大好きだった。
右のレンズの淵を掴んで、ゆっくりと耳の上に差し込んでいく。
おじいちゃんの他にも、こういう風にかける人はいるのかもしれないけれど、おじいちゃんのかけ方は、なんというか、風情があった。
まるでジュエリーがショーケースの中にゆっくりと飾られるような、
高級時計が、ライトアップされた台の上に置かれるような、
おじいちゃんの眼鏡の掛け方は、眼鏡が特別なものに見える不思議があった。
おじいちゃんの眼鏡が、金縁だったことも理由の一つかもしれないけれど。
幼い僕は、そんなおじいちゃんの眼鏡の掛け方に憧れて、おもちゃのサングラスを使ってよく真似をしたものだった。
母やおばあちゃんからは、おじいちゃんそっくり!ともてはやされて、調子に乗って何度も何度も見せて回った。
当のおじいちゃんは、
「じいちゃん、そんな風にかけてるのか。気づかんかったわぁ。よく見てるなぁ。」
と大笑いしながら、褒めてくれた。
中学生に上がってすぐ、視力の低下で本当の眼鏡が必要になった。
同級生はコンタクトレンズを選んでいる人がほとんどだったけれど、僕の幼い頃からのあの憧れは衰えることなく、迷いなく眼鏡を選んだ。
そしておじいちゃんが掛けているのとそっくりな、金縁でレンズも大きめの眼鏡を選ぼうとしたのだが、値段の高さを理由に、お母さんから必死で止められた。
店員さんからも「この年代の子にはこちらが人気ですよ」と軽い・柔らかフレームが売りの眼鏡をおすすめされた。
何度も粘ったのだが、結局は母の高い壁は越えられず、僕のファースト眼鏡は、あまり好みではないものとなってしまった。
致し方ない。
それならせめて掛け方くらいはおじいちゃんのものを完コピしよう。
僕は家に帰ってから、何度も眼鏡を掛けては外し、掛けては外しを繰り返した。
母から、余計に目が悪くなるからやめなさい!と怒られた。
こんな風に、僕の眼鏡人生は始まったのだった。
社会人になって、今の奥さんと出会った。
お互いに相性も良く、結婚までとんとん拍子に進んだ。
結婚式の打ち合わせをしている時、プランナーさんが妻に「旦那様のどのようなところに惹かれられたんですか?」と質問した。
えぇ〜...と恥ずかしそうにしながら妻は、
「優しいところですね。穏やかで、一緒に過ごしてて落ち着くところが...」
と答えた。
そしてこう続けたのだった。
「あ、あと、眼鏡の掛け方。あまり周りで見ないような掛け方をしてて。印象的で、なんだかそれも気になるきっかけだったかもしれません。」
妻は私の方を見て、ふふっと笑った。
それまで、妻に眼鏡の掛け方のことなど言われたことはなかったため、驚いた。
「実はおじいちゃんの掛け方に憧れて、それを真似しただけなんだ」とは、その場では恥ずかしくて言えなかった。
僕が30歳を迎えた年に、おじいちゃんは亡くなった。
85歳まで生きたおじいちゃんとは、最後の数年はコロナで会うことができなかった。
生まれたばかりの孫も、オンラインビデオで見せてあげることしかできなかった。
葬式前夜、棺桶に入ったおじいちゃんと少しだけ対面することができた。
棺桶の中のおじいちゃんは、眼鏡を掛けていなかった。
眼鏡を掛けていないおじいちゃんはあまり記憶にない。
だからなのか、なんだか不思議な感じがした。
おじいちゃんの眼鏡はどこに行ったんだろうか。
一緒に火葬してあげるのだろうか。
気になったけれど、今ここでそんなことを聞くのも失礼かも...と、なかなかおばあちゃんに聞くことができなかった。
そして葬式当日、おじいちゃんを無事送り出すことができた。
葬式後の食事会の時、僕は不意に眼鏡を外し、汚れたレンズを拭いて掛け直した。
「おじいちゃん、そっくりだねぇ。眼鏡の掛け方。生き写しみたいだわ。」
おばあちゃんはそう言うと、ポロポロと泣き出した。
「ごめん、ごめん。ちょっとおばあちゃん、感傷的になっちゃって。...そうだ。」
おばあちゃんは鞄の中をゴソゴソとあさり出し、メガネケースを取り出した。
「これ、おじいちゃんが生前にずっと掛けてた眼鏡なの。一緒に燃やしてあげた方がよかったのかもしれないけど、おばあちゃん、おじいちゃんの形見が何か手元に残しておきたくてね。これだけは燃やせなかったのよ。もしかしておじいちゃん、天国でモノがよく見えなくて困ってるかしらね。ふふ。...これ、もしよければ、もらってくれないかしら。きっと、おじいちゃんも、その方が嬉しいんじゃないかと思うのよ。」
そう言って手渡された眼鏡ケースの中には、幼い頃から憧れていた、あの金縁の大きなレンズの眼鏡が入っていた。
あの頃よりは、眼鏡が小さくなったように感じた。
長年使われていたから、ところどころ傷や擦れはあるけれど、金縁はピカピカと光っていて、とても丁寧に使われていたのだな、ということが伝わってきた。
30年近くの時を超えて、僕の手元にあの憧れの眼鏡がやって来た。
今見てもかっこいいし、とても心がときめくけれど、あのおじいちゃんのようにかっこよく掛けこなせるだろうか。
まだまだ僕には早いような気もしたけれど、このタイミングで受け取ったのには、何か意味があるのかもしれない。
そう心のどこかで感じ、お言葉に甘えて、眼鏡をもらうことにした。
葬式から数週間後。
おじいちゃんからもらった眼鏡は、眼鏡屋さんで僕の度数に合ったレンズに入れ替えてもらった。
今どきめずらしいサイズのレンズとのことで、取り寄せで数週間かかってしまった。
「出来上がりました」の一報を受けた僕は、散歩がてら妻と子供と一緒に眼鏡屋さんへ行って来たのだった。
帰り道。
真ん中に子供を置き、両脇に並んだ妻と僕。
「眼鏡、似合ってるね。」と妻は言ってくれた。
俺は黙って頷いた。
金縁の眼鏡に夕日が反射していて、世界がより一層キラキラと輝いて見えた。
おじいちゃんが目にしていた世界はこんな感じだったのかな。
そう、静かに思いを馳せた。
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