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【365日のわたしたち。】 2022年3月30日(水)

主人はいつも通り、ダイニングテーブルの定位置に座り、ズズッとコーヒーを啜った。


彼が定年退職を迎えてから、もうそろそろ一年を迎える。

彼が定年退職を迎える直前は、主人がずっと家にいるということで生まれる変化にビクビクした。

居心地が悪くなったらどうしよう。

もしかしたら、会話がほとんどないかも。

仕事を辞めると、男の人はボケるのが早いと聞くけど...。


長い間お疲れ様という気持ちももちろんある一方で、色々な不安が頭をよぎったのも事実だった。



しかし、そんな心配もこの一年でどこかへ行ってしまった。



彼は仕事を辞めた後も、朝の6時半に起きる習慣は変わらなかった。

そしてきちんと着替えてからリビングに降りてくる。

そのまま玄関の郵便受けに新聞を取りに行き、ダイニングテーブルの席に着く。

私は「おはよう」と声をかけて、コーヒーをテーブルに置く。

「うん、おはよう」
そう返す彼は、いつも通りコーヒーをズズッと啜り、新聞をめくり始める。


もちろん、彼が家にいる時間は圧倒的に増えたし、積極的に家事(風呂掃除や庭の水撒きなど)をするようになったので、家のなかには確実に変化があった。

でもそれら全てが「私が知っている彼」らしくて、特に居心地の悪さは感じなかった。

もちろん、彼の家事に少し注文をつけさせていただくこともあるが。
(水やり時に、水圧で玄関のチューリップを軒並みへし折った時は、流石に怒った)



あぁ、変わったことと言えば、会話の内容もだろうか。

それまでの会話と言えば、ニュースで取り上げられている話題を二人で軽く議論する程度だった。

あるいは家計や老後の相談とか。


彼が仕事を辞めてから、その内容は少しずつ私たちの日常をなぞるものに変わってきた。

「庭の入り口にある、ピンクの花が少し枯れてきたみたいだ」

「スイートピーね。花がら摘みをしなきゃね」

「植え替えるのか?」

「そうじゃなくて。萎んだ花を摘み取ってあげると、また新しい花が咲くようになるの。」

とか、

「あ、この店。この前オープンしたってニュースでやってたな」

「本当?へぇ〜。オムライス美味しそう」

「行ってみるか」

とか。



悪くないな、と思った。

これが、私たちがこの40年間をかけて積み上げていた関係の上に成り立つ居心地の良さなのだとしたら、自分も、そして彼もよくやったな!と思う。


バサッと彼が新聞を捲る音を聴きながら、キッチンで朝食を準備する。


この時間を過ごせる日々が、できるだけ長く長く続けばいいと、願える喜びを静かに噛み締める。




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