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短編41.『五線譜に描かれた断末魔』

*これはジャズ史の傍流に置かれた一幕の物語である。

          *

 ジェイソン・ドーハムは深い混迷の内にあるように見えた。

 ーーー誰も聴いたことの無いような新しい音楽を創設する。

 その言葉を置き土産にバード達の元を離れて早三ヶ月。ニューヨーク・サウスサイドにある自宅スタジオ(といってもアップライトピアノが一つ置いてあるだけなのだが)に籠ったきり、時間だけが過ぎていた。

 床に散らばる手書きの楽譜は数小節書いては破棄されたものばかりが目立つ。斬新なコード進行、印象深いテーマ、革新的リズム。そのどれもそこには無かった。ウィスキーの空瓶、山と積まれた煙草の吸い止し、(見たくはないが)細く輪にされたネクタイと注射器。ジャズメン定番セットとでも云うべきアイテムだけはしっかりと揃っている。天井に貼られた聖母マリアの絵葉書がそれら退廃を微笑みのうちに見守っていた。

 スタジオに呼ばれた私が目にしたのは、それくらいだった。他には誰もいない。椅子に凭れたまま項垂れるドーハムの指先は小刻みに震えている。ピアノすらまともに弾けない状態で私を呼んだ理由を問うと、売人の影が見え隠れするような答えだった。
 とにかくセッションを、と急かす私にドーハムは言った。「金は払う。だからしばらくこのまま」と。勿論、金など無かった。ドル札の全ては血管内に打ち込まれていた。気体、液体問わず打てる限りのものを打ち込み、創造主を呼び覚まそうとしたのだろうが、その目論見は見事に失敗していた。

 私は床に散らばる楽譜を拾い上げ、アップライトピアノの前に座った。数小節書かれては破棄された音符達に形を与える。西洋的な美とは程遠い不協和の響き。神経を逆撫でされるようで不快だ。彼の耳には何が聴こえているのだろう。何を以てすれば、これほどまでに汚い和音(とも呼べないが)を五線譜上に積み重ねられるのか。

 ヘロインで駄目になったジャズメンは幾多見てきたが、ドーハムもその分厚いブックリストの一ページになってしまったことが哀しかった。『ジェイソン・ドーハム/1921〜/モダンジャズ(それはビバップとも呼ばれた)創世記のピアニスト。将来を嘱望されたが、薬物禍によりその才能を枯渇させた/云々』そう遠くない未来、”1921〜”の後に数字が付け足されてしまうことは明白だった。

 ノックの音が聞こえた。そこに隔たりがあることが気に喰わない、そんな類のノックだ。入ってきたのは二人組の男で、二言三言喋ったのちドーハムは連れて行かれた。ドーハムにとって幸運だったのは、男達の胸に付いたものが合衆国から配布された金色のバッヂだったことだろう。どれくらいの期間放り込まれるのかは知らない。ただ、キャバレー・カード(ナイトクラブでの演奏許可証)は取り上げられるだろう。それで良い。

 私はたなびく煙草の煙の行く先に意識を集中させた。隣の部屋から洩れ聞こえる女の苦しげな声も、外の喧騒も、五線譜に描かれた和音には叶わない。例え、演奏されなくても目に入る限り音は流れ出していた。それはジャズマン/ジェイソン・ドーハムの断末魔に他ならなかった。

          *

 彼の死の報に接したのは、それから随分とあとのことだった。(それについては予想外だった)

 その間、何をしていたのかは知らない。バードが死に、モンクが死に、バップを彩った仲間達の死を見届け安心するまでは死ねなかった。ただ、それだけのことだと思う。意地、のようなものか。生命力は太かったらしい。針先への意思力と反比例するように。


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