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【A乳児院⑥】母親は我が子に尋ねました。「あなたはどうやって育ってきたの?」

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。
ご興味を持っていただいた方、ぜひ私の自己紹介もあわせてご覧ください。
前回は、「子育てが苦手な親」に代わって、「子育てが得意なおとな」が子どもを育む仕組みについての思いをお話しました。今回は、少しだけ私の両親のことをお話ししていきます。

親だからといって、だれもが子育てが得意なわけではない。いつまでたっても子育てが苦手で愛情が注げない親もいる。乳児院で保育士として働き、その後、相談員となってさまざまな親子と出会う中で、そう確信しました。

私の両親も、子育てが苦手でした。両親は、子供を支配するかのように「今日は遊びに行かないで家にいろ」「あの子とは付き合うな」と言いました。

父親からは虐待としか言いようのない、ひどい扱いをされました。鼻血が出るまで殴られ、全裸のまま家から閉め出されたこともあります。酒も飲まないのに、家にいるときはいつも暴れていました。

なぜそんな仕打ちをされたのか、理由は覚えていません。ただ、そのとき、強烈な負の感情をぶつけられていたことは鮮明に覚えています。福祉に関する知識を得た今は、それは明らかに虐待だったとわかります。

両親は、娘の抱えていた性の違和感にも向き合いませんでした。私が母親にカミングアウトしたのは26歳のときです。そのとき母親は「中学生のときからわかっていた」と言いました。しかし、母親は、わかっていたのに、受け入れることもなく、明らかに嫌悪していました。

こんなことがありました。中学生のころ、とても仲の良い女の子と自室のベッドで横になって一緒に漫画を読んでいました。その様子を見た母親は、すごい剣幕で「やめなさい!」と言いました。「あの子、嫌いだから、もう連れてこないで!」と。

今思うと、私は、同性の女の子に対して好意を持っていることを、それとなく母親に伝えようとしていたのかもしれません。自分のことを理解してくれるかもという淡い期待があったのでしょう。でも、母親からは完全に拒否されました。

そのとき、母親は、娘が自分の性に対して違和感を持っていることに気がついていたのです。だけど、決して向き合おうとしませんでした。

私の両親は、子どもを育てるという意味ではどうしようもない人でした。子育てがとても苦手な人たちでした。

母親からこう言われたことがあります。
「あなたが、どうやってここまで育ってきたのかわからない」
親から子どもへの言葉だなんて信じられないですよね。でも、それほど、両親は子育てが苦手で、愛情を注げなかったのです。

母と私のこうした関係には、私の弟の死(私が4歳の時に4か月で亡くなりました)が大きくかかわっています。このことについても、私の家族についてお話しするときに詳しく触れたいと思います。

両親とのあいだに愛着を形成することができなかった私は、乳児院で働くまで、自分にこの世に存在する価値があるのか、人の役に立てるのかわかりませんでした。だから、乳児院で子どもたちのために働くことで、初めて自分で自分を認めることができたのだと思います。

両親から認められず、きずなを結ぶこともできなかった私が、なぜ生き続けることができたのか。それは、親以外のおとなの支えがあったからです。子育てが苦手な親に代わって、子育てが得意な人が子どもを支えればよい。そういう考えに至る私の経験を次回、お話しします。

【A乳児院での物語、以下からご覧ください】

【最近の思いをこちらに綴っています】


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