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【A乳児院⑤】苦手な人に代わって、得意な人が子どもを育てる社会に

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。
前回は、「子育てが苦手な親」に代わって「子育てが得意なおとな」が子どもを一緒に育てる社会への思いを語りました。今回も、そんな私の思いをお伝えしていきます。

世の中には、走るのが得意な人もいれば、苦手な人もいます。子育てもそうなのだと思います。リレーの代表選手は足が速い子が務めればいいように、子育ても苦手な人に無理強いするより、得意な人の手を借りたり、あるいは思い切って任せてしまったりした方が、子どもも幸せになれるのではないでしょうか。

一生懸命子どもを育てているシングルマザーが、疲れている時に子どもに泣かれてイライラし、きつく叩いてしまう。彼氏ができてうれしくて、長時間子どもをほったらかして出かけてしまう。どれもあってはならないことです。

では、そうした親は、子どもへの愛情がないのでしょうか。必ずしもそうではないのではないでしょうか。愛情がないというよりも、子育てが下手、自分をコントロールすることが下手、子どもと共同生活を営むのが下手なのではないかと私は思います。どの職場にも人間関係でつまずく人がいるように、子育てにも得意不得意があるのではないでしょうか。

「親だから子育てはできて当たり前」と突き放すのではなく、「親でも子育てが苦手な人がいる」と認めることで、社会は変わるかもしれません。

「子育てが苦手!」「だれか手伝って!」と気軽に言えて、子育てが苦手な親に代わって子育てが得意な人、子育てをしたい人が育てる。ゲイカップルやトランスジェンダーカップルで子育てを望む人たちもいます。きっとめちゃくちゃ愛情を持って育てることができる方々がたくさんいると思います。

子どもに、愛情をうまく注げないなと感じている親は、早く子どもを手放し、愛情を注げる人に代わってもらう。子どもの命を守るという意味では、これも子育ての責任の果たし方なのではないでしょうか。

できないことは無理をしないでいい。できないことはできる人にお願いして、自分ができることをできない人の代わりにやってあげる。そんな社会になれば、人はもっと自分らしく生きることができる。そう考えるようになったのです。

もちろん、乳児院から子どもを外泊で連れて帰る親を見ると、「普段、施設にいるときは自分たちが育てているから、今日くらい頑張って親の務めを果たして!」と思います。親だから頑張ってほしいときはやはりあります。でも、親だからずっと頑張らないといけないというわけではないと思うのです。

「子育ては苦手だから!」と他の人を頼ってよい社会の方が子どもの命を守れるし、親の愛情に恵まれない子も、親以外の大人に支えられて、「生きていれば、いいことがある」と思える社会になるのではないでしょうか。みなさんはどう思いますか?

それから、みなさんにぜひ知ってもらいたいことがあります。日本では、乳児院で過ごした子どもたちは、親元に戻らない限り、4歳ごろまでには児童養護施設に入所することになります。担当の保育士との関係がそこで途切れてしまうのです。保育士が異動・退職すれば、別れの時はもっと早く訪れてしまいます。

保育士との別れで子どもが被る心的なダメージは決して小さくないと言われています。だから、欧米のように、日本でも里親制度を利用する人たちがもっと増えて、産みの親ではない育ての親が、子どもたちを各家庭で育てていくようになればいいなと思っています。

「子育てがじょうずな人が子どもを育てればいい」という考えは、実は私自身の幼少時代の体験に根ざしたものでもあります。私の両親がまさに「子育てが下手」な親だったからです。

次回は、乳児院時代の話から時間を遡って、親との関係について少しお話ししたいと思います。

【A乳児院の物語1話からぜひご覧ください】

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