見出し画像

【子ども時代のちーちゃん⑧】初めてのカミングアウト

このnoteでは、LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。
幼少期から思春期を経て、自立の時を迎える中で次第に大きくなっていく心と体の性の違和感。前回に引き続き、女性に対する恋心への戸惑いについて振り返っていきます。(私の自己紹介はこちらです。)

高校1年生の時はやんちゃな子たちのグループに入って、賑やかな子たちといつも一緒にいた私は、高校2年生のクラス替えを機に、それなりに賑やかだけどあまり他人に干渉しない子たちのグループに入ることになりました。

高校生の頃は、どんなグループでどんな子たちと一緒に過ごすかで、毎日の生活が大きく変わります。私も、1年生と2年生とでは人づき合いも、毎日の様子もずいぶん変わりました。

画像1

(高校時代の私)

ただ、そんな高校生活の中で、私にとって、ずっと変わらない存在の子がいました。C子です。

C子は、高校1年生の時だけ同じクラスでした。私が入っていたやんちゃな子たちのグループとは違うグループにいた子でしたので、C子と特に仲がよかったというわけではありませんでした。2年生になってクラスが別になったら、そのまま疎遠になってもおかしくないような関係でした。

でも、なぜかC子とは、1年生の時も、そして2年生、3年生になってからも、たまに一緒に帰ったり、遊んだりしていました。

中学生の時に好きだったA子や、高校1年生の時に好きだったB子と違ったのは、C子が私と会っていないときに、どこで、だれと、何をしているか全く気にならなかったことです。一緒に帰る約束をしていたのに別の予定が入って一緒に帰れなくなったときには「ごめん、きょう無理!」とお互いに気軽に言える間柄でした。それどころか、私が「えー! なんで! 一緒に帰ろうよ!」とふざけて言うと、C子は「もう! しつこいよ!」と少し怒った顔も見せるくらいでした。そんなことで仲が壊れることがない関係でした。

ほかの友達との関係のことで悩んだ時には、C子に話を聞いてもらいました。尊重し合える、何かあったときにお互いに相談ができる、そんな存在だと思っていました。そうしたC子との関係は高校生活が終わるまで続きました。

私は、C子を「女性」として好きになったことはありませんでした。C子は私にとって友達でした。

だから、卒業式が近づくにつれて、私はC子に自分のことをもっと知ってもらいたいと思うようになりました。

ほかの女の子たちに「ちーは、女の子が好きなんでしょ!」「レズでしょ!」と言われるたびに「違うよ!」と否定してきたけど、本当は女の子が好だということ。ただ、その「好き」という気持ちは、女の子として女の子が好きなのではないように思うこと。自分の心は男の子なのだと思っていること。だから「レズだ」と言われるのがつらかったこと。

高校を卒業するとき、C子だけには知ってもらいたいと思い、手紙を書きました。そして、卒業式を間近に控えたある日、学校からの帰り道、C子に渡しました。「この手紙は、とっても大事なものだから、絶対に落としたらダメだよ!」。

私は真面目な口調でしたが、きっとC子は、よくある女の子同士の手紙のやりとりで、何か冗談でも書いているのだろうと思ったはずです。

C子からの返事はすぐに来ました。C子も私に手紙を書いてくれたのです。C子からの言葉は、次回お話しします。

※【レズ】【ホモ】といった言葉は、嘲笑の対象として、差別的な文脈で使われてきました。そのため、現在は、【レズビアン】【ホモセクシャル】という言葉が使われています。しかし今回は、子どもの頃の日常的なやりとりの様子がそのまま伝わるように、あえて【レズ】という言葉を使いました。

【これまでの物語もマガジンでお読みいただけます】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?