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【児童発達支援センターB園11】心と体の性の不一致を抱えた私を受け容れてくれたB園の先生たち

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
前回に引き続き、児童発達支援センターB園についてお話します。ここで私は、性同一性障害であることをはじめてカミングアウトしました。
★★これまでのB園の物語はこちらのマガジンからご覧いただけます★★

短大を卒業してすぐに勤務した乳児院は、女性の保育士ばかりでした。しかし、26歳のときに異動した児童発達支援センターB園では、保育士の3割くらいは男性でした(ここでの女性、男性は戸籍上の性別を表現しています)。

当時、私は、女性としてこの世に生まれたけれど、自分の心と体の違和感に悩んでいました。力仕事で「男の先生、お願い!」と誰かが声を上げたときは、「自分は行かない方がいいよね…」と考えてしまいましたし、男女別の更衣室やトイレを使うたびに「どっちに入るの?」と尋ねられているような気がしました。

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(児童発達支援センターB園時代の私です)

ただ、そうした、身体的性別と性自認が一致しない違和感は、人に知られてはいけないことだと思って、ずっと秘密にしていました。

B園では、仕事の中で、自分の心と体の違和感に苦しむ場面はたくさんありましたが、人間関係にはとても恵まれていました。私は、普段、「ナベシャツ(乳房がめだたないように工夫されたシャツ)」を着ていましたが、女性の同僚から「ブラジャーしないの?」などと言われたことは一度もありません。子どもたちをプールに入れるときは、私は男性用の短パン水着にラッシュガードという姿でしたが、それについても理由を尋ねられることはありませんでした。

その頃はまだ、性同一性障害について、今ほど知られていませんでしたし、そもそも同僚の保育士たちは、私の見た目なんてどうでもよかったのでしょう。子どもたちを安全に、楽しくプールに入れられるのであれば!

ただ、園長先生だけは、私の振る舞いを厳しい目で見ていました。当時、私は、自分のことをみんなの前で「ボク」「オレ」と言いたいなと思っていました。でも、まだそれはできなかったので「自分は」「自分が」とよく言っていました。そのたびに園長先生は「私は、でしょ!」と私を注意しました。ドタバタと音を立てて廊下を歩いている私を、「もっと静かに歩きなさい!」と叱ることもよくありました。

ただ、それは、男性らしさ、女性らしさということを押しつけようとしているわけではないことは私もわかっていました。社会人としての振る舞い、子どもたちや保護者に信頼してもらえるようなプロとしての振る舞いを園長先生は求めていたのです。

実母が離婚して私と離れて暮らしていたこともあり、園長先生は私にとって、もう1人のお母さんでした。振る舞いには厳しかったけれど、なんでも相談できました。母のように甘えさせてもらったと思います。

そんなふうに安心できる人間関係があったからでしょう。私は、B園で、初めて同僚に「カミングアウト」をしました。同僚と旅行中、ふとしたタイミングで、こう打ち明けました。

「実は、今、付き合っている人がいるんですけど、その人、女性なんです自分は、自分のことを男だと思っていて……だから自分は、男としてその女性が好きなんです。自分としては、性転換手術を受けて性別も変更しようって決めてます」

同僚は驚くでもなく「そうだろうなと思っていた」と私に言い、こう続けました。「わざわざ言わなくてもよかったんだけど、でも、言ってくれてありがとう。あなた自身の口で言ってもらえたことがうれしいよ」と。

自らカミングアウトするときも、「私は私だ。この人にどう受け止められても構わない」と平常心のときもあれば、「もし拒絶されたらどうしよう」と心臓が口から飛び出るくらいに緊張するときもあります。ちなみに、奥さん(私は既婚者です)にカミングアウトするときは、心臓が破裂するくらい緊張しました。

また、尊敬する女性の先輩とお酒を飲んだ帰りの電車の中で、「あなた、性同一性障害でしょ?」と言われたことがあります。この時、私は、突然のことにただ笑うしかありませんでしたが、内心は「ああ、この人は私のことを分かってくれている」という安心感で気持ちが楽になっていました。

LGBTQ当事者が、自分のことを「誰に、いつ、どんなふうに」説明するのかは、その人が決めるものです。実はそれまでも、何度か同じように指摘された経験がありましたが、「自分の大切な秘密を、なぜあなたに明かさないといけないの?」と嫌悪感しかなかったのが正直なところです。しかし、この尊敬する女性の先輩のときに感じたのは、嫌悪感ではなく、安心感だったのです。これまでの人生で初めての感覚に、自分自身が一番驚いたのを今でも覚えています。

B園に勤める中で、LGBTQの当事者としての私の生き方、考え方も大きく変わっていきます。次回は、自分以外のLGBTQ当事者との初めての出会いについてお話しします。

【これまでの「児童発達支援センターB園」の物語はこちらから】

【前シーズン「A乳児院」の物語も是非ご覧ください】

※私が「障害」を「障がい」と記さない理由は、こちらをご覧ください。


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