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【子ども時代のちいちゃん①】かわいいフランス人形は男の子?

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
今回から、時間を大きく遡って、「ちいちゃん」という1人の女の子の成長を振り返ります。幼少期から思春期を経て自立の時を迎える中で次第に大きくなっていく心と体の性の違和感についてお話しします。

31歳のとき、私は性別適合手術を受け、身体を心の性(男性の性)に近づけました。そして今、私の戸籍には「長男」と記されています。しかし、生まれてから31歳まで、私の戸籍には「長女」と記されていました。

私の家族は、父と母、6歳離れた弟で、ここに加えて幼児期までは叔父、小学生になるまでは父方の祖父母も同居していました。

私は家族や近所の人たちに「ちいちゃん」と呼ばれ、とてもかわいがられました。とくに母親は、私のことを「私のかわいいフランス人形ちゃん」と呼び、愛情を注いでくれました。母親は、私にフリルのついた洋服を着せるのが大好きで、よく私の髪をブラシで整えてくれました。

母親は、大手化粧品会社の美容部員で、子どもの私から見てもすごく美人で、自慢の母でした。母親は仕事が忙しく、家を空けていることが多かったので、母親の帰宅を待つ時間、とても寂しかったことを今も覚えています。だから、大好きな母親が私のために用意してくれた服を着るのは当たり前のことでしたし、フランス人形のようなフリルのついた洋服を着ることにも何の抵抗感もありませんでした。

ただ、幼稚園の年長クラスに入ったころから、少しずつ、女の子っぽい服を避けて、男の子が着るような活動的な服を好むようになりました。男の子たちが着ている、ヒーローもののキャラクターがプリントされたシャツを見て「いいなあ。私も着たいなあ」と思ったことも憶えています。また、そのころから、女の子と遊ぶより、男の子と遊ぶ方が楽しいと感じるようになりました。女の子と一緒にお人形遊びをしたりすることは、あまり得意ではなかったような気がします。

自分の身体的な性別と、自分の性自認が一致しないことに初めて気づいたのは、幼稚園の時でした。私は「女の子」に初恋をしたのです。小さいながらも、「女の子の自分が、女の子を好きになるなんて、変だな」と思ったことを憶えています。

今思えば、女の子の自分が女の子を好きになるということは、「性的指向が同性である」ととらえることもできるのですが、幼い私はそうは考えず、このように理解しました。「そっか!女の子を好きになるってことは、ちいちゃんは男の子なんだ!」と。

ただ、その時の「自分は男の子だ」という気づきが、「自分の性に対する違和感」として心に深く刻まれるようなことはありませんでした。トランスジェンダーの当事者の中には、小さい頃から自分の心の性と身体の性の不一致を感じとり、違和感を抱き続ける人もいます。しかし、幼稚園の頃の私は、そうした「違和感」を感じたことはありませんでした。

そもそも、「私は、身体は女性だけど、心は男性なのだ」と確信するのは、ずっと後、20代になって、自分以外のトランスジェンダーの当事者に出会い、GID外来(GIDはGender Identity Disorderの略。性同一性障害のこと)の受診にたどりついてからです。それまでは、自分は何者なのか、わかりませんでした。そして、自分が何者かがわからないからこそ、思春期を迎える頃に感じるようになった「同性への思い」に時に戸惑うことになります。

ともかく、幼稚園、そして小学校低学年の頃までの私は、周りから見れば「普通」の女の子だったと思います。幼稚園の時、好きな男の子が乗った園バスを追いかけて迷子になり、警察沙汰になったこともありましたが、そのときの「好き」という感情が、あこがれだったのか、「女の子としての好き」だったのか今はわかりません。もしかすると、私の性自認は、発達の過程で、男の子と女の子のあいだを行ったり来たりしていたのかもしれません。

そんな私が「男の子になろう」と小さな決意をする出来事が、小学校4年生にときにありました。私が密かに「青い靴事件」と呼んでいる出来事を、次回、お話しします。

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