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【性別適合手術と妻へのプロポーズ7】「胸オペ」の夜、私はプロポーズを決意した

このnoteでは、LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。自己紹介はこちらからご覧ください。
自分は男性だと思いながらも、一体何者かわからずに生きてきた私。戸籍も男性として生きていくと決め、私はついに性別適合手術を受けることを決意します。今回は、乳腺・乳房切除手術である胸オペについてお伝えします。
(本シリーズはこちらから)

※この記事では手術後の写真が含まれます。苦手な方はご注意ください。

29歳の時、児童発達支援および放課後等デイサービスを行うNPO法人に入職しました。そのNPO法人では、障害児(者)やその家族が、適切な支援を受けるためのサポートをする児童発達支援管理責任者および相談支援専門員として働きました。その後、私はこのNPO法人で10年近く働くことになります。そして、その間に、性別適合手術を受け、男性として妻へプロポーズをします。

29歳 NPO法人入職
31歳 乳腺・乳房切除手術
32歳 子宮・卵巣摘出手術→戸籍の性別変更→プロポーズ
という流れです。

NPO法人では理事長が私のことをとても気にかけ、「貯金できているの?」といつも声をかけてくれました。そのおかげで、2年間である程度お金を貯めることができたのです。そこで私はまず乳腺・乳房の切除、いわゆる「胸オペ」をすることにしました。

お金が貯まったら、まずは、外見上の女性らしさの1つである乳房を取ろうとずっと考えていました。確かに生理になると、女性器である子宮や卵巣の存在を意識しますが、普段の生活で気になっていたのはやはり乳房でした。Tシャツ1枚でいても女性に見えない姿にあこがれていました。

※この後、手術後の写真がございます※


私の場合、「胸オペ」は美容形成外科クリニックで、日帰りで受けました。術後は、乳腺を除去した後にできた空洞に血液が貯まってしまわないように、体液を外に逃がすドレーンを付けたまま帰宅しなければならなかったので、私は当時付き合っていた彼女で、かつ、その後私の妻となる女性に付き添いをお願いしました。

胸オペ直後の様子
体液を外に逃がすドレーン


そして、術後当日は、出血が止まらないなどの万一の事態が起きたときのことを考え、クリニックから徒歩5分ほどのホテルに宿泊することにしました。

「胸オペ」の日が迫るにつれて、楽しみだけではなく、不安も大きくなってきました。特に術後の傷がどれくらい残るかは気になりました。せっかく胸を取るのだから傷を残したくないなと思っていました。

手術は静脈麻酔で行われました。手術時間はおよそ3時間で、目が覚めたら病室のベッドの上……のはずでしたが、なんと私は、胸オペの最中に麻酔から覚めてしまったのです。どこから遠くから「ウイィーーーン」と掃除機をかけているような音が聞こえるな…と思った次の瞬間、自分が手術台の上で乳房の脂肪を吸引されていることに気がつきました。

私が「先生、目が覚めちゃいました」と言うと、医師は「もうちょっとだから我慢してくださいねー」と答えました。私は狭くて暗いところが苦手なのに、手術台の上で動かないように固定され、しかも顔に布をかぶせられているのでだんだん不安になってきました。医師にお願いして布を外してもらい、それから何分間か、天井を見ながら手術を受け続けました。時々医師は「痛い?」と聞いてくれるので、「大丈夫です」「あ、ちょっと痛い気がする」と返事をしました。

その日、ホテルでは一晩中熱が出ました。妻となるその女性はずっと私を看病してくれました。彼女は看護師でしたので、縫合した箇所のガーゼもてきぱきと交換します。そして、私が「痛いよ」「傷跡は残らないかな」などと弱音を吐いても、「これくらいの傷で騒ぐんじゃないの」「ドレーンに貯まっている血も汚れていないから問題ないよ」と淡々とした対応でした。私は彼女のそうした態度を頼りがいのあるものだと感じ、「やっぱりこの人が大好きだ!この人と結婚しよう!」と強く決意しました。

彼女へのプロポーズ、そして結婚についてもこの後お話ししていきます。大好きな彼女との結婚をずっと望んできた私と同様、彼女も私との結婚を強く望んでいたか、というと実は少し違いました。彼女はトランスジェンダーである私をどのように受け止めたのか、その考えを、できるだけ彼女の生の声でみなさんに聞いていただきたいと思います。

でも、その前に、もう少しだけ私が身体を男性に近づけていく過程についてお話しさせてください。次回は、子宮・卵巣摘出手術、性別適合手術についてお話しします。

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