見出し画像

この現象に名前をつけたい


春休みがもう終わるのに春休み課題が未完という始末に目を向けられなくて、ブックオフに掘り出し物を探すために足を動かした。最後の春休みの使い方は、好きを詰め込んだ。映画を観た後にブックオフで宝の山からときめいた本を探す、なんと至福なスケジュール。



普段は、本屋さんで新品本を買うけど、気分を変えてみるためにブックオフへ行くことを決めた。特に買うものを定めることなく、軽快な足取りで向かった。本の山が宝の山にしか見えなかったのは私だけだろうか。
ここにある本たちは一度誰かの手元に渡って、ここにある理由はともあれ作品を人の手に届けるという使命を果たし終わってる。何かの縁で、もう一度誰かの手に渡るその繋がりの連鎖という素敵な仕組みを作った人に頭が上がらない。



店内をナマケモノも驚くのろさでじっくり見定めていると、村上春樹ゾーンを見つけた。本を読むのは好きだけど、著者や話の系統にどうしてもばらつきがでてしまう。
私は未だに村上春樹には手を出したことがなかった。



そういえば、留学先で本が好きという共通項で意気投合した男の子から村上春樹をおすすめしてもらったのを思い出した。確か、小説も良いけどエッセイがおすすめだとか。私からは、今村夏子の『むらさきのスカートの女』と村田沙耶香の『コンビニ人間』、朝井リョウの『時をかけるゆとり』などをおすすめした。私の周りには本好きが少なく、本をおすすめし合うことができることに、片思いの人に話しかけられたときのような興奮と緊張を覚えた。



ゾーンをじっくり眺めていると、村上春樹のエッセイである『走ることについて語るときに僕の語ること』を見つけた。値段は定価の半額。しかも、彼が指名しておすすめしてくれたエッセイだった。買うという選択肢以外ありえず、すぐに手に取った。まさに、お宝を見つけたトレジャーハンターの気分だった。



こういうとき、「前におすすめしてくれた本買ったよ」と相手に連絡をしたいものだ。だけど私は、彼と一切の連絡先を交換せずにさよならしてしまった。買ったよ報告することもできなければ、読み終えた感想を伝えることもできない。
なんの物理的な繋がりも持ってない私たちは、絶対に読んでみてねという強制力のない約束事みたいなものだけで繋がっている感覚。



私は、初恋みたいに淡く切ないのだけれど、つながりをしっかり感じることのできるあたたかさのある、この現象に名前を付けたい。



興奮と緊張を覚えたあの心の揺らぎは、
恋なのか、吊り橋効果のようなものなのか。
"もう一度"がない今はもう、後の祭り。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?