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優情

私は交友関係に無頓着なのかもしれない


同級生や同世代、
年下やグッと年上の人

出会う人すべてに分け隔てなく接しているつもりだ。


ただ、ふと思うこともある


たまに会い、
同じ目的地に行き
同じ体験をしても

そこに行き着くまで語らう時に

ある人とは時間を忘れられ、

ある人とはその時間さえも長く感じたり

今しなきゃいけない話なんだろうか?

とか

今日は目的が語らいでもいいな

とか 俯瞰でもう一人の自分が批評している

ずっと自分はそんな端的な切り捨てた関係を評価したくない
って思っていたのに

あるときから
もうひとりの自分が顔を出す


1日が24時間しかなくて
あなたに会うのにも互いに限られた間にしかいれないのに

こうやって相手を自分にとって
どんな存在なんだろうと考えてしまう


よく
気の合う人間だと
無言が苦にならない

と言われるが、
『苦にならない』と思っているのは

自分からみた相手
なのか?


『苦』とは

無に対する対価なのか


話していても
『共感』とゆう対価が

マイナス面の共感
だと 時間が経過する度に
疲労し、

次に会う間隔を空けてゆく


それなのに
また今日会った時

あなたの近況や悩みを聞くと

辛いはずの気持ちを
自分のなかに溜め込んで

『この人は今こんなに大変なんだ…
心配だな、大丈夫かな』

と共感させる


これが不思議な交友のつながりで


『ともだち』とはなんなのか

とても考えて
結局 いつもどおり

予定を見つけては出会ってしまう

私はなにか間違っているのか…?



2020年7月28日作

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