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茶ノ湯の掛物;014 力囲希咄

力囲希咄
りきいきとつ

前回に引き続き、、、
こちらは利休さんの辞世の句として有名です。

人生七十
力囲希咄
吾這宝剱
祖仏共殺
提ル我得具足の一太刀
今此時そ天に抛

これは千利休が自刃するに際し、天正19年(1591)2月25日にしたためた辞世の偈だと伝わっています。

何とも、、、
穏やかではありません、、、

「力囲希咄」
は以前まとめました「喝」に近い語であると解釈できそうです。

途轍もない、言葉にならぬ想い、
そういうものを、
この一喝に込めてあるのかもしれません。

70歳近くの利休さんが残した、この境涯。
理解することなど、到底叶わないと思いますが、
理解したいと、どういうことを示しているのか、
そういうことを追求することから、
逃げてはいけないと、あらためて、思います。

そして、この句には、元となるものがあるようです。

「雲門広録」のうちに
「咄咄咄力囲希」という語が登場します。

「雲門広録」とは?
雲門文偃の語録です。中国、唐末五代の禅僧。雲門宗の開祖。蘇州嘉興の人。韶州の雲門山に住み、独特の宗風をつくった。著「雲門広録」「雲門語録」。

そしてしばしば、元になったと言われるのがこちら、、、

蜀の成都の幹利休の偈頌
人生七十力口希 肉痩骨枯気未微 這裏咄提王宝剣 露呈仏祖殺機


語を引用したのであれば、やはりそこにも何かの意味があるように感じてしまします。

遺偈をあえて引用にしたことで、
何か素晴らしい遺偈を創出するよりも、
最も大切なことを、その箱に入れたような気がします。
そのための引用だと思うのです。

茶の世界でしばしばいわれるのは、
あの場面で、利休さんが権力に屈し、
除命嘆願をすれば、利休さんは生きながらえたと思うが
茶の湯は500年続かなかったであろうということです。

「茶に命をかけられるか」

そういう時代じゃないかもしれませんが、
こういう問いが脳裏から離れることはありません。。。

今回も取り留めのない話にお付き合いくださり
ありがとうございます。
幹利休という人物についてはよくわかりませんでした、、、
もう少し調べてみます!

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