列/中村文則
中村文則さんのやつ、やっと読みめましたよ!っと。
読んでない人は、この本の情報を全く入れずに読んで欲しいなぁーと思います。
いんやーーーーー、めちゃくちゃ面白かったです(´・ω・`)
ということで目次ッ!
純文学とその他のジャンルについて
純文学ってよくいうけど定義がされていませんよね。なのにも関わらず、この作者は純文学の人。この作者は、エンタメの人って分け方をされるわけです。
とても不思議な事だと思いませんか?
自分はちょこっと居心地の悪さを感じてしまいます。
例えば、僕はお父さんをやってるんですが、お父さんって、大体の人がしっかり定義づけできると思うんですよ。
しかし、純文学に至っては、お父さんではない人ではない人、またはそれに類するものの総称。みたいな抽象的なものを抽象的に表現したような感じ。
ね、居心地悪くないですか?w
でも人生ってそうだよね
でも、よくよく考えてみると、人生ってほとんどのものがそうですよね🤔物心ついた時には、もう全てがはじまっていて、動いてしまっている。
その動きの中で、社会のルールも徐々に分かった風に行動していくしかない。
これはそういうもん!って、自分に言い聞かせながら、生きていく。しかも、1人1人の納得なんて必要とされてないんですよね。
列を読んでいて、自分の人生観これに近いかも!って思ったんです。
人生を道ではなく列としたところが斬新だった
人生って容赦ない。
産まれた瞬間に死ぬ事が決まっているって容赦が無さすぎると思うんですよ笑 よく生きるとかよく死ぬとか、ごちゃごちゃ言ったところで結局死ぬ訳で。まーほんと容赦ない。
産まれたお家によって、並ばされてる列があって、成長して、違う道を選ぶにしても、そこにはもう列ができていて。抜け道や近道にも、実は列ができてる。
人生を道ではなく列としたのは斬新だったし、酷く納得いたしました🤔
ちゅっちゅシーンは必要だったのか
主人公は、列に並んでる前の女性とちゅっちゅします。あれは、必要だったんでしょうか。
人生には出会いと別れがセットで、別れを描くためには出会いが必要で、別れの葛藤が必要な場合にストーリーが必要なのは分かる。でもどうかしら。
蟹の人みたいにパッパッで良かったように思いました。
今どの列に並んでるのか
そういえば、今俺はどこのなんの列に並んでるんだっけ?って思いました(´・ω・`)
この列で良かったんだっけ?とも。
いままで列に並んでると意識してなかったんですが、列に並んでいると意識した瞬間列が見えたような気がします。
今まで、自分の世界観は上下だけだったんです。
人の人生の上に薄い紙を敷いてそこをなぞっていくような、絵でいうとトレースしているような、そんなレイヤー構造をイメージしていたんですが、ここへきて、横軸が自分の中で導入されました。
なるほど、世界は複雑ですw
まとめ どう生きていくか
今いる世界は僕だけの意識では変えることが出来ません。縦軸だけの世界観で生きてきて、途中で横軸を発見したからってそれがなんだ!ってことですわね。
だけど、だけど、も!この世界全体の人間が、一人の力ではどうにもならないんだから、放っておこうって思うのも間違ってるのかもなぁーと。
もうちょい、色んなことに対して、もがいてみるのもアリかもなーって思いました。
ところで、純文学ってなんなんですかね(´・ω・`)?
あざました!
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