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諦めるのは、現実を理解すること

諦めるとは、とても見込みがない、仕方がないと思い切る。断念する。
と辞書にはあります。

諦めの気持ちと言うのは、何だかマイナスのように捉えられる事が多いですが、諦めて正しい場合も時にはあります。

例えば、パチンコに行って、たくさんお金を入れても当らない。
そこで「この台は当たらないな」と悟る。

どんな例えなんだと突っ込まれそうでありますが、これ以上お金が減らないという意味ではこの判断、諦めるのは正しかったりもします。

そんな諦めると言う言葉ですが、あれこれ話を掘り下げてみると、仏教のお話だと諦めるのはそれほどマイナスのイメージが出てこないのも不思議だなって思うのです。

下の文章は、諦めるの話について、あまりにも見事なまとめ方だったので引用したのですが、私が言いたいのはここなのですよ。

「諦」は仏教で「真理、道理」の意味があるそうです。本来「諦める」とは、「真理、道理を明らかにする過程で、自分の願望が達成できそうにない理由が分かり、納得してそれへの思いを断ち切る」というポジティブなものなのです。何かを「諦める」ために大切なことは、そこに至るまでのプロセスであると私は思っています。

「諦める」ために研究する【重松 恵梨】

例えば、こんな将来の夢の話があったとします。

自分は音楽がしたい。
でも、それだけでは食べていけない。
だから、音楽一本は諦めて仕事をしつつ音楽をする。

ざっくりした例えですが、この話って、「それだけでは食べていけない」で現実を直視し、「仕事をしつつ音楽をする」と言う形を選んでいるのです。

ちなみに、「音楽」を「占い」に変えてみましょう。

自分は占いがしたい。
でも、それだけでは食べていけない。
だから、占い一本は諦めて仕事をしつつ占いをする。

むむ。誰かの話になりましたね。私は専業では占いはしません!
これについては、また今度書きます。

それはさておき、現実を知る事って、それは世知辛いことです。
「理想で上手くいけばいいな」と言うことに対して、現実を見ると多くの厳しい状況を突きつける形になりますので、それは正直嬉しくないことだったりします。

ただ、現実を知ることは今を改善するための一歩ですし、何かを諦めたり捨てたりする一歩になるのです。

理想や夢を語ったり、思いにふけるのは良いのですが、大切なのは今ですから、今をきちんとわかるようにしておきましょう。

そのために、目標や目的の話が、諦めの話には欠かせないのです。
なぜなら、諦めるのには、目標や目的があるから。

目標や目的があるのは、とてもいいこと。
ただ、その目的や目標が漠然としていることもあります。

「目標に対して、現状はここ」と言うのを理解せずに走ると、到達までに時間が掛かりますし、今の目標が現実的ではないこともあります。

なので、本当に目標や目的が正しいのかを、たまに考えてみましょう。

私も占い師さんの立場として、相談者様の願望がうまく行って欲しいと願いつつも現実を突きつける役割がありますので、この役割を果たさなければと言う気持ちを優先してお伝えをしています。

最後に、諦めた時のお話。
諦めたことを、自分で自分を納得させることも大切です。

「これをするから、これはしない。諦める」と言う形で、取捨選択を判断する場面ってたくさんあります。

自分の選択が本当に正しいのか、迷うこともあります。
迷うのは、人なんだからそんなもの。

例え迷ったとしても、自分が納得すれば前に進めるのです。
最後は自分を信じても良いんじゃないかなって思います。

だって、これだけ大変な状況の中で何とか生きてきたのですから。

それだけ実は経験をみんな積んでいるのですよ。
それでもやっぱり不安だ、と言うなら、また私のところに相談に来て下さればって思います。

諦めるのは、決してマイナスではないこと。
現実を見る事を忘れないこと。
目標や目的が正しいのかを確認すること。
諦めたことを、自分自身で納得すること。
困ったらtarosuさんに相談すること。

私への相談はどちらでも構いませんが、諦めることで大切な事を最後にまとめてみました。

最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

ちなみに、11月末か12月の初めに都内に入ります。
どこかで占いの時間を作りますので、お楽しみに。

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