第9話 他愛もない放課後
※作中に出てくる『山頂至りて大海を望む』という本は実在しません。この作品の中だけの存在です、ご注意ください
1
放課後、探偵部の部室に部員が皆集まった。珍しいことだ、俺が入ってから2回目か。依頼は無かったので良識の範囲内で、各々好きなことをやっている。俺の対面で姉貴と早苗が何やら話している。会話の内容はイヤホンをしているため聞こえないが、なごやかな表情をしていた。
隣に座るトーシローはノートと古典の教科書を広げ、教科書を睨みつけている。右手でシャーペンをくるくると回し、左ひじを机につき顔を支えていた。集中力が切れているのは明らかだった。俺は目線を手元の本に戻す。さて、どこまで解いたか。目の前の芸術作品は解かれることを待っていた。
トントン。右肩に小さな衝撃が。そちらを見るとトーシローがこちらを見ていた。俺はイヤホンを外しケースにしまう。
「どうした?」
「いや、何を読んでるか気になったからさ。『詰パラ』か、相変わらず勉強熱心だね」
「勉強じゃない、芸術鑑賞だ」詰将棋は芸術だ、何故分からない?
トーシローはこちらを見て小さく笑った。
「あ~、疲れた」
トーシローはそう言うとノート、教科書等をカバンにしまう。
「今ひま?」しまい終わるとこちらを見て言う。
「忙しそうに見えるか?」
「全然」とトーシローは言う。「じゃあ、他愛のない話をしない?」
「他愛のない話の定義は?」俺は訊いた。定義は重要だ。トーシローは小さくうなる。
「難しいことを聞くね。そうだな、目的の無い会話なんてどうだい」
「なるほど」一見よさそうな定義だ、だが…
「だがそうすると、目的の無い会話をしようとする目的が生じる。その定義だと自己言及のパラドックスが生じる。張り紙禁止の張り紙と同じだ」
俺は指摘した。トーシローはまた考えこむ。
「分かった。じゃあ、くだらない話っていうのはどう」
「誰にとって?」
「それはもちろん僕たちだよ」
「当人たちがくだらないと思っているなら、そもそも会話は生じない。それにくだらないという感情は事象の後に発現するものだ。聞く前から聞き手がくだらないなんて感情は持たない。つまりその定義もあまり適切ではない」
「じゃあ、夏樹の思う“他愛のない話”の適切な定義は?」
トーシローは俺をじっと見る。俺は一瞬考え、そして止めた。
「さあ、分からん」面倒だ、というか意欲が出ない。
「分からないって…」トーシローは虚を突かれたか、少しポカンとした表情を見せた。
「だが一つだけはっきりしているのは、他愛のない話について論じているこの会話自体が俺からすれば他愛のない会話だ」
なんだかデカルトみたいだ。『われ思う故に我あり』意外とこんな感じで生まれたのかもしれない。俺は小さくほくそ笑んだ。
2
結局“他愛のない話”議論は俺の一言で終結した。
「トーシローはDHMOについて知っているか?」俺は話を振る。トーシローは首を横に振った。
「そうか、ならちょうどいい。DHMOっていうのは化合物の名前なんだが今話題になっててな。規制するべきか否かで揉めている、トーシローの意見が聞きたい」
「へぇ~、そうなんだ。詳しく教えてよ」
「ああ。もちろん」
俺はDHMOの特性と使用例を説明した。
「それは規制するべきだよ」と一通り説明し終わるとすぐに声が飛んだ、だがそれはトーシローの声ではなかった。俺は声の主の顔を見る。
「早苗さんは規制に賛成なんだ」俺は言うと、早苗はコクリと肯いた。どうやら会話を聞いていたようだ。
「僕も規制に賛成かな」トーシローがゆっくり言う。俺は小さくほくそ笑む。よしよし
「小林さんはどう思います?」とトーシロー。いつの間にか部員全員を巻き込んだ話になっている。姉貴を見ると頬に微笑を浮かべていた。
「そうだね、砂川君… う~ん、私は規制には反対かな」と言うと俺と目が合った。姉貴はこのネタを知っていたのか。残念がる俺とは別で、早苗とトーシローは不思議がった。
「「どうしてです」」二人の声がかぶる。
「だってDHMOっていうのは…」
コンコンコン
ノックする音が響いた。
「は~い」姉貴は立ち上がり戸を引く。そこにはリュックを背負った女子生徒が立っている。黒っぽい眼鏡を掛けている、身長は小柄で中学生と間違えそうだ。
「どうも」と女子生徒はぺこりと頭を下げる。
「何か相談ですか?」姉貴は柔らかい声で言う。
「はい、突然ですいません。め、迷惑でしたか?」女子生徒は勝手に慌てだした。
「いいえ、全然。中にどうぞ」と姉貴は女子生徒を部室の中へ誘った。
3
女子生徒はパイプ椅子に座り落ち着くと身元を明かした。一年の杉本ひかりと名乗った。
「皆さんにはある本を探すのを手伝って欲しいです」と俯きながら言う。
「詳しくお願いします」と姉貴。
「はい。私がその本の存在を知ったのは、中学3年生の時です。私、S中出身ですがS中では夏休みの課題として読書感想文または生活作文の提出が求められます。それで優秀な作文には賞が与えられ学内のチラシにその本と感想文、受賞者のコメントが掲載されることになっています。私が探している本は去年優秀賞を取るはずだった本です」
はぁ、思わず声が小さく漏れた。杉本の依頼内容がイマイチうまく呑み込めない。周りを見たが杉本以外、釈然としない表情をしていた。
「皆さんは、『山頂至りて大海を望む』と言う名の本を知っていますか?」
俺は聞き覚えが無かった。俺以外も首を横に振っていた。
「私が探している本のタイトルです。本当は『山頂至りて大海を望む』の感想文が優秀賞を取り掲載されるはずだったんです。でも何故か違う感想文が掲載されることになりました」
「どうして杉本さんはその感想文が優秀賞を取るはずだったことを知っているんです?」
「はい。私、図書委員長をしていて。掲載される感想文を一通り読ませてもらえる立場にありました。それで感想文を読む機会があったんです。とても面白い内容で優秀賞を取るに値する内容だと思いました」
「なるほど」
「問題はそこからです。チラシ発行の二日前になって内容の差し替えが行われました。私はその理由を教員に聞きましたがはぐらかされました。代わりに掲載されたのが『桃太郎』の感想文です」
「桃太郎ですか」
「はい。初めは斜に構えた態度で読みましたが『桃太郎』の感想文も面白かったです。読んだ時、私はあることに気が付きました。どちらの感想文も同じ生徒が書いたものでした」
「どうして同じ生徒だと分かったんです?」
「どちらの感想文もイニシャルはT.Sでした。それに文体も、文字の下手さも同じで間違いようがありません」
「なるほど」
横を見るとトーシローが苦笑していた。
「それに差し替えるにあたって同じ生徒に書かせたと教員は言っていました。もう選考している時間は無いからと不機嫌に言っていたのを覚えています」
「差し替えられて配布されたチラシ、見ることはできます?」
「ちょっと待ってください」
そう言うと杉本は自身のリュックを探り、小冊子を取り出した。パラパラとページをめくりお目当ての箇所が見つかったのか俺たちに見える様に机の中央に置いた。杉本はそのページの右上を指さす。そこには “桃太郎”を読んで 3年 T.S と書かれていた。
ページの右下を見ると、受賞者のコメントという欄もある。
「読書感想文ってこんなに長いものでしたっけ?」と早苗がつぶやく。確かにぱっと見分量が多い。
「いいえ。S中だと五枚以上というルールだけです。ですから原稿用紙100枚書いても許容されます」と冷静に杉本は言う。
100枚も書かれたら読む側は堪ったものじゃないな。
「この受賞者コメント、教員のチェックは行われたかわかります?」
「はい、掲載するうえで不適切な箇所がないか確認すると程度だったと…。あっ、待ってください。そういえば先生差し替えの時にこのコメントについて言ってました。そう、確か…『ふざけすぎだ』と。原稿用紙に書かれたコメントを持ってそう漏らしたのを思い出しました」
ふざけすぎ、どういうことだ? 俺は受賞者コメントを見た。
「状況は分かりました。杉本さんは図書館とかはもう探しました?」と姉貴。
「もちろんです。中学の図書館も近所の図書館も探しました。それでそのタイトルの本は見つかりました」
「え?」
「これを見てください」そう言うと、杉本はスマホを机に置く。俺たちは画面をのぞき込んだ。画面にはAmazon.comのサイトが移っており『山頂至りて大海を望む』の販売ページだと分かる。画像は単行本だ。
「問題はここです」と杉本は画面の一部を拡大した。
「あっ」発売日が今年の一月になっていた。
「そんな馬鹿な」俺は声を漏らす。あり得ない。
「はい。私もこれを見たとき、驚きました。まさか発売されてなかった本の感想文があるなんて。でも他を探してもこれしか出てこないです」
「この本の作者がT.Sの可能性は?」
「わかりません。ただ、作者紹介のところに顔写真がありましたが30代の女性でした。それに作者はあとがきでこの作品を10月から一カ月で書き上げたと明言しています」
なるほど、だとすると…
4
「本の情報が正しいとすると、このサイトの『山頂至りて大海を望む』とT.Sの読んだ『山頂至りて大海を望む』は別物です」姉貴は言う。
「えっ、でも」
「偶然の一致ですね。納得いかないかもしれませんがその可能性の方が高いです」
俺も同意見だ、事実を都合よく解釈してはいけない。
「そうですか」杉本は渋々納得したような顔をする。
「杉本さんは小説投稿サイトも調べました?」
「はい。一応メジャーなところをざっと見ました」
「そうですか。だとすると… 残念ですが『山頂至りて大海を望む』は多分見つからない可能性が高いです」姉貴はおもむろに宣言する。
「えっ」
「単純な話です。なぜ見つからないのか。それは公に出版されたものではないからです。元々存在しない。そう考えると差し替えられたのも肯けます」「どうしてです?」
「このチラシには受賞者が読んだ本も掲載されますよね。だとすると存在しない本だとまずい訳です。チラシに写真を掲載できませんから」
ああ、と杉本。
事件はおおよそ解決したようだ。
5
杉本は頭をペコペコ下げ部室から立ち去った。依頼人の納得いく解決では無かったかもしれないが、事実がそうなら仕方がないだろう。部室の窓から外を見ると日が沈みかけている。
「千秋。そういえばDHMOって何なんです?」早苗が姉貴に尋ねた。そういえば依頼が来る前そんな話をしていたな。
「ああ。DHMOっていうのはね、ジヒドロゲンモノオキシドで一酸化二水素とも呼ばれる。水のことだよ」
「「ええ!」」早苗とトーシローが同時に驚きの声をあげた。素直な反応だ。
「そう昔、…」姉貴は嬉しそうに話し始める。その表情に屈託は無いように見えた。
6
下校時刻前になり俺たちは荷物をまとめる。部室に鍵をかけるとトーシローは自分が返すと言い、俺に対して少し話があるから付き合ってくれと言ってきた。俺は了承する。
早苗と姉貴と別れ職員室に向かってトーシローと歩き始めた。
「それで話っていうのは?」俺は聞く。
「T.Sについてだよ。夏樹にはT.Sの正体、分かったんでしょ」
ああ、やっぱりその話か。
「まあな。T.Sの手がかりはいくつかあった。前提条件として、S中出身で去年まで中3だった。加えて作文の一人称が「僕」であることから男の可能性が高い」
「それで」
「だがこれだけの情報ではT.Sが誰か特定できない、不定だ。だが受賞者コメントを見るとT.Sについての大きな手がかりがあった」
「どんな手がかりだい?」
「あのコメントだが、突然一人称が“僕”から“私”に変わっている箇所が一つある。それに最後の数行は蛇足だ。文字数合わせの可能性もあるが別の意図の可能性もある」
「なるほど?」
「杉本の証言では、教員は受賞者コメントを見た時『ふざけすぎだ』と言ったことだ。これはどういうことか。状況を同じにすれば、その発言の意図がよくわかった」
「状況?」
「ああ。教員は原稿用紙に書かれた受賞者コメントを読んだ。なら原稿用紙に書かれた状況を想像すればいい。隠されたメッセージに気が付いた時は驚いた。まさかT.Sの正体が…」
コメントの20文字目を読んでいくと、“すなが私特うし論う”の文字が現れる。漢字は最初の一字を抜き出すと“すながわとうしろう”となる。一人称が“僕”から“私“に変わっていたのもこのメッセージを作るためだった。
「僕だったことに?」
「ああ」俺は肯く。トーシローこと、砂川冬史郎は笑っていた。
「でも何で依頼人に言わなかったんだい、僕がT.Sだと」
「言いたくなかったんだろ、だから言わなかった」
トーシローは自分がT.Sだと名乗らなかった。なら俺が出しゃばることは何もないと思った。
「あの作文は今思うと若気の至りって奴かな。黒歴史ではないけど自慢することではないと思ったんだ」とトーシロー。
「それで結局『山頂至りて大海を望む』は存在しないのか」
「ああ。あれは僕の頭の中にしか存在しない話だよ」
「どんな内容なんだ」
「一言でいえば、青臭い理想論かな」
「そうか」
読んでみたいと思ったが何となく言うのは止めた。
前を見ると職員室が見えてきた。
あとがき
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回のテーマは、”探偵部の日常”です。普段、探偵部が何をしているのかを書きました。他愛のない話で冗長だったかもしれませんがお許しください。
結局事件の相談が来る展開になったのは少し不本意で次は4人だけで完結できるといいかなと思いました。
改めてお読みいただきありがとうございました。
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