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学校教育のパラドックス。

こんにちは、白井です。


最近、オンラインサロン繋がりで、教員として現場で活躍されている方々と話す機会が増えてきました。

普段あまり関わらない業界の方と話すのは、とても新鮮で、学び溢れるトークになりますね。
いつもありがとうございます。


今回はそんな中で、過去に私が感じていた疑念や今の教育に対して感じた課題について「学校教育のパラドックス」というテーマでお送りしていきます。


大学受験に対する疑念。

私は高校時代、公立の進学校へ通っていました。

高校3年の冬。
センター試験(現在でいう、大学入学共通テスト)を終えた後の話です。

国公立の一般入試は全国共通の試験としてセンター試験を受け、その結果に加えて大学独自の2次試験を受けて、その双方の結果を踏まえて合否が決まるという仕組みです。

つまり、センター試験でコケてしまうと、2次試験でどれだけ良い点数を取ろうが、合格できなかったりします。(足切りだったような記憶もあります🤔)


当然、センター試験で思うような点数が取れず、第一志望の国公立を諦める人も出てくるわけです。

それに対して、私立はその大学独自の試験だけで良い場合がほとんどで、センター試験の結果は特に関係ありません。

だからこそ、センター試験でコケてしまっても、私立受験であればフラットな状態で戦えるわけです。


ですが、ここで学校教育に疑念を抱く出来事がありました。

私立に合格し、自分が受ける国公立はその私立よりも偏差値で言えば低い。
そんな状態でも、私立大学への入学は薦めず、とにかく国公立への入学を薦めてきます。

私の場合は、センター試験でしっかりコケた側の人間で、すでに私立に進学することに決めているにもかかわらず、全くいく気もない国公立の受験を強いられました。
(わざわざ片道3時間かけて、行った記憶をしっかりと覚えています)


教員の成果と生徒の利益の相違。

なぜこんなことが起きてしまうのか。
それは、学校が教員に求めている成果と生徒が本当に得るべきものが相違しているからだと思います。

まず、第一に教育機関が与えるべきことは生徒・児童の将来、自分の生きたい生き方ができることだと思います。

しかし、実際にそれを成果として評価するのは不可能に近いです。小学生であれば、10年、20年という年月が経たなければ、それを判断することができません。

その結果、生徒・児童の点数や進学先などが、教員の成果として評価対象になってしまうのだと思っています。(あくまで、私の高校時代の経験からの推測です)


このように、受益者である生徒が本当に受けるべき恩恵と、教員が評価される基準が異なってしまう。
これが、学校教育における大きな課題だと感じています。


私たちのアプローチ。

受益と成果の相違。
これは誰が悪いという話ではありません。
強いていうならば、監視社会でない限り、この課題を解決するのは不可能だと思います。

もちろん、現在の学校教育で得られるものは多いですし、徐々に時代に合わせた形になっているのも事実です。

ただ、時代に合わせた学びをしていくとなると、学校の時間だけでは明らかに足りないのも事実です。

だからこそ、私たちのような大人や法人が、そこのサポートをしていく必要があると思います。

教育を教育機関だけに一任せず、社会全体が教育する環境となる必要があると考えています。


弊社でも、学童向けのプログラミングスクールを運営していますが、さらに注力させていく方針で進めています。

https://www.i-willink.com/



今回は、答えのない社会問題について、私の意見を述べてきました。

答えのない問題だからこそ、私たち1人1人が向き合っていき、より最適な解決策を常に打ち続ける必要があると思います。

ぜひ、気になった方はコメント等でご意見をいただけると嬉しいです!

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