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ちなみに『きのうと同じに見えるけど』の不気味さはどうなったの?

図書館で5月は母の日にちなんでと並んでいた本。
きのうと同じに見えるけど/夏石鈴子』分類913ナ

主人公「あおば」は母と二人暮らし、父と別居中。「あおば」はイラスト教室に通っている。その教室の生徒の一人「緑川さん」と親しげに話をするもその人となりを知り、絡まれたようになり逃げる。「あおば」の独り語りの妄想の中で「緑川さん」がどんどん怖くなっていく。

「あおば」は24才、処女、派遣社員という。同じ職場の「福貴子さん」に「緑川さん」の話をしたい。でも話題はエロ界の艶子さんに興味がいき、すり抜けてすり替わっていく。「あおば」はエロ界に誘われてしまうのではと恐れる。怖いと感じたあのときに「緑川さん」と対峙しなかったのが問題なのだ。

物語の後半にやっと出てきた「あおば」の母は専業主婦でボランティアをはじめた。ボランティア先の近くに別居中の父の住まいがある。だけど母は父と交流しようとしない。少々イラつく「あおば」。夫婦の問題に解決の糸口が見えなさそう。そして、「緑川さん」と「あおば」の絡みの不気味さも未解決のまま物語は終わってしまった。
え?続きないって、気になる、、、そこが面白そうと思ったのに。

読み終えた感想はおもしろいと思ったよ。

母の日にちなんでいたかどうかでいうと、母や家族が登場しているので、ちなんでいるといえる。
私は「母の日」が好きじゃない。感謝しましょう、みたいなあおられ感が心地よくない、不気味さ感じてしまう。「父の日」もまた同じ。すり込まれたような母性とか父性とかにどうしょうもなく違和感があるから。
でも「母の日にちなむ」ってことで借りた。
それが図書館の意図?

ちなみに「ちなむ」って、関連するとかつながりを持つとかの意味らしい。

ちなみに私に送られてきた母の日プレゼントはビールだった。
私は子どもそのものの存在に感謝している。
元気に暮らしていてくれれば何もいらないのにな。

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