見出し画像

恥ずかしくて他人に見せられない!?私の履歴書

こんにちは。広島に住む、しがない40代サラリーマンの「みーきち」です。

改めまして、自己紹介です。

私は、先月の2021年2月から、noteを書き始めています。

noteを始めたキッカケは、たまたま検索サイトに引っかかったnoteの記事を読んでいくうちに、単純に「面白そう」と感じたからです。私はめんどくさがり屋なので、簡単に参加できるnoteというサービスは、私にとって、とても魅力的なサービスでした。

私は、noteを通じて「生きることに苦しみ、思い悩んでいる人々」に「この日本には、私のようにダメなオジサンがいるんだぞ。でも生きていいんだ」というメッセージを、記事に乗せて届けたいと思っています。もちろん、このメッセージは、非常に傲慢な考え方だと自認しています。恐らく、1000人のうち、999人の方々に「うるせーな!ほっといてくれ」と思われるかもしれません。でも、1000人のうち、1人の方だけでも「こんなところに、なんだか変なオジサンがいる」とクスっと笑って楽になって頂ければ、私はそれで満足です(最悪、誰も笑ってくれない可能性がありますが、私自身が暇な時に自分の記事を見て笑っているので大丈夫です)。

以下、私の履歴書です(アバウトですみません)。

私に関する情報

名前▶:みーきち

年齢▶:40歳

性別▶:男

職業▶:しがないサラリーマン(建設関係の事務)

住所▶:広島県

家族構成▶:笑顔が素敵な妻1人、可愛い息子1人(もうすぐ3歳)、騒がしい猫4匹

学歴①(暗黒の小学校~高校時代)

地元広島の公立小学校、中学校、高校を卒業。高校入学まで、ずっと同じ友達から、プロレス技などをかけられたり、パシリにされたりなど、いわゆる「いじめ」を受け続けました。小学校、中学校は何度もくじけそうになりながら、なんとか登校。総じて運動が苦手で、中学の頃は、アマチュア無線部で、ずっと機械いじりをする毎日。あろうことか高校時代に中二病と反抗期を発症してしまい、帰宅部に入部しロクに勉強もせず友達と遊びまわり、大学受験に失敗、両親に土下座して浪人することになりました。

学歴②(はっちゃけた浪人時代)

浪人時代、初めて彼女が出来ました(おぃ)。彼女は、特に国語の成績が優秀で、頭の良い人でした。私は髪を赤く染め上げ、ピアスを左右に5つも開けていましたが、彼女に追いつこうと勉強を頑張り、何とか地元広島の公立大学に入学することができました。浪人中に「これからはコンピュータの時代だ」と感じ、人工知能(AI)を扱う学部を選択しました。

学歴③(混迷の大学時代)

さて、髪を黒に染め直して大学に入学したものの、講義がチンプンカンプンで疲弊した私は、ボランティアや飲食店のバイトなど、学業以外のところで一生懸命になっていました。また、どうしても、AIを扱う大学の研究に興味が持てず、社会に出ようと決心したのでした(当時は、AIが社会にどう役立つのか全く分かりませんでした)。なお、浪人時代にできた彼女は京都の賢い大学に行ってしまい、2人は遠距離恋愛となっていました。

職歴①(社会人になり、憧れの大阪へ)

日本全体が就職氷河期の中、私は運よく就職活動を勝ち抜き、IT関連企業(東証一部上場企業)に入社、彼女を追いかけるカタチで、大阪へ住まいを移しました。みなさまご察しの通り、遠距離恋愛でスレ違いが生じていたのか、住まいを大阪に移した直後、さっそく彼女とは別れてしまいました。仕方なく、鉄道好きの私は、意味もなく阪急電車を乗り回し、気になった駅を降りては、周辺をうつろな目でぶらつくのでした。

職歴②(うつ病の発症、そして社会人からの転落)

順風満帆に社会人生活を満喫していましたが、それもつかの間、入社3年目にデスマーチに遭遇し、上司からひたすら「進捗が遅い!」と罵られた私は、精神を病んでしまい、3か月間、休職。復帰後2年同じ会社で頑張りましたが、どう頑張っても布団から起き上がれず、会社に行けなくなり、やむなく退職しました。ただ幸い?にも、在職中に知り合った新しい彼女と結婚していた私は、専業主夫として、大阪で生活することになりました。

職歴③(這い上がれない現実、そして離婚へ)

専業主夫といっても、当時の妻の稼ぎは良い方ではなかったため、私は何度もパートなどに採用されては倒れて職を失うということを繰り返しました。仕舞いには、うつ病に加え、テンションが上がり過ぎたりする病気も発症してしまい(双極性障害)、そんな私を見て当時の妻は嫌気がさしたのか、一方的に離婚となりました。私は大阪を追い出され、地元広島の実家に戻ったのでした。この時、30代半ば。私は「家庭を築くこと」という夢をあきらめようとしていました。なお、金銭的に厳しくなっていたため、私はこのタイミングで精神障害者手帳を取得しました。

職歴④(妻との出会い、そして社会復帰へ)

どうしても「家庭を築くこと」という夢があきらめきれなかった私は、賭けに出ました。病気でボロボロ、稼ぎ0の状態で、とある「マッチングサイト」に登録したのです。そこで、たまたま出会ったのが、現在の妻です。妻も精神的な病を経験しており、私の下心をものともせず、妻は私に真摯に向き合あってくれました。「ずっとまともに働くことができず、辛い。働くのが怖い。」そう話す自分に、妻が紹介してくれたのが「LITALICO(りたりこ)」という就労支援サービスでした。

私は約1年間、電車に乗ってLITALICOに通いました。始めは週1の短時間からスタートし、徐々に身体を慣らしていきました。最終的には、フルタイムに近い状態で、LITALICOに通うことができるようになりました。自信をつけた私は、地元広島で開かれた障害者合同就職面接会を経て、今勤めている会社に出会い、妻と再婚し、子どもにも恵まれ、新しい人生をスタートさせたのです。

職歴⑤(私のこれから)

私の今の当面の目標は「1日ずつ、休まないように、勤務実績を積み上げること」です。今、休職や退職をしてしまうと、家族全員が困ってしまいます。何とか、働き続けたいという思いを私は持っています。そして、スキマ時間で「書ける時にnoteを書く」ことも目標にしようと思います。冒頭に書いたように「誰かにクスっと笑って欲しい」というコンセプトで、今後も戯言を書いていこうと思いますので、皆様、どうぞよろしくお願い致します。

2021.03.16 みーきち

<<「こちら」から全エッセイが読めます>>


この記事が参加している募集

自己紹介

換気扇にこびりついた油汚れのような私の記事を読んで頂き、本当にありがとうございます。サポートして頂けると、妻がニッコリします。