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【お金って何だろう?】あなたのものは、私のもの?

こんにちは。みーきちです。

今日は「私有財産」に関するお話です。

「私有財産」といわれても難しいですね。ちんぷんかんぷんです。

早い話が、私の持っているお金と、あなたの持っているお金は「別々のお金」ということです。

「私のお金は、あなたのお金ではありません」。

逆に、「あなたのお金は、私のお金ではありません」。

当然といえば当然なのですが、よく考えると不思議です。

この私有財産(私有財産制)について、意味を調べてみました。説明をそのまま引用すると、意味は以下の通りです。

生産手段や消費財など一切の財産が原則として個人によって所有され、かつその個人の所有権が法律などにより保障されている社会制度をいう。
古代の奴隷制、中世の封建制は私有財産制を基礎としてはいるが、その所有権は共同体ないしは封建制による拘束を受けており、完全な私有財産制ではない。
そして、近代の資本主義社会で初めて私有財産制が完全な形で出現した。
資本主義社会では消費財はもちろんのこと、生産手段の私的所有も法律によって保護され、私有財産制が資本主義社会の基礎的制度となった。
しかし資本主義の発展とともに、生産手段を所有する階級と所有しない階級との間の財産所有の格差が拡大する傾向にあったため、現代の資本主義的社会では社会的、公共的観点から私有財産制度に種々の法的規制が加えられつつある。
社会主義社会では基本的な財産である生産手段については社会的所有とされ私有財産制は廃止されているが、消費財については私的所有が認められている。 
引用:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

わーお!意味が分かりません。

超かみ砕くと、「日本や世界の経済を回すための社会制度」として「私有財産制」が取り入れられているようです。

もし、私有財産制がなければ「私のお金はあなたのもの、あなたのお金は私のもの」になります。

もっと視野を広げると「会社のお金は私のもの、私のお金は会社のもの」となり、突き詰めると「世界のお金は私のもの、私のお金は世界のもの」になります。

こうなると、どうなるでしょう?

世界のお金が自分のものになるので、恐らく、人々は利益を追求しなくなります。

みんな儲けなくなっても、手元には、じゃんじゃんお金があります。

企業も利益を追求しなくなるので、例えばカラオケに行っても、カラオケ代の支払いを求められなくなります。タダで歌い放題です。

企業も、手元にはじゃんじゃんお金があります。

スーパーでどれだけ食料品を選んでも、全部タダです。よりどりみどりです。

こうなると、どうなるでしょう?

たぶん、みんな「どうせ使わないお金なんて持っててもしょうがないし、お金なんか捨てようぜ」となると思います。

そして「お金稼ぐ必要もないから、みんなで毎日どんちゃん騒ぎして遊ぼうぜ」となると思います。

こうなると、どうなるでしょう?

そのうち、誰も働かなくなったスーパーには、食料品が並ばなくなります。

「おい!飯が、ねぇじゃねーか!」

困った人々は、遊びたい一心で、畑でとった野菜を載せ、車に乗って遊びに行こうとします。

ところが、ふと見ると、ガソリンスタンドが荒廃しています。

「ガソリンが、ねぇじゃねーか!」

あれ、よくみると、税金の運用がストップしてメンテナンスされなくなった道路は凸凹です。

信号機も消えています。

「電気が使えねぇじゃねーか!あれ、水道も出なくなったぞ!カラオケもできないじゃん」

車は、ただの鉄の箱になりました。

メンテナンスされなくなった水道管はボロボロです。

さて、人々は困りました。

ワンルームマンションからは、生活できなくなった人が、次々と路上に出てきます。

「トイレが流れない!」

「スマホもパソコンも、なにも映らんぞ。noteが書けない!」

「ノドが乾いたので、お水をください」

「赤ちゃんのミルクが切れました!誰か助けて!」

「腹減ったぁ」

「お風呂入りたい!お風呂はどこだ?」

「カラオケしてぇなぁ」

路上に出てきた人々は、電気・ガス・水道などのライフラインが止まった中、みんなで集まり、知恵を出し始めます。

「トイレ用にみんなで穴を掘ったよ!たまった『し尿』は、肥料にしよう」

「スマホやパソコンなんか捨てて、みんなで鬼ごっこしようぜ」

「こっちこっち、森の奥から湧き水が湧いてるよ!」

「赤ちゃんのミルクがないなら、わたし母乳でるんで、こっちにおいで!」

「腹減ったんなら、うちの畑でとれた野菜を食べてつかぁさい」

「おーい、こっちにドラム缶があるぞ!水はあるから、いらない1万円札を燃やして、ゴエモン風呂作ろうや」

「古いギターがあった!俺が伴奏弾くから、たき火を囲んで、みんなで歌おうぜ」

あれ?なんだかみんなで力を合わせた生活が始まりました。

なんだか「全国版・DASH島」のようです。

もちろん、良いことばかりではありません。全国で問題が多発します。

まず、北国に住んでいる人々は、ふるさとを離れる覚悟が必要になってきます。

理由は、冬場に暖をとるためのガソリンや灯油が入手できなくなるからです。

また同様に、南国に住んでいる人々も、ふるさとを離れる覚悟が必要になってきます。

理由は、電気が止まり、夏場にエアコン等が使えなくなるからです。

そして、私が考える最も大きな問題は「全国的な食糧不足」です。

飛行機や船も動かなくなるので、海外からの輸入がストップします。

日本は石油や食料などの資源に乏しい国です。食糧はすぐに底をつくと考えられます。

全て私の妄想ですが、何百万人もの方々が、食料難で亡くなる可能性があります。また、医療を受けられない高齢者の方なども大勢亡くなる可能性があります。

そして、人口が程よく減少したのちに、廃墟と化した都市をあとにした人々は、地方で田んぼや畑を耕すなど、水稲農耕を励むようになります。

そう。「弥生時代の復活」です。

人々は、金銭的な呪縛から解放され、平和に活き活きと農耕作業に勤しむことでしょう。

ここまで書くと「お前は何をバカげたことを言っているんだ?」

そう思われるかもしれません。

でも、似たようなことを考えている人がいます。

「世の中からお金をなくす」

これは、すなわち「この世から私有財産制を撤廃し、みんなの資源を、みんなで共有する社会の創設」なんだろうなと、個人的に思っています。

前澤さんの主張は、一見滑稽に思えるかもしれませんが、私は一理あるなと思います。

現在、私有財産制があるために、みんな、利益を追求しようとします。

利益追求が第一の目的になると、人は、他者を出し抜き、自分がいかに利益を得るか、そのことばかりに囚われてしまいます。

「一発大逆転!副業で大儲けして、早期にリタイアしよう!」

「FXやバイナリーオプションで一攫千金を目指そう」

「この世は弱肉強食だ。稼げないやつは、社会から排除されるべきだ」

しまいには、人は自身の財産が奪われることに疑心暗鬼となり、集団となって兵隊を集め、核兵器を作り、他者を威嚇するようになります。

きっと、前澤さんは、そんな世の中がイヤになったのかも知れません。

ちなみに、ここ数十年ですが、日本の貨幣価値は、いわゆるデフレで上がりすぎている状態です。

もはや「お金至上主義」です。

デフレになるとお金の価値はどんどん上がるため、つい私たちは「お金があると、なんでもできる」と錯覚しやすくなります。

この錯覚は飛躍して「お金がないと、何もできない」という考えになり、しまいには「お金がない人は、死ぬべきだ」という極論を生み出します。

ここまでくると、もはや「人々が社会を発展させるために作り出した『お金』が、次々と人を殺しているのではないか」と、私は思います。

本来、「お金は人々を幸せにするように作られたツール」のはずです。

そんなお金は、よく見ると「ただの紙切れや金属」です。もっといえば、単なる「デジタルデータ」です。

どうか、そんなものに殺されないでください。私からの切なるお願いです。

私には、愛する妻と幼い息子がいます。

私の家族は、貨幣価値に換算することはできません。

例え、私の家族が欲しい資産家から「1兆円」を提示されても、私は家族を売りません。

生命保険などで査定を受けると、生涯賃金などをもとに、人の命に値段がつきますが、本来、人の命は貨幣価値に換算できないものです。

私は、例え、無一文になって路上に投げ出されても、歯を食いしばって田畑を耕し、自力で雨よけの屋根を作り、家族を守り抜く所存です。

<<追記>>

最近、ゆるやかに「これは私のお金だけど、一部はあなたのお金だよ」という発想が生まれ始めています。

前澤さんのお金配りも、同じ発想です。

この記事をご覧になった、資産にも心にも余裕がある「あなた」も、どうぞ家計が「火の車」の私たち家族に、資産をシェアして頂ければ幸いです。

(しーん)

<<追記その2>>

記事を書いたあと、前澤さんの主張をちゃんと読みました。自分の考える未来と全く違う「素敵な未来」を想像しており、自身のあまりの想像力の無さに、私は顔から火が出そうになりました。やはり、しがないサラリーマンの想像力では、限りがあるようです💦

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