令和に残る江戸城を一周歩いたら、土木愛が深まった話
ここは東京都千代田区、JR総武線の水道橋駅から徒歩10分くらいのところにある堀留橋という橋です。
本日は、ここ堀留橋をスタートして江戸城の外堀跡を一周歩いてみたいと思います。結論から書くと、非常に楽しいものになりました。おおまかなルートはこんなもんです。
堀留橋をスタート地点とした理由は、この橋がかつての江戸城の外堀のスタート地点だったからです。写真の通り、今では首都高の下にひっそりと架かる橋となっています。まずは、この首都高沿いに南下していきます。
まもなくすると「俎橋」という橋が見えてきます。はい、これで何と読むと思いますか。「俎」一文字で「まないた」と読みます。橋がまな板のような板からできていたことが由来らしいです。
まだ江戸城の堀っぽさはあまり感じられません。護岸の石積みも整っているので、改修後のものであることが分かりますし。さらに首都高の下を進みます。
「なんださっきからずっと首都高の下じゃないか」という声が聞こえてきそうです。それはそのはずで、急ピッチで整備された首都高は土地買収の簡単な堀の上に建設せざるを得なかったのです。この「土地買収が簡単である。」という理由で、外堀沿いには、常に何かしらの土木構造物があります。
雉子橋門
九段下駅を過ぎ、竹橋駅が近づいてきました。竹橋ジャンクションが頭の上で複雑に絡み合っています。
と、その下に立派な橋がありますね。これは雉子橋です。江戸城の周りには、かつて「江戸三十六見附」と呼ばれる門番が点在していました。この雉子橋はそのうちの一つ「雉子橋門」と呼ばれる場所であるのです。
視線を下におろして、石垣をよーく見ると、あの雑に積まれた感じは、一部が江戸時代当時のものであることもわかります。
ここで、少し外堀を外れて、内堀へ寄り道。竹橋が見えてきます。竹橋も見附の一つです。毎日新聞社のビルを囲うように歩いて、再び外堀に戻ります。
一ツ橋門
次に見えてくる橋は一ツ橋です。大学ではありませんよ。ここら辺は徳川御三卿の一つ、一橋家の家屋跡地でもありました。
この橋も見附の一つであり、立派な城門の石垣だと思われる壁がかろうじて残されています。橋の高欄も、一部は取り換えられているように見えますが、色的に昔のままの石も見られますね。
さてさて、進路を東へ変えて、再び首都高の下を歩いていきます。もう、ここら辺は、ほぼ江戸時代そのままです。
神田橋門
神田橋が見えてきました。川に沿うように、遊歩道が整備されていたので、非常に歩きやすかったです。
大手町の高層ビル群が近づいてきます。にしても、見附多いですね。この神田橋も見附の一つです。と、ここで興味深いものを見つけます。
遠く対岸の首都高の影に目を凝らすと、水面へと続く石段が見えます。これは間違いなく、今に残る荷揚げ場の跡地でしょう。
なるほど、この場所で全国各地から運ばれてきた江戸城の建築資材や生鮮食品を運び入れていたらしいことが分かります。こんなにがっつり当時の雰囲気が分かる構造になっているとは、驚きです。
次に、JR線、新幹線の高架を潜り、常盤橋へと向かいます。近くには日本銀行の本店があります。再開発の進む東京駅の八重洲周辺は立派な高層ビルが林立しています。
常盤橋門
いやー、立派な石垣ですね。この石垣の裏には渋沢栄一の像がありました。
常盤橋の隣にある一石橋で、またまた面白いものを見つけました。
これは首都高の出口を撤去している工事です。なぜそんなことをしているのかというと、見てわかる通り、日本橋の上に架かる首都高を地下化する工事の先駆けですね。2040年の首都高へと姿を変えている、その工事が始まった瞬間と遭遇できたかのようで、興奮しました。呉服橋交差点に到着です。
呉服橋門
スタート地点からずっと続いた首都高とは一旦お別れです。ここからは再び南下して、東京駅八重洲口を横切る形で足を進めます。
今歩いているこの外堀通りは、関東大震災の瓦礫を堀に埋め立てて道としたらしいです。それを知ると、道の見え方が少し変わってきます。
有楽町駅も過ぎ、JRの高架沿いにさらに南下していきます。
幸橋門
この区間もかつての外堀に沿って建設されたと分かります。簡単だったんでしょうね、土地買収。山下橋門跡を過ぎ、幸橋門跡を直角に曲がります。次は虎ノ門方向です。
高層ビルの間を縫って、かつての堀の幅がそのまま残っているような道を西へ進むと、虎ノ門駅付近で、不自然に斜めって交差する交差点がありました。どうやら、ここで堀もカクカクとなっていたようです。
虎ノ門
日比谷線の虎ノ門駅には面白い展示があります。昔の堀の存在を彷彿とさせる展示です。
そして、かつての東京の姿が写真で展示されています。この幸橋周辺の写真は、先ほど歩いてきた道になるわけですが、本当に堀のすぐ隣にレンガの高架が走っていて、驚きました。
四ッ谷・市ヶ谷周辺の写真もそうですが、よく見れば確かに今の景色と変わらないところもある一方で、まさかそんなところに堀があって、船が行ったり来たりしていたとは、想像もつかないところもあります。面白いですね。
外堀水面と外堀堀底を表すユニークなタイル状の壁になっており、大変興味深い展示でした。階段を上って、外に出ると、またまた面白いものを見つけます。
出口を出ると、そこは文部科学省のビルでした。その広場へと続く、階段なのですが、びっしりと隅々まで数字が書かれています。そして、その年の出来事だと思われる写真が貼られているプレートもあり、なんだかとても温故知新を感じられる階段です。素敵すぎます。
さらに、外堀通りを進み、続いて見えてくるのは首相官邸、溜池山王駅周辺です。
赤坂見附
どうでもいいですが、ここら辺の地名は声に出して読みたくなります。「溜池山王」「赤坂見附」。かっこいいです。
陸橋と首都高が複雑に絡み合う交差点のある赤坂見附は地名からもわかる通り、36の見附のうちの1つです。
赤坂見附から少しの間、堀の水が復活します。でもここは流入する川も流出する川もない、ただの池のため、水質の問題が懸念されている池でもあります。そして、神田以来の首都高とも再び合流です。
紀ノ国坂を登り切ると、少し高台に出ます。迎賓館もこの近くです。
喰違見附
目の前にあるグラウンドは上智大学のものです。堀を埋め立てて造成されたに違いありません。ここには喰違見附がありました。道が食い違っているように曲がっているため、地理的に門にできたところらしいです。
高台から目線を下におろすと、さっきまで頭上を走っていた首都高がはるか谷の下を走っています。そして、よく目を凝らすと、凄まじい構造をしていることを発見します。
ここからしばらくは、土塁の上に整備されている道を歩いていくことになります。遠くには新宿の高層ビル群が見えました。
四谷見附
大変歩いていて清々しく、気づいたら、もう目の前には四谷駅がありました。最近、丸の内線のホームの位置が変わったらしく、地下から地上へ線路が見え隠れします。
下には中央・総武線。地上には甲州街道。地下には南北線と丸の内線が行き交う四谷駅周辺は見るだけでも迫力があります。この写真が撮られたすぐ裏には上智大学のキャンパスもあり、学生の姿が目立ちました。
小田原や真鶴、宇佐美から運ばれてくる石もあれば、遠く沼津から伊豆半島を一周して運ばれてくる石もあるなど、江戸城は国の威信をかけて作られている感が伝わってきます。
市谷見附
鉄道を通す場所がないから堀の上を走ってしまえばいい、という発想の下、戦前に建設された甲武鉄道の現在の姿がJR中央・総武線です。そのときからこの土塁も松の木もほとんどそのままなんでしょう。いい遊歩道です。
さて、ここからは堀の水も再び復活です。
近くには法政大学、日本大学、中央大学、東京理科大学などが立ち並ぶエリアです。春の時期は堀沿いに桜が咲き並び、素晴らしい景色となります。程なくして、飯田橋駅に到着です。
牛込見附
飯田橋もがっつり石垣が残っている見附の一つです。この鉄道と堀を一挙に跨いでる橋が牛込橋です。飯田橋という駅も、もともとあった牛込駅と飯田町駅が合体してできた駅と聞きます。
蔦で毛むくじゃらになってしまっていますが、かなり高い立派な石垣が残っており、見附の荘厳さが伺えます。
駅前には、かなり具体的な外堀の案内板があって、非常に参考になります。
四谷、市ヶ谷と「谷」が地名につく場所が連続しています。それほど地形が入り組んでいることの証であり、さっきまで堀の下を走っていた鉄道が次の瞬間、今度は土手の上を走るようになりますよ。
小石川見附
鉄道の高架を潜って、小石川見附へと向かいます。
もう目の前は水道橋の駅です。東京ドームシティの喧騒が聞こえてきます。
外堀通りの坂を上りながら、川に沿って走る鉄道の様子を観察します。あれ?また鉄道との立場が逆転しています。さっきまでは土塁の上を走っていたのに、今度は再び、はるか谷の下を走っています。忙しいですね。御茶ノ水駅が見えてきます。
この駅は、僕が知っている限りでは、ずっと工事しています。川の上のクレーン車や駅舎の上のクレーン車を見ると、「一体そこまでどうやって行ったんだ。」と疑問に思います。聖橋を越えて、万世橋へと向かいます。
筋違見附
昌平橋、万世橋と23区の中でも、交通の要衝らしいエリアになってきました。中央線と総武線、山手線によってデルタが形成されている場所でもあります。
新幹線が地上へ出てくる関係で、一部在来線が、急な勾配の線路を走らなければいけません。ここから見れば、確かに線路が傾いているのが一目瞭然だと思います。
秋葉原が見えてきました。秋葉原は昔、神田川の水運と鉄道貨物の陸運が交差する交通の要所であったのです。今では、神田川以外の運河は全て埋められてしまっており、当時の名残を感じることは難しいです。
最後は神田川沿いに進んで隅田川に合流したらゴールです。
浅草見附
浅草見附跡で長かった外堀は終わりです。水道橋近くの堀留橋からスタートして、一周してそのまま隅田川まで来てしまいました。
驚きと発見の連続で、僕にとっては一瞬で終わったように思います。常に「橋」か「首都高」か「鉄道」と隣り合わせの一日だったので、土木が好きな人には、楽しい散歩コースでした。
令和から江戸を見透かして、東京のかつての姿を想像しながら街を歩くという体験は、過去に遡り四次元的な視点で街を見ることができ、同じ街歩きでも少しお得に楽しめるようになります。
ただの散歩でも、タイムトラベルをした気分になりますので、ぜひ一度、近所の散歩道でもいいので、古地図を広げてみてください。現在に残るかつての痕跡が発見できるかもしれません。
また今度、江戸城について、もう一度よく勉強しなおしたら、外堀を1周歩き直してみたいとすら思います。東京という都市は本当に奥深いのです。
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