チャミ

だいたいチャミと呼ばれています。子どもにはチャンと呼ばれています。湖の近くに暮らしてい…

チャミ

だいたいチャミと呼ばれています。子どもにはチャンと呼ばれています。湖の近くに暮らしています。シングルマザー。

マガジン

  • Re.彼方からの手紙

    マガジンタイトル「彼方からの手紙」はスチャダラパーの曲名です。 幼い頃から生きにくいなあと思いながらもここまでこうしてやってこれた日々に思うこと、生活のすきまに光るもの。 みんなに読んでほしいけどみんなには読んでほしくないような、一人きりの空白な時間に届く手紙のようでありたいです。

  • 詩、もしくは詩のようなもの

  • 覚えている気持ち、忘れないことば 日々の記憶を買いています

  • 旅記

    ちょっと遠出した場所でのこと

  • QUANTAリトリート・沖縄

    全てを諦めていた日々の中、突然目の前に現れた「QUANTAリトリート・沖縄」という文字になぜか惹かれ、どうせ諦めるなら最後の足掻きとして思いきってダイブしたことで人生が大きく変わった、その変化や気付きなどを書いています。

最近の記事

薔薇の角砂糖

雨が降っている。 もうすぐ夜中の1時。 子供達の寝息が聞こえている。 雨の音と寝息が暗闇の中でとても静かだ。 今日、お風呂上がりに髪を乾かしていたら白髪を見つけた。 はるみちゃんは、お母さんの白髪を抜くと1本で10円くれるんだ、と言った。 小学2年生の時、当時はひろこちゃんとかゆきこちゃんとかが名前の主流だった時代にその女の子ははるみちゃんといって、妹もたまこちゃんで、すごく洒落てて良いなあと思っていた。 はるみちゃんはとても清楚な優しい女の子で、お母さんも綺麗で上品で、子

    • 午後

      急に眠くなって寝転んで見てた 部屋の植物が静かに生きていた  夢うつつでまた赤ちゃんの泣き声を聞いた 目を閉じていてもすごく白くて眩しかった (ああ、ブラックホールから入ってホワイトホールから出るのだな) 目覚めるともう眩しくはなかったが やはり何もかもは白いままだった 白の中で黒は安心して眠るだろう 目覚めた赤ちゃんは小さな手のひらを不思議そうに眺めている

      • 『の。』

        高校生のとき、初めて出来た友だちと高尾山に行った。中高一貫校の学校でどこにも属せなかった私にとっては文字通り本当に初めての友だちだった。 その子が突然、放課後、高尾山に行こうと言った。 私たちの学校は高尾駅から徒歩とバスで30分くらいの山奥にあって、スクールバスのおじさんたちは態度の悪い生徒たちのことを、裏で鴉とか山猿などと呼んでいた。 彼女にどうして山に行きたいのかと尋ねると、猿園があるからそれを見に行きたいという。私は全く興味がなかったけれど誘われたのが嬉しくて、一緒に

        • 好きな文章

          好きな文章を読むと、自分の現在地に足が着く。 わたしにははっきりと、読める文章と読めない文書があるから、読めて、さらに好きな文章だと、書いて読ませてくれてありがとう、という気持ちになる。 上手い文章は上手いなと思う。 好きな文章は好きだなと思う。 好きな文章は言葉が水のように何の抵抗もなく入ってくるし、浸透する。 上手くてさらに好きな文章はその浸透率がもっとすごくて、わたあめを食べたときみたいな感じ。 食べたことにも気付かないくらい、口の中に入れた瞬間にもう消えていて、甘い

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        • Re.彼方からの手紙
          初月無料 ¥300 / 月
        • 2本
        • 25本
        • 旅記
          3本
        • QUANTAリトリート・沖縄
          12本
          ¥100
        • QUANTAリトリート・尾道
          13本
          ¥100

        記事

          8bit

          昔付き合っていた人に「チャミの頭は8ビット」と言われたことがある。ゲームが好きな人だった。初代ファミコンのドット絵が可愛くて好きだったので嬉しかったし、好きな人に言われたから更に嬉しかった。 長く付き合った末の最後の電話で「俺は我慢しすぎた」と言われたことにものすごくショックを受けて自分に心底絶望したわたしは一番の喜びだった「楽しい」や「表現」や「自由」を封印した。今だったらえ?それなんかずるくない?とか言えるかもしれないけど、当時は若かったし、なによりとにかく好きだったから

          若林さんと、ちょっと金田くん(仮名)のこと

          オードリー若林正恭さんの「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んでいる。 旅行記なのだけど、すごく良い。 もともと旅行記が好きだし、若林さんと私が同じ世代で空気感が共有できるからかもしれないし、単にタイミングなのかもしれないけれど、久々の読書でこの本を読めたことは今の私にとってすごく大きなことだった。この本すごくいいよ、と誰かに伝えたかった。 伝えたい人が普段ほぼ連絡も取らない大学時代からの友達の金田くんしか思い浮かばなかったので、金田くんにメールして、すごくいいん

          若林さんと、ちょっと金田くん(仮名)のこと

          重なる時間、すれ違う時間

          やっとこさシン・エヴァンゲリオン劇場版:IIを見に行ったのだけど、見終わって物語以上に、時の流れと人生の妙と縁について思いを馳せながらエンドロールをじっと見ていた。 庵野秀明監督が安野モヨコ夫人と出会わなかったらきっとシン・エヴァの結末は違っていたと思うし、そもそも完結したのかも分からない。 誰かが誰かに出会い人生が変わり、それがまた別の誰かの人生を変えていく。決定的に分断されているように見えても、波紋のように人々は、どうしたって繋がっている。 平日の昼間に映画館に来ている

          重なる時間、すれ違う時間

          夢、もののけ姫を観る

          「ここは特別な場所だから、通れば分かることがあります」とアナウンスが流れた。 モノレールのような乗り物に乗ってものすごい速さで荒れる海のスレスレや波の中を通り過ぎ、深い青い水と淡い青い空との隙間をくぐり抜け、やがて芝生の生えた晴れた高台に辿り着き、遠くを見やる。 あんなに大荒れだった海も今は静かに透明に輝いていて、遠くに小さく見えるトンネルの暗い穴の向こうにも、青い水面がキラキラと光っている。 私はその全てを見下ろしながら人生の秘密のようなものが確かに分かったのだけど、目が覚

          夢、もののけ姫を観る

          草野くん(仮名)のこと

          たしか小学校三年生くらいの頃。同じクラスの近所の草野くんは少し言葉が遅かったのか、喋っているのをほとんど聞いたことがなかった。 意思表示とかもあまりない大人しい男の子で、色が白くて髪が茶色くてひょろっとしてて、全体的に色素も印象も薄い男の子だった。 いきさつは全く覚えていないのだけれど、その草野くんの家に友だち何人かで集まったことがあった。 たぶんそのとき同じ班で、何か集まってやる宿題があってとか、そんな感じだった。 草野くんの家は一軒家で、集まったのは5人くらいだったか。

          草野くん(仮名)のこと

          愛について

          朝、晴れ 全ては愛の問題だと起きがけに思う 愛が問題なのではなくて、全ての問題が愛に直結しているということ 愛がなければ問題は起こらない つまりこの世の事象、何をとっても愛でしかない 空気に似ている 空気は当たり前にある 空気がなかったらみんな死ぬ、生きられない 人はよく愛がないという でも愛はある 残酷なほど愛しかない どんな悲惨な出来事にも 一人ぼっちだなと思うことがよくある だいぶ前に離婚して子どもが2人いる 子どもがいて賑やかだけどすごく寂しいし、子どもの成長を同

          愛について

          幸福なsurrender

          声を出すことの少ない日常の何かのリハビリみたいに文を書く。 年が明けて1週間ほど静かにざわついている感じ。 自分の信じるものを信じるしかない、というと堅苦しく大袈裟な感じがするけれど、もっと軽く確かな感触で、 「頭を捨て去ったところからもう一度始めよう。」 そんな気持ちがしている。 昨年はこれまでわりと仲良くというか頼りにしていたり色々助けてもらった友だちが3人生きながらにして遠のき、かなりショックを受けた。 特に喧嘩をしたというわけでもないので、何かが変わったのだろう。

          幸福なsurrender

          うまく言えない、ことばにできない感覚、というのが幼い頃からあって、その感覚というのは感情を越えた「感覚そのもの」のような、静かでありながら爆発的なものだったので、それにどう対応したらいいのか分からなかった私は、よく道路をゴロゴロ転がったり夕日に向かってひたすら走ったり寝落ちるまで月を眺めたりしていた。 その感覚はやっぱりどうしてもことばには出来ないのだけど、それでも敢えて頑張ってしてみるのなら「圧倒的なものと一緒にいるという絶対的な安心感と、本当のひとりきりなんだという絶望的

          優しみ

          朝、急に気になり、台所や壁や冷蔵庫などにペタペタと貼ってあるシールや子どもの絵などを全て剥がした。 とてもスッキリした。 あのとき嬉しくて貼ったものが、今は剥がすとスッキリするなんて。 そんな些細なことひとつ取っても、いつのまにか色々なことが変わっていくということ。 子どもがとても小さいころ、私はある出来事や人に対する怒りと憎しみと悲しみと、一人で子どもを育てなきゃという責任の重さと不安と、その全てを肯定したい一心での頑張りと、その裏で全部を自分のせいだと誰よりも自分を責め

          大人のなり方

          どう歳を取るのが適切なのか、全然分からない。夏はダラけたワンピースとビーサンで過ごしていたいのだけど、この歳だとみっともなかったり小汚い感じになってしまう気がして、少しためらう。 本屋に行くと、この年齢ならこういう考えを持ってこういう服を着てこういう行動をするのが適切ですよというガイドブックみたいな雑誌がたくさんあるけど、私はどれにも全然当てはまらない。結果、常にアウェイで、人のいない森や海で暮らしたくなる。 死期が迫ったらこっそり姿を消す猫のように生き物のままで生きること

          大人のなり方

          蝶と蜂

          時々、無音が聴きたいと思う。 その人の命の生きている音だけが見たいときがある。 そういうものは私を遠くへ連れていき、同時に曖昧だった私の影をここに力強くくっきりと現す。 そして私はその時、ひとりになる。 でも淋しくはない。 目の前のその人もひとりきりだから。 同じ空間にいながら、別々の、それぞれのひとりきりの場所で、私たちはその時だけ、本当に出逢うことができる。 本当のひとりきりはまるい。淋しくない。時々、そういう表現をする人たちがいる。 そういう人たちの表現は、私をとても安

          縁というもの

          ある人がある人と出会って、結果ある人とある人が別れる。 よくあることといえばよくあること。 その袋は容量が決まっている入れ物だから、ひとつ入ればひとつ押し出される。無くなった部分にはまた新しいものが(何かは分からないけど)入る。そういうふうになっているのかもしれない。 ある人は袋がパツパツのギュウギュウかもしれないし、ある人はスカスカかもしれない。 入ってくるものも出ていくものも、選んだつもりでも本質的には選べない。 逆らうことができない、何か大きな流れ。 それを昔の人は縁と

          縁というもの