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チャミ→なかしー(#2)

なかしーへ

私は今、家に帰ってきて洗濯をして気付いたら3時間くらい座ったままぼーっとしてました。
帰りの飛行機はかなり揺れました。向かい風が強かったみたいです。私はパニック障害があるため飛行機が本当に恐ろしくて、出来る限り乗りたくはないのですが、乗らないと仕方ない時は自分なりの対策やおまじないはもちろん薬やレメディやら色々持ち込んでいちばん後ろの通路側の席に座ります。その際にたまたま赤ちゃんが近くに乗っていると、とてもこころが落ち着くというか、ぐんと大丈夫になるのです。赤ちゃんが乗っているとホッとする。なんでだろう、かわいいのはもちろんだけどかわいいからとかだけではない、泣いててもいいの、理屈じゃなく大丈夫な気持ちになる。逆に周りがスーツ姿のサラリーマンばかりだと最悪です。緊張感が高まります。別にサラリーマンが悪いわけではありません。私のほうの問題です。だから最悪とか言ってすみません。でもスーツ姿の男性に囲まれるとなぜか緊張してパニックなのだから仕方ない。みんながカチッとした同じ服を来てることに対する緊張感があるのかもしれません。確かに学生服の集団とかに対しても苦手意識がある。でも女性は平気。満員電車もパニックを誘発するのですが、どんなに満員でも女性専用車両では平気だから、やっぱり男性に対して恐怖心や緊張感があるのだと思います。もちろん子どもは男女ともに平気です。そうすると大人、おじさんなのかな、と考えていくと、それは父親への恐怖心と緊張感が根っこにあるのだと気付き、あーあ、と嫌になります。だってこんなのって三つ子の魂百まで過ぎませんか?

振り返ると元夫は出会った時おかっぱでいつも女の人に間違われるくらい美人で私より若くて可愛かったし、それまで付き合った人も大きな声を出したり私のことをお前と言ったり強かったり体育会系だったりとかしない人でした。
私の父はいわゆる九州男児な上に理不尽で不機嫌でいつも怒鳴ってる鬼軍曹みたいな人で、思春期女子中女子校で過ごした私は男の人のイメージを刷新する機会が無いまま大人になってしまったように思います。加えて私はもともとが今でいうノンバイナリーという括りに入るそうで、女らしさもよく分からず、つまりそもそもが男女というものに関してはよく分からず、せっかくの地球のというか人間の醍醐味、と思われる恋愛とか結婚とかの部分がおそらくざっくりまるごと、みんなより分からないような気がします。もしも来世があるのならそこらへん追求してみたいけど、今のままの私ではめんどくさくて無理なので、来世は全く違う人格にならなければなりませんね。あとヴィジュアルもバージョンアップで願いたい。

で、砂浴なのですが、一緒に行ってくれて本当にありがとうございました。1人だったらビビって行けなかった!めぐちゃんが、募集あるよーのお知らせをくれたのもほんとにすごいタイミングだったね。お天気も今日は最高ってLISAさんも言ってたし、そうなんだ〜って思いました。
砂浴、こんなにもTHE地球!とダイレクトに背中に感じたことは多分初めてて、LISAさんにサクサクと埋めていただきながら、土葬とか植物の種とかの気持ちを感じつつ、見上げる空は高く青く、眼前には緑の木々や山、岩、川、足元の土からは太陽の熱を感じ、顔を撫でていく風は涼しくて、あぁ私は今地球にいるんだなあとしみじみ思っていたら、脳内で織田裕二のモノマネの人が「地球に生まれてよかったああああ!」と叫ぶので可笑しくなってしまい、隣で埋まっているなかしーについつい伝えたらなかしーが「私は世界陸上のときのあれなんでしたっけ、為末〜!でしたっけ?」とか言ってくるから面白すぎて爆笑し、2人で「為末〜!」とモノマネのモノマネで言い合いながら涙を流してゲラゲラ笑って、でも手が埋まってるから涙も拭けないし笑いは止まらないし、もうほんっとにくだらなすぎて可笑しすぎてヤバかったです。なんだったんだろうあの時間は笑。しかも砂が髪に入らないように頭に巻いた手拭いが前田さんの『前田の遠足』で送っていただいたお土産だったから私たちの脳内には前田さんも登場し、前田さんってほんとに無境界すぎるね〜と話は尽きず、とにかく楽しいばかりでした。
笑いながらも時々はすーんと瞑想状態のようになり、なりながらも身体はものすごくチクチクしたりしなかったり、なんだかんだと4時間経って砂から出たとき、まるで小学生のときの夏休みのプールの後の気だるさと満たされた感じの空気に包まれて、身体に当たる風が本当にまろくてやわらかくて、あぁ私は昔々、確かに世界をこんなふうに体感していたと、はっきり思い出しました。

着替えて微生物に感謝しながら砂地にトンボをかけ平たくしてお支払いをして、砂浴をアテンドして下さったLISAさんにさっきの砂浴の感想をお話ししたら『子どもの気持ちを忘れないでね。』と帰り際に仰ってくださった言葉が今も忘れられません。いや、子どものこころだったかな、記憶だったかな、その辺曖昧だけど、でも大丈夫、あの感覚を、ってことですよねきっと。

きっとね、私たちは子どもの頃、子どもをちゃんとやれませんでした。ちゃんと安心して子どもでいられなかった。だって子どもだから、お母さんが大好きだから。お母さんのことなんとか助けたくて頑張っちゃったね。
だからこうして大人になった今、また『為末〜!』とかモノマネのモノマネして、ほんとにどうでもいい話をして、くだらねー!ってゲラゲラ泣くほど笑い合いましょう。
私たちはこれからも、まだまだたくさん遊べるんだって思います。だって大人だから!また遊びましょうね!









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