「宇宙のあり方」を「自己のあり方」として生きる (儒教編①)【秩序と創造】
タイトル画像と「弱P弱P前弱K強P」でピンと来る方は同年代かもしれません。よろしくお願いします。
前回のポストで クソ長い 前フリも終わったので今回から本題に入ります🤤
4世紀頃に日本に伝わり、私達日本人の価値観や文化、モノの考え方に多大な影響を与えてきた「儒教」では『「宇宙のあり方」を「自己のあり方」として生きる』という東洋思想の根底に流れる考え方をどのように説いているかを紹介します。
※この記事が指す「儒教」は主に「孔子・孟子が大成した儒教」を指します。特に朱子学以降の新儒教の要素は含んでいません。この辺りの詳細は 面倒くさい 前フリ記事を良かったらご覧ください🤤👇
三行でサマる
ものすごく、超ざっくり、儒教(ていうか孔子)が説いている主張を三行で書くとこんな感じでしょうか。
まぁサラっと読んだだけでは「お、おぅ・・・?🤨」というリアクションしか出てこないと思いますが笑
「宇宙の秩序と創造」って何の話?
ていうか、いきなり「宇宙」とかいったい何の話?天文学かな?スピリチュアルかな?と思われるかもしれませんが、儒教(孔子の教え)を語る上で「宇宙」は超重要な要素です。誰にっていうと「古代中国人」にとってです。(※儒教は古代中国原産)。ついでにいうと「宇宙」は古代中国人だけでなく「縄文人」にとっても「古代インド人」にとっても超重要です。さらにいうと「古代ギリシア人」にとっても(以下略)。まぁ洋の東西を問わず、紀元前ン千年クラスの古代人にとって「宇宙」は「特別な何か」を見出す源泉だったわけです。
古代人中国人は「宇宙」にいったい何を見出したのか?それが「秩序」と「創造」です。具体的には、北極星を中心とした天体の規則的な動きの中に「秩序」を、生成と消滅とを延々と繰り返す自然の営みの中に「創造」を見出しました。
※なお、ここから先は「秩序」だけ取り上げます。理由は後述。
秩序の発見
中国の歴史は戦乱の歴史でもあります。紀元前の中国は広大な土地に様々な民族が住んでいました。東西南北周辺にはルーツの異なる異民族もいて、しょっちゅう戦争が起きていました。
古代の中国人は「なんで世の中はこんなに乱れまくってんの?」とさぞ嘆いたことでしょう。そんな時にふと夜空を見上げると、無数の星々が北極星を中心として一切の衝突を起こさず、規則正しく整然と動き続けていることに気がつきます。
これが「秩序」の発見です。そして
「この社会にも中心となるべき北極星を据えて、それを囲むように人々が動けば、社会の混乱や衝突は起きないはずだ!🤔」
「宇宙の秩序を地上に下ろす」。これが儒教における「秩序」の原点です。
地上に秩序を取り戻すべく、社会の中心に据える北極星のことを儒教では「天子(てんし)」と呼びます。なんで天子かっていうと、儒教では宇宙のことを「天」と呼ぶからです。
つまり「地上版の北極星」=「天の代行者」=「天子」です。これ紀元前2,000年とかもっと昔に考えられた話です。
もしかしたら「アレ?中国の王様って”皇帝”って呼ぶんじゃなかったっけ?」と思った方もいるかもしれませんが「皇帝」という名前が出てくるのはもうちょっと先(紀元前200年頃)の話です。まぁ「皇帝」も「天子」であることには変わりないんですけど。
ちなみに日本でも天皇のことを「天子さま」と呼んだりしますが、これはもちろん儒教の天子が由来です。そもそも日本の君主の名称を「天皇」にしたのは中国を意識した政治的な理由です。こういう所でも日本は儒教の影響を受けていることがわかります。なお、神道では「天皇」は天照大神(太陽)の子孫なので、天皇は太陽と北極星が同居した存在ってことになるんですかね。なんだかカッコいい(小並感)。
天子コレクション2022
そんなわけで古代中国では「天子」と呼ばれる人たちがたくさん登場しますが、今回はレジェンド級の「天子」を私の独断と偏見で3人ご紹介します。
題して「レジェンド級 天子コレクション 2022」
第3位 堯帝(ぎょうてい)
実在したかどうかも怪しい、神話の時代の天子様です。「書経」という儒教の経典の中で、その天子としての卓越したリーダーっぷりが特集されていますので、興味のある方はそちらをご覧ください。
孔子も「論語」の中で、堯帝を褒めちぎっております。
ちなみに、この堯帝が後継者に選んだのが舜帝(しゅんでい)です。これまた優秀な天子っぷりで、同じく「書経」に掲載されております。さらに「舜帝」が後継者に選んだのが「禹(う)」です。この堯舜禹の3代天子による治世は、世の中が安定しまくってマジスゴイねというもっぱらの評価です。堯舜の時代は神話扱いですが、禹が興した夏(か)は実在が確認されている中国史上最古の王朝です。紀元前1900年頃のハナシ。
第2位 武王 (ぶおう)
酒池肉林という四字熟語が爆誕するほど悪辣非道、傍若無人な振る舞いをしていた前任の天子、殷の紂王(ちゅうおう)に対して父(文王)と共にクーデターを起こし、新たに「周」という国を興した人。「封神演義」にも出てきます。
この「周」という国もこれまた安定した国で、孔子は「周」こそが世の中に秩序が戻り、人々が安心して暮らせる理想の時代だと考え「周」への回帰を訴えていたほどです。
とはいえ、孔子が経営コンサルしてた時代って漫画「キングダム」の時代なので、あんな荒れたご時世の中で「みんな!今こそ”周”の時代に戻そうぜ!」って言っても「TPOを考えて提案してこい」っていう厳しい感じがあったのではと想像しています。
第1位 太宗 (たいそう) / 李世民
1位はもちろん、皆さんご存知の「太宗」です!
え?ご存知ない?🙄
「唐」の2代目皇帝です。遣唐使で有名な「唐」を治めた2代目皇帝ですよ。太宗(たいそう)と呼ばれたりしますが、本名は李世民(り せいみん)です。
え?やっぱご存知ない?
「貞観政要」っていうハンパない書物があるのですが、その中で太宗の天子っぷりが描かれています。
それを読むと
と感動します。太宗が皇帝だった時代の元号が「貞観」なので「貞観政要」です。貞観の治世は中国史上稀に見る、国が安定して栄えた時代でした。貞観政要は徳川家康にとってのバイブルでもあります。「社会」のところは「組織」に置き換えれば現代でもあらゆるシーンで通用します。組織を束ねる立場にある人は全員読んだ方がいいです。出口治明さんの本が読みやすくてオススメです。
「徳」の登場
話を戻します。
「この社会に中心となるべき北極星を据えて、それを囲むように人々が動けば、社会の混乱や衝突は起きないはずだ!」
儒教における秩序の発見を、孔子は「論語」でこのように言っています。
「北辰」とは「北極星」のことです。
そしてついに出ました「徳」!!
孔子は北極星(天子)を中心に星が回ることと政治に「徳」を用いるのは同じだと説いています。「徳」とはそういうものであると。
この「徳」こそが、儒教において「宇宙のあり方」を「自己のあり方」として生きる上での最大のポイントであり、儒教の「合理性」の象徴でもあります。
ということで次回は「徳」を中心に説明します。
続きはコチラ
あれ「創造」はどこいった?
古代中国人が「宇宙」の中に「創造」を見出した、と言っておきながら途中から「秩序」の話しかしておりませんでしたが、これは単に私の勉強不足によるものです。
例えば「易経」は儒教における「創造」を担うもので、孔子もその編纂に携わったとされています。(どう考えても「孔子が編纂に携わったって、それウソ(後付け)でしょ?」って個人的に思ってますが)。個人的には道教(老荘)の方がよほど「創造」について語りやすいのですが。
儒教にも「造化」「生成化育」という創造の概念があることだけは知っているし、安岡正篤先生は「仁」こそが創造だと仰っていますが、この辺りを自分の言葉で説明できるほど咀嚼できてないので今回の記事では触れません。今後「儒教における創造とは何か」を説明できるようになったら改めて書こうと思います。ただ「秩序」と「創造」はセットであることは間違いないと思いますけど。
おまけ
北極星信仰は儒教だけでなく、同じく中国の土着信仰である道教でも同じです。また、仏教の中にも北極星を信仰する「妙見信仰」があります。これはインドから中国に仏教が伝わった際、中国の北極星信仰と習合した結果なんじゃないかと思います。妙見神社とかありますよね。でも北極星に「秩序」を見出したのは儒教だけなんじゃないかと思います。
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