「宇宙のあり方」を「自己のあり方」として生きる (儒教編②)【徳】って何?
東洋思想かぶれの者です🌝
わたしたち日本人の価値観や文化、モノの考え方に多大な影響を与えている儒教が『宇宙のあり方を自己のあり方として生きる』という東洋思想の根底に流れる考え方をどのように説いているかを紹介するシリーズその②です。
その①はコチラ👇
「そもそも東洋思想ってなに?」「そもそも儒教ってなに?」という方はコチラもどうぞ👇
古代中国人は北極星を中心として無数の星々が一切の混乱や衝突がなく動く様子に、争いが絶えず混乱した社会に安定と平和を取り戻すヒントを得ました。これが「秩序」の発見でした。(前回のおさらい)
この考え方は「論語」でも以下のように示されています。
「徳を用いて政治を行うこと」=「北極星を中心として星が回ること」
さて、「徳」って一体なんなんでしょう?🤔
徳ってなに?
「なんなんでしょう?」とか勿体ぶって言われなくても、だいたい雰囲気は分かっとるわ😏
という声が聞こえてきそうですが😂
それはその通りで、私たち日本人は小学校の道徳の授業や、祖父母・両親の教え、絵本で読んだ話などから「徳」という言葉の指すイメージというか雰囲気を肌感覚で理解している人は多いです。(これ自体が、ものすごく水準の高い話なんですけど)
・ルールやマナーを守ること
・他人に迷惑をかけないこと
・人としての道を踏み外さないこと
みたいな感じでしょうか。
「倫理道徳」という言葉があるように、倫理に近いイメージで徳を認識している人も多いと思います。
「倫理」としての徳、もちろんこれは正しいです。
イヤ正しいっていうか、そもそも正解も不正解もないんですけど🤤(誰も定義してないのでw)
ただ「徳」を「倫理」として捉えてしまうのは、儒教(孔子の教え)的にはちょっと狭いかもしれません。というか勿体ないです。「徳」はもっと広がりを持った可能性のある概念だからです。
松下幸之助の教え
突然ですが、松下幸之助 という人物をご存知でしょうか。
松下電器産業(現パナソニック)の創業者で、ホンダの本田宗一郎やソニーの盛田昭夫と同じく、日本の高度経済成長を支えた昭和の名経営者です。その卓越した経営哲学は多くの人に影響を与え「経営の神様」と呼ばれました。
私の東洋思想の先生である田口佳史先生は若い頃、日本有数のコンサル会社を経営していました。ある時、駆け出しの経営コンサルタントだった田口先生は、縁あって当時松下電器の会長だった松下幸之助に直接インタビューする機会を得ました。
以下は、その時の問答です(敬称略)。
<田口>
「松下さん、経営者にとって”一番大切な素養”って何ですか?」
<松下>
「うん?そらぁ君、運が強いことやな (即答)」
<田口>
「えっ、運ですか!?」
「えーっと、、、ではその、運が強くなるにはどうすればいいのですか?」
<松下>
「そらぁ君、徳を積むことやな (即答)」
(※台詞は多少脚色してますが😅)
一代で巨大な松下電器を築き、「経営の神様」とまで呼ばれた人が「経営者にとって一番大切な素養は何か?」と聞かれ「運」と即答したことにまず驚きです。
と思うのが普通のリアクションかもしれません。
でも、この松下幸之助の回答は儒教(孔子の教え)に照らすと至極真っ当です。
「せやな😌」
としか言いようがありません。むしろ、会社を経営するような立場にいる人こそ、こういう考え方を持ってくれないと下々の社員は怖くて仕方ないんじゃないでしょうか😨
「徳」の読み方がポイント
現代では「徳」は「トク」と読みますが、昔は「徳」を「イキオイ」と読んでいました。「勢い」の「イキオイ」です。
※昔っていっても江戸とか明治っていうレベルじゃなく、日本だと奈良時代ぐらいまでの話だそうですが(田口先生談)
儒教(孔子の教え)では、宇宙(北極星)=「天」の代理として地上に降ろした存在である天子(日本でいうと天皇)が地上に秩序と安定をもたらす責務があると考えます。天子のバックには権威&プレッシャーとして天がついてるわけですね。
したがって、天子が天(宇宙)の在り方に沿った行動をすればするほど天から支援(天佑/天恵)が得られ、天意(宇宙)の在り方に反する行動をすればするほど天からの支援を失います。天からの支援を失うと、戦争や飢饉が起きて社会が乱れ不安定になります。(この考え方を儒教では天人相関説といいます)
日本では飢饉や災害が起きると、天皇がこんな勅を出していました👇
これは
ようするに
「天の代理」としての責務を果たせなくてスマンかったということです。
「不徳」とは本来そういう意味で、決して脱税や不倫で吊るし上げにあった政治家や有名人が謝罪会見で使うような軽い言葉ではありません😂
「徳」=天意に沿った行動を取ること
繰り返すと「不徳」とは天(宇宙)の在り方に反した行動を取ることです。その結果、天からの追い風つまり天佑を得られなくなります。
逆に言うと
「徳」とは、天(宇宙)の在り方に沿った行動を取ることです。その結果、天から「追い風」を受ける、つまり天佑が得られます。
と思う方もいるかもしれませんね。もちろん科学的に証明されていません😅
でも、どこかでこういう表現を聞いたことがないでしょうか。
・セレンディピティ
・プランドハップンスタンス
・コネクティング・ザ・ドッツ
どれもここ10年ぐらいでかなり認知度されてきた考え方です。
とくにコネクティング・ザ・ドッツはスティーブ・ジョブズのスピーチで有名ですね。
確率論や統計論で考えたらありえない、論理的・科学的にそれを証明することは不可能だけど、実際には「そういうことって確かにあるよね」というやつです。
イノベーションを起こした人とか、歴史に名を残した人の伝記やストーリーを読むと必ずと言っていいほどこういう単語が入っています。
例えば、普段は絶対行かないような場所に、その日だけたまたま寄ってみたらそこで運命の出会いが…とか。偶然乗り合わせた電車で奇跡の再会が…とか。ひょんなことからこの技術を発見して…とか。
これを「天佑」と言わずして何だというのか?
その人が積んできた「徳」により「天」がその人を応援したからこそ、論理では説明がつかない奇跡的なことが起きるんじゃないの?🤨
これが儒教(孔子の教え)における人間と天(宇宙)との関係性の基本スタンスです。そして儒教の合理性を支える根本概念です。人間と天(宇宙)はそのような関係性にあるという前提で儒教は全て考えられています。
ここまでくれば松下幸之助が「経営者には徳が必要」と言っていた意味が分かりますよね?
個人の努力でできることにはどうしても限界があります。99%までは個人の努力でなんとかなっても、最後の1%だけは何か大きなものの助力を借りないと成し遂げることはできません。どんなに優秀でも、いざというときに天佑を得られないようでは経営者として失格だと松下幸之助は言っていたわけです。
ていうか、フツーに考えて運に見放されている社長の下につくなんて誰だってイヤですよねw
じゃあ、天佑を得られるように徳を積むのって、具体的にどうすればいいの?っていうのが次の話になります。
次回に続く!
コレってエライ人を対象にしたハナシ?
「天(宇宙)の代行者」のことを中国では天子と呼び、天子は国のトップでした。日本では天皇が天子のポジションにあたります。
ん?ってことは・・・
『人間と天(宇宙)との関係性』って、結局のところエライ人を対象にしたハナシじゃないの?現代で言うと「首相」とか「大統領」とか、あるいは松下幸之助みたいな大企業の「社長」とか。我々のような庶民を対象にしたものではないような?🤔
と思うかもしれませんね。
実際、孔子の時代はそうでした。だって孔子は戦国時代にこれを説いて回った経営コンサルであり、相手は経営者(各国の王様)ですからね。帝王学です。
でも徐々に
「これは、この現世社会に暮らしている人間全員が対象のハナシなんだよ」っていう風に変遷していきます。その辺りのハナシも書こうと思ってます。
つづく。
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