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教育とは引っ張り出す事

「教育」ってなんだろう。っていうはなしです。

神戸市の教員いじめのニュースは大変衝撃的でしたね。いま学校教育の現場は、この事件ほど陰惨ではないにしても、様々な問題が解決されない(というか解決できない)まま日本の未来を担う子ども達への教育がなされているわけで、何とも暗鬱とした気持ちになります…😨

私も地元の公立小学校・中学校に通ってましたが、いま当時の先生方と同じくらいの年齢になって改めて振り返ってみると

「あの先生、今考えるとマジでクソみたいな大人だったわwww」
「あの先生、今思うとイイ教師だったんだなー」
「あの先生、あのまま教師を続けられてるのか心配だわ・・・」

とか思ったりします。

そう考えると、割とマジな話、小学校の「担任教師」や中学校での「各教科の担当教師」のは、子どものその後の人生を決定づけちゃうほど影響力があると思います。

「中学のときの英語の先生がイヤで、それで英語が大嫌いになったんだよね。それ以来、ずっと英語苦手・・・」

みたいな人、周りにいませんか?

幸いなことに、私は教師がきっかけで特定の科目が苦手になったという経験がないので、そういう話を聞くとなんかもう「運が悪かったね…」としか言いようがありません。

一方で、先日ノーベル化学賞を受賞された吉野さんのように、化学の道を歩むきっかけになったのが小学校の担任の先生が薦めてくれた一冊の本だった、なんて素敵な例もあったりします。

自分で教師を選べない子どもからすれば、マジで外れたらシャレにならないくじ引き、「教師ガチャ」と言えるかもしれません。(「ガチャ」っていうと言い方がちょっとアレですが…)

だからこそ、ハズレ率を少しでも下げるために親はお受験をさせるわけですけど。

現実問題として、「教育」にアタリやハズレがあり、そのアタリハズレで人生が決まってしまうというのは何とも不健全な気がします。いったいいつからこんな風になったんでしょうか。

そこで、東洋思想では「教育」をどのように捉えているのかを整理してみました。

「教育」とは「引っ張り出すこと」

東洋の色んな思想哲学において「教育」に最も親和性が高いのはやはり儒家思想です。儒家思想の有名人といえば、世界三大聖人の1人である孔子孟子などです。あ、ちなみに世界三大聖人の残り2人イエスブッダです。聖☆おにいさんです。

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「聖☆おにいさん」(C)中村 光/講談社


話が逸れましたが、儒家思想では「教育」を次のように捉えています。

「教育」とは「引っ張り出すこと」である

何を引っ張り出すの?というと、ズバリ「」です。

」といってもSexualとかGenderという意味の「」ではありません。
英語だとCharacteristicが近いかもしれません。「」をあえて別の表現で言い換えるなら「天性」とか「人間性」とかいう感じになるでしょうか。

このポストでは「」で表現を統一しますが、しっくりくる表現で適当に脳内変換していただければと思います。

で、「」とは、人間としてこの世に生まれる時に誰もが「」から与えられるものです。

「そっか、キミは人間として生きることにしたんだね。じゃあコレを持っていくといいよ」

と、多分こんな感じで天から「性」を与えられて、私たちはこの世に生まれるわけです。「餞別」みたいなもんだと考えて貰えればOKです🙆

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しかしこの「」というのは、ただ持ってるだけでは発揮されず、かつ自分ではそれに気づきにくいものであるため、誰かがそれを外に引っ張り出さないとなりません。ゆえに儒家思想では「教育」とは「性」を外に引っ張り出してあげることだと考えます。

そして、その引っ張り方にもちゃんと「やり方」ってもんがあります。

「性」の引っ張り出し方 初級編(~3歳)

儒家思想によれば、「性」の中には人間として生きていく上で必要となる、いくつかの重要アイテムが含まれています。そして「」の引っ張り出し方によって引き出されるアイテムが違ってきます。

「性」の引っ張り出し方には、大きく分けて以下の2通りがあります。

●情緒的に引っ張り出す
●論理的に引っ張り出す

情緒的に引っ張り出すと、「」から「慈愛」のこころが引き出されます。
慈愛」とは情緒的・主観的な愛情です。わが子を守り庇い、可愛がり、世話をいとわず育て上げる、母親のような無償の愛です。
母性」によって「慈愛のこころ」を引き出すわけです。

論理的に引っ張り出すと、「」から「義愛」のこころが引き出されます。
義愛」とは論理的・客観的な愛情です。人間として行うべき道理を伝え、わが子の自立を願う、父親のような義を重んじる愛です。
「父性」によって「義愛のこころ」を引き出すわけです

なお「母性」と「父性」は、必ずしも「ママ=母性」「パパ=父性」ということではありません。ママだって父性を発揮していいし、パパだって母性を発揮していいわけです。なんなら、お兄ちゃんや叔母さんが母性父性を発揮したっていいわけです。重要なのは両者のバランスです。情緒的な引っ張り出しに偏ると「甘え」や「依存心」が強くなってしまうし、論理的な引っ張り出しに偏ると「委縮」してしまいます。

「性」の引っ張り出し方 中級編(3歳~6歳)

母性と父性で「慈愛」と「義愛」が引っ張り出されたら、次のステージに進みます。このステージでは、初級で獲得した「慈愛のこころ」と「義愛のこころ」をそれぞれ「上級のこころ」にグレードアップし、新たに2つの「上級のこころ」の獲得を目指します。

儒家思想では3歳~6歳までがこのステージだと考えてるようです。(早くないですかね)

「慈愛のこころ」→「惻隠のこころ」

「惻隠のこころ」とは、「困っている人を見て気の毒だと思うこころ」です。他人が困ったり苦しんでいる様を見ていたたまれなくなる、困っている人を見て何とかしてあげたいと思う、この感情を育てると、慈愛のこころから惻隠のこころにグレードアップします。

「義愛のこころ」→「羞悪(しゅうお)のこころ」

「羞悪のこころ」とは、「自分の不善を恥じ、他人の不正や悪を憎むこころ」です。初級編で引っ張り出された「義愛のこころ」に照らし、自分が「善い」と思えないことを自分がやったり他人がやるのが許せないという感情です。この感情を育てると、義愛のこころから羞悪のこころにグレードアップします。

「辞譲のこころ」

「辞譲のこころ」とは、「他人に譲り合うこころ」です。「オレがオレが」と他人より自分を優先させようとする自分を諫め、「自分は後でいいです。お先にどうぞ」と、他人に譲ろうとする感情です。

「是非のこころ」

「是非のこころ」とは、「道理に従って正しいことと間違っていることを判断するこころ」です。道理に照らして、善と悪を区別する感情です。

ちなみに、この4つ「惻隠」「羞悪」「辞譲」「是非」のこころのことを、「四端」と呼びます。将来、立派な人間性を発揮するため4つの兆し(端緒)という意味で四端です。

「性」の引っ張り出し方 上級編(6歳~)

さて、いよいよ上級編まで来ました。

上級編は、中級編で獲得した4つのこころ(四端)をさらにグレードアップさせ、最終的にその子が「立派な大人」に成長するのに必要な「4つの要素」を獲得させることがゴールとなります。

先に結論から書くと、それぞれ以下のようにグレードアップを図ります。

●「惻隠のこころ」→「仁」(benevolence)
●「羞悪のこころ」→「義」(righteousness)
●「辞譲のこころ」→「礼」(courtesy)
●「是非のこころ」→「智」(wisdom)

仁義礼智」なんて言葉を聞いたことあるかもしれませんが、儒家思想で「立派な人」というのはこの4つの要素を備えているとされ、この4つを獲得するように「性」を引っ張り出すことが、儒家思想における「教育」の最終目的です。

ちなみに、それぞれの要素はこういう心です。

「仁」=「思いやり」相手の立場や気持ちを理解しようとする心
「義」=「みんなのため」利害を捨てて、公のために尽くそうとする心
「礼」=「正しさを保つ」規範に従い人間としての在り方を守ろうとする心
「智」=「善悪の判断」是非や善悪を判断しようとする心

」と「」は「人間性」に影響します。
」と「」は「社会性」に影響します。

また、この4つに以下の「信」を加えて、「五常」と呼んだりもします。

「信」=「うそ偽りがない」欺かず、言葉を違えず、誠を貫こうとする心

まとめ

以上のような「性」を引っ張り出すという教育のルートマップはこんな感じになります。

人間教育ルートマップ

ちなみに、この教育ルートマップを提唱したのは孟子という人です。

この教育システムは、江戸時代までは日本の標準教育でした。すべての子どもは、15歳で大人の仲間入り(元服)するまでに「仁義礼智」をしっかりと身に着けさせることが社会全体の責務だと考えられていたからです。

現代は、いい年こいた大人が「仁義礼智」どころか「惻隠・辞譲のこころ」レベルで欠落してるんじゃないかと思う人がたくさんいます。

少なくとも「教育」という点に関してだけは、もし江戸時代の教育システムが今も続いていたら、現代の教育現場で起きている陰惨で悲惨な数々の問題はもっと減ってるんじゃないかと思います。

おしまい。

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