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組織を率いるリーダーがまずやるべきこと

突然ですがみなさん、「リーダー」やってますか?😃

「いや、何のリーダーだよw」

というツッコミが聞こえそうですが、何でもいいんです。たとえば仕事でチームを率いるチームリーダーとか、プロジェクトを推進するリーダーとか。

組織上のリーダーとしては部下がいる課長や部長というポジションもリーダーです。当然CEOもそうです。店長とかバイトリーダーなんかもあります。あるいは自治会長やPTA会長、クラブ活動やサークルの主将・キャプテンなどもリーダーといえます。

こんな風に色んなコミュニティで「リーダー」と呼ばれるポジションは必ずあるはずです。「リーダー」とは、その組織を率いて未来に導く責任がある立場の人ですね。(名ばかりの雇われリーダーというケースもあるでしょうけどw)

そんな「リーダー的な立場にある人が組織を率いるとき」に心がけるべきことが、なんと2500年も昔の書物にいい感じで書いてあったので、今日はそれを紹介します。

その書物とは「大学」という書物です。

「大学」ってどんな書物?

先に言っておきますが、「大学」といっても東京大学とか慶応大学とかの大学とは違います笑。書物の「大学」は「大いなる学び」という意味なので、英語で表現するならUniversityではなくGreat Learningということです。

この「大学」は、古代中国で生まれ日本にも4世紀頃に伝来した「儒教」という思想哲学の経典の一つです。「あれ?儒教って韓国の宗教じゃなかった?」と思った方もいるかもしれませんが、それは半分正解で半分誤りです。この辺は書くと長くなるので別の機会に・・・

で、儒教の経典は「四書五経」と呼ばれ、以下の九つの書物を指します。

四書五経の中の一つが「大学」なわけですが、大学の特徴は何と言っても、この四書五経の中で最も易しい「入門テキスト」の位置づけであるという点です。実際、江戸時代は寺子屋に通い始めた子どもにはまずこの大学をテキストに使っていたくらいですから、現代風にいえば「大学」とは小学校一年生向けの教科書ということになります。

イメージとしてはこんな感じです。

ちなみに江戸時代、何で四書五経が読まれていたの?ていうか仏教はどこいった?と思うかもしれませんが、これは単に儒教が「江戸幕府のお墨付き」だったからです。現代で言うなら「文科省推薦」だったわけですね。

徳川家康が天下統一を果たした際、もう信長や秀吉がいたときのような血生臭い戦国時代と決別するため「これからは武力で国を統治するのはやめるべ!」と考えたわけです。で、武力に頼らなくても安定した国家運営ができるノウハウがバッチリ書いてあったのが四書五経であり、儒教だったわけです。で、儒教の偉い学者を幕府お抱えの顧問に据えて「江戸の人は皆、四書五経をしっかり勉強してね!」となったわけです。その点、仏教はそういう国家運営のマニュアルとしては不向きなんですね。個人が自己の内面と向き合うには向いてるんですが。(とはいえ全く使えないことはないと思いますが・・・聖徳太子は仏教で国を立て直そうとしたくらいなので)。

ちなみに、あの有名な二宮金次郎さんが薪を背負いながら熱心に読んでいる書物も「大学」だったりします。熱心に入門書を読んでたんですね、金次郎。私の地元の小学校にもありました。

何が書いてあるの?

「大学」も儒教の経典の一つなので、他の四書五経の書物と同様、超ざっくりと誤解を恐れず言えば「処世術」が書いてあります。処世術なんていうと上手い世渡りの仕方を学ぶハウツー本のように聞こえますが、決してそんな浅いものではなく「健全な社会とはどうあるべきなのか」「組織というものはどうあるべきか」「人を活かすにはどうすべきか」みたいなことが色んな観点からたくさん書いてあるわけです。HRがホットな令和時代の今にもバリバリ通用する考え方や原則が満載です。弊社の人事部は百回くらい読んだ方がいいんじゃないかと思います。

なので、四書五経を読めば「世の中って本来はこうあるべきなんだなー」とか「だとすると、自分はこういう風に動いた方がいいんだなー」ということがわかってくるという寸法です。(って私も全部読んでるわけじゃないですけど)。そういう意味での「処世術」です。決して楽して旨い汁を吸うためのテクニック集ではありません。

とりわけ「大学」は儒教の入門書なので、パラ見した読者を離さないように、冒頭からグイと掴んできます。その「つかみ」の部分に、今日の本題である「リーダー向けの心得」が書いてあるわけです。

で、なんて書いてあるの?

大学の冒頭部(経一章)に、以下のような文章があります。

古之欲明明德於天下者。先治其國。欲治其國者。先齊其家。欲齊其家者。先脩其身。欲脩其身者。

これだけ読んでも「なんのこっちゃ」ですね。私もわかりません笑

これの現代語訳は色んな本やサイトでされているので詳しくはそちらを見ていただくとして、ざっくり何を言っているかというとこんな感じです。

古来より、世の中を安定させようと努めてきたリーダーというものは、世の中を安定させる前にまずその元となるをしっかりと治めたものだ。
で、その国を治めようとする人というのは、国を治める前にまずその元となるをしっかり治めたものだ。で、その家を治めようとする人は、家を治める前にまずその元となる我がをしっかり修めたものだ。

要するに、より大きな”何か”を安定して治めたかったら、それを構成するサブの要素を安定させておかなければならない。そのサブ要素には自分自身も含まれるよ、ということです。図にするとこんな感じ。

いやいや、世の中とか国を安定って・・・総理大臣の仕事だしw

と思うかもしれませんが、単にスケールの違いだけで誰にでも当てはまります。「世の中」や「」のところを自分がリーダーとして率いるべき組織に置き換えて考えてみてください。

例えばあなたがプロジェクトリーダーやチームの長ならこうなるはずです。

つまり、自分が率いるべき組織を長く安定的に治めようと思ったら、まずその組織を構成する各メンバーとリーダーである自分との関係性が治まってないと話になりません。で、各メンバーとの関係を治めるには、まず自分の家庭内が治まってないと話になりません。で、家庭内を治めるには、まず自分自身が修まってないと話にならない、ということです。

この順序をすっ飛ばして、例えば自己修養がままならない人や、家庭内が不和状態にある人がリーダーになっちゃうような組織は長続きしない、と言ってるわけです。(身近にあるある過ぎてなんとも耳が痛い話)

先日も、現役の農水事務次官が息子を殺害した事件がありました。息子を殺した父親は農水事務次官だったわけですから、農水省内で多くの部下を持っていたことでしょうし、将来は農水大臣の座も見えていたはずです。どんなに職務上は優秀であっても、残念ながら家庭内はまったく治まっていなかったわけです。たとえこの事件が起きなかったとしても、家庭内にこんな不和を抱えた状態で農水大臣になったとして、果たして安定した組織運営が長続きできたでしょうか?

ホントはまだ半分(八条目)

このように、リーダーとして組織を安定的に率いるためには、その前段階として自分自身を含めて治めておくものがある、ということが大学の冒頭に書いてあるわけです。こんな内容を小学校一年から読んだ子供が大人になっていくわけですから、今度新しく一万円札の顔になる渋沢栄一のような偉人がそりゃーたくさん出るわ、と思いますね。
(明治5年の教育制度改革で、西洋式の教育になったので今はもうないけど)

ちなみにここまで説明した4段階ってまだ半分で、ここからさらに4段階あります。つまり、「身を修めようと思ったら、まずその前に~」っていうのがさらに4つ続きます。今回紹介した4段階と後半の4段階を合わせて、己を修め人を治めるための根本原理として「八条目」とかいいます。後半の4段階も機会があればどこかで紹介します。

さいごに

「儒教」って聞くと、ほとんどの人は「知らない」「なんだかよくわからない」っていう中で、一部の人は「目上の人の命令は絶対」とか「礼儀や作法にうるさい」とか「男尊女卑」みたいなイメージがあるようなんですが、あれって韓国ドラマの影響なんでしょうか。チャングム的な。だとしたら、それってものすごい偏った捉え方をしてる気がします。儒教は仏教よりも早く日本に伝来して古くから日本人の日常に根付いてますし、今の韓国に残っている儒教はオリジナルの中国のものとも日本の儒教とも違うので。

おしまい。

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