田口佳史(TAGUCHI, Yoshifumi) / 東洋思想研究家
誰でも知っている、誰でも使っている言葉でも、その本来の意味が存外知られていない言葉を、これから五つ上げて(挨拶・我慢・無念・成仏・合掌)その真なる意味を明らかにしましょう。
ここ数世紀は西洋の考え方で全球(グローブ)を賄って来ましたが、やっと東洋思想に出番がまわってきたのです。 これこそ日本が世界的に認識されるチャンスであります。
「論語」の名言。 徳とは何か。 私は「自己の最善を他者に尽しきること」と解釈しています。 最初は自分に命じて、注意してやっていますが、そのうちそれが性格になってしまうから、別に意識しなくても徳をふるうことになります。 徳をふるわれて嫌な気になる人はいませんから、好感を持つ間柄になります。 したがっていつも周りに親愛を持つ人がいることになります。 人生は結局は良い友人を持つかどうかです。 是非ここに力を入れて暮して下さい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 叡智を、動画で!学
「荘子」の言葉です。 君子とは立派な人物で、そういう人達の交友は「あっさりしたもの」だといっています。 では普通の人物の交友はどうでしょうか。 このフレーズの続きに「小人の交は甘くして醴(れい)の若し」とあります。 醴とは甘酒のことで、“べたべたしたような”という意味でしょう。 真に信頼関係にあると、関係を強めているのが相互の信頼ですから、それさえあれば他には何もいらない。いやむしろ他の気遣いや配慮は不必要になります。 昔の軍人の会合に「淡交会」という名前が多いのはこの
「しむりょうしん」仏教の言葉です。 人間にはそもそも四つの美しい心が備わっているというのです。 その四つの美しい心とは「慈・悲・喜・捨」 「慈」とは、慈(いつく)しみの心。人も物も愛情をもって大切にする。 「悲」とは、悲しみをわかちあう心。一緒に悲しんであげる。 「喜」とは、喜びをわかちあう心。一緒に喜んであげる。 「捨」とは、施(ほどこ)す心。何かを人にしてあげる。 この四つの心は更に二つの心になり 「慈悲」とは、その人の身になって寄り添ってあげる心。 「喜捨」とは、
「おのおのそのねにふっきす」 「老子」の言葉です。 「おのおの」とは各人、「其の根に」とは、根本に、人間の根本とは何か。 「命(いのち)」です。 「命に帰れ」といっているのです。 ここ一番、何か人生の大ピンチ、大チャンス、大勝負などの時には、「命に帰れ」、これまで生かしていただいた感謝、誠の有難さをじっくり思念してみろ。 そこで何を思うかだ。 そこで思ったことだけを考えて「命がけで」やってみろといっているのです。 毎日生かされてこその大ピンチ、大チャンス、大勝負なのです
私がつくづく思っていることです。 人間は愉快に生きる為に生まれているのです。 それはまず仕事が面白くなければなりません。 仕事が面白くなるのは多少は努力が必要です。 努力に必要なことは何でしょう。 その努力が自分の「天性天分に合っているか」なのです。 天性天分に合っていれば、努力を続けることが出来ます。 努力が苦痛でないからです。 天性天分ぐらい重要なことはありません。 どうですか? 自分の天性天分を熟知していますか。 ======= 江戸時代の教育のひどく優れた要
「礼記」の言葉です。 言葉だけで人を判断してはいけないという意味です。 人間は言葉を持ち、それを口に出して言うことが出来ます。 最近の世の中で特に気になるのは、こうした「口の旨い人」が何と多いか。 実に美しく時には感動するようなことを言いますが、行動が伴(ともな)っていないのです。 演説などを仕事にする人ばかりでなく、一般のごく普通のおじさん、おばさんも、実に「口が旨く」なってきたのにはつくづく感心します。 “オレオレ詐欺”などもその最たるものではないのでしょうか。 〜
「ふかく」仏教の言葉です。 「不覚にも……」というように使います。 思わず、知らずの言動をいいます。 本来の仏教の言葉の真意は、大分違うようです。 人間はそもそも生まれながらに「覚(さとり)の心」を持って生れて来るのです。 これを「本覚(ほんがく)」といいます。 ところが育つ過程で、私欲などでこれを忘れてしまうのです。 したがって「覚の心」とは、本覚を持って生れて来た本来の自分に気付くこと、 これを「不覚」思わず、知らずに出る本覚という意味なのです。 〜〜〜〜〜〜〜
「たみまぬがれてはじなし」 「論語」の言葉です。 「規則」で組織、人間集団をまとめていこう。 「罰則」で食(は)み出す人を無くしていこうとすると、「民免れて恥無し」多くの人々は規則や罰則を破っても、何とか逃れることを考えうまく免(まぬが)れると、自慢さえするようになる。 それは「恥」を失っていくことになる。 つまり「厚顔無恥」の人間を育成していくことになるといっているのです。 「コンプライアンス憲章」などにばかり頼るのでなく、立派な人間とは何か。 「徳や礼を大切にしてい
「むじゅうしょねはん」 仏教の言葉です。 ねはんとは、サンスクリット語のニルヴァーナを音与したものです。 煩悩をすべて消した状態、つまり悟りの境地に入ることを意味しています。 ここで我々が考えるべきは、悟りの境地に入ることを目指すことも良いのですが、 むしろ理想的な暮し、仕事などの在り方を一回しっかり考えてみることであると思います。 いわば、「実生活における涅槃」を思い描くことこそ大切だと思います。 それでないと、どの様な目標に向って毎日生きているのかが判然としなくなりま
「こううんりゅうすい」 仏教の言葉で私が一番好きな言葉といえば、これです。 この言葉にはどれだけ助けられたか。 見上げれば、青空に浮かぶ雲がゆっくりと動いて行く。 下を見れば清い水が流れて行く。 何かすべてが流れて行ってしまうような気がして、少々心配なことなどあっても、この言葉を思い出し、この光景を思い浮かべれば必ず心が晴れます。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 叡智を、動画で!学びを、いつでも、どこでも。 『幕末の偉人』
「論語」の言葉です。 立派な人間は、人の長所を見て長所を伸ばすことを心がけるといっています。 更にいえば、なるべく相手の嫌なところを出させない会話の仕方というものがあります。 相手の人を怒らせたり、不愉快にさせれば、それは当然相手の嫌なところを出させることになります。 したがって「礼儀正しい」ということがとても大切なことだということがよく解かります。 こちらが非礼無礼になれば、当然相手もそうなるものです。 ================ 叡智を、動画で!学びを、いつ
「だいよくとくせいせい」 仏典「理趣経」の言葉です。 欲を否定している仏教が、何故欲を説いているのでしょう。 どうせ欲を持つなら大きな欲、「大欲」を持ちましょうといっているのです。 自分だけが幸せになろうとするからいけないので、皆で幸せになろうというならそれは違った意味を持つといっているのです。 いまこそ自分、自国といわないで、皆で、地球全体が安定することを願う時代です。 この時代に最もうってつけの言葉です。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 叡智を、動画で! 学びを、いつで
「論語」の言葉です。 とかく自分中心になりがちになり、何で私のことを認めてくれないのか、何で私を評価してくれないのか、など思うものです。 ではあなたは他人のことをしっかりと知っているか。 どういうことが好きで、嫌いなのかなど知っているか、といわれれば、全く返す言葉もないのではありませんか。 何事も自分がまずやって、そして他の人に要求することが必要です。 うまく生きるコツはまず何事も自分からです。 ================ 叡智を、動画で!学びを、いつでも、ど
「ねんねんこれこうねん、にちにちこれこうじつ」 私のように80年も生きていれば、愉快な年もありますが、不愉快な年もあります。 一日一日についても全く同様です。 しかし、思い返してみるどの年もどの日も、実に懐かしいものです。 貴重な日々、かけがえのない年々であったと、つくづく思います。 そういう日々、年を与えてくれていることに感謝することが大切です。 「生きてるだけで百点!!」
「幕末の偉人」 一人ひとりの『偉人たる所以』を詳細に分析し丁寧に解説致しました。 勝海舟・西郷南洲・佐久間象山・横井小楠・渋沢栄一・吉田松陰、「幕末の偉人」一人ひとりの偉人たる所以について、生い立ちからその生き様についての要訣を濃密に凝縮させ、学ぶべき要点について田口佳史が丁寧に解説した動画講義です。 ※無料サンプル(3分)動画は、こちらからご視聴できます。 (本編は、各30分動画です) 「大転換期を切り開いた偉人たち」から学ぶべき要点(ダイジェスト版)https://w
お待たせ致しました! 多くの皆様方のご要望にお応えし 本日(1月31日)10時 『動画講義』用のサイトを公開致しました! これまで多くの「タオ・クラブ」ファンの皆様より、以下の様なご要望を頂戴しておりました。 ・通勤時間に集中して学習できる「30分程度の濃密な動画講義」を作成して戴けないか。 ・スマホ、タブレットでも気軽に視聴できるタオ講義(できれば動画)を企画して欲しい。 ・比較的短時間の動画講義ならば、家事・育児の合間をみつけて柔軟に学べます。 ・反復学習こそ