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指先で触れる

*さわる*

去年見たドキュメンタリー番組で特に印象に残った一本を挙げるなら、それはNHKで放送された「心が躍る生物教室」です。

その内容に本当にびっくりしました。それはさわる授業でした。

冒頭のナレーションはこんな風に始まります。

教室を出て行われる生物の授業。色鮮やかなツツジの花は子供たちに見えていません。でも心の中にイメージが広がります。触ったり匂いを嗅いだりあらゆる感覚を使って植物を観察します。
このユニークな授業を行っているのは東京都内にある視覚特別支援学校。触る力を研ぎ澄まし、生き物たちの豊かな世界を心の中に描きます。(中略) 音や匂いそして手触り。感じたことは何でも伝えあいみんなで成長します。心躍らせて学ぶ子どもたち。その傍らで見つめた1年と3か月の記録です。

こんな授業があるのか!と驚きました。

1枚の葉を指先で触り、唇でふれ、匂いを嗅いで、見落とされがちな植物の特徴を自分なりの言葉で表現する子どもたち。視覚に障害のある中1の生物教室だ。
“​触る授業”は進み方がゆっくりだが、丹念に観察すると発見する喜びが湧くため子どもたちは知識を深めてゆく。「目が見えないことは障害ではなく個性」との思いが込められた楽しい授業。見えない世界をみずみずしい言葉で描いていく子どもたちの姿を一年にわたって見つめる。
- 番組HPより -


触ったことがありますか?新緑の季節の葉っぱを。どんな手触りがするか?

クスノキの葉っぱを触った子どもたちは教えてくれました。水分たっぷりのやわらかい葉っぱと、枯れかけた固い葉っぱがあることを。

やわらかい葉っぱは 枝の先のほうにあるんだって!知ってました?

確かに木をよく見ると葉っぱの色の違いに気がつきます。枝の先っぽにあるのは きみどり色の若葉。でもふだんは気がつかないのではないでしょうか?私の目には「新緑の木々」と映るだけ。それで事足りるからです。でもその奥には豊かな世界がありました。世界をさわる楽しさを、私はこの番組から学びました。

触ることで葉っぱの姿を捉えようという試み。子どもたちが次々に表現するみずみずしい言葉に魅了されました。子どもたちは何でも言葉にして伝えあう。それは視覚に障害があるからなんだけど、本当に生き生きしています。

中学1年生だったらお互いの目を気にしながら遠慮する年頃なのかな。でもそれはできないんです。だから彼ら彼女らは言葉で伝えあう。言葉が行きかう教室、それがとても新鮮でした。ここでは何を言っても自由。子どもと一緒に発見を喜ぶ先生の授業はまさに「心躍る生物教室」でした。

ユニークだったのが葉っぱ当てゲーム。7種類の葉っぱに、子どもたちがオリジナルの名前を付けます。葉っぱの特徴を表すような名前。かたちや手触りそして匂い、どこに着目しても自由です。

名前を当てるのは先生たち。子どもたちが命名した名前カードと、並べられた葉っぱを比べながら正解を当てるゲームでした。先生に当ててもらうため、観察して意見を交換しながら葉っぱの特徴を見つけるユニークな授業です。子どもたちの自由な発想の名付け方が面白い。

これ何の葉っぱか分かりますか?

植物A:ツルカタコウタク(ツルツルして固くて光沢があるから)

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  答え:ツバキ

植物B:ヨクモミアンニン(よく揉むと杏仁豆腐のような匂いがするから)

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  答え:サクラ

植物C:ウラフワトゲトゲ(うらに柔らかい毛、ふちがトゲトゲだから)

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  答え:ビワ

楽しそう。こんな授業受けてみたい!

自分たちの付けた名前は、目の見える人にも通じるのか?そこから出発して客観性を身に付けたり、相手に伝わるように心を砕くコミュニケーションの大切さを覚えたり、学びの多い授業だと感じました。

学びとは見つけることではないでしょうか?自分の内側にないものを、外側の世界で発見して、自己に取り込む行為。

大人の学びはまさにこれですよね。学生時代は教えられるばかりで、学びの本質を分かっていませんでした。

教科書=先人が興奮しながら発見した歴史のいっぱい詰まった書物。そんな読み方ができるかも?なーんてことを夢想したのでした。

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*それぞれの感受性*

【感受性】外界からの刺激を深く感じ取り,心に受けとめる能力。-大辞林-

感受性とは、感覚の受け皿のようなものでしょうか?

その大きさやかたちは人それぞれ違って、成長にともなって少しずつ姿を変えてゆくのでしょう。大事なのはその受け皿をどんなもので満たすかということ。選ぶのは自分。だって自分の感受性なのだから。

「心が躍る生物教室」で気づいたことがあります。それは視覚の存在感。

目が見えるということは、その多くを視覚に頼ってるということです。それ以外の感覚もたくさん感じてるはずなのに、それを受け取れないことがあるのではないでしょうか?感受性という受け皿からこぼれる感覚の小さな粒。

目を閉じて指先で触れる。そうして初めて見える世界がありました。

視覚に限らず何かひとつ感覚をオフにすれば、ふだん受け取れない感覚が流れ込んでくるのかもしれません。

大事なのは感受性という受け皿をどんなもので満たすかということ。

心は自由です。

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*世界を知る*

NHKのサイエンス番組『ヒューマニエンス「"皮膚" 0番目の脳」』の放送が興味深かったです。

  ■ 触覚 について ■

・触覚は赤ちゃんが外の世界を探るために最も早くから使うセンサー
・妊娠7週ごろから胎児は子宮の中でいろいろ触れることを始める
・胎児は触れることで、自分の体とそれ以外を区別できるようになる

母親のお腹の中で、すでに自我の萌芽が起きている生命の神秘。
これを知ってひたすら感動しました。

自分に触れ、相手に触れ、自分の輪郭が分かつ外側の存在を知る。
それがヒトとしてのスタートライン。
そうか、生まれる前からキミはもう始まってたんだね。

私たちは触覚を中心に見たものや聞いたことを結びつけて、脳を育て、世界を知っていくのだ。

赤ちゃんから幼児、そして子どもから大人へと、私たちは成長します。気の遠くなるほど多くのことを、私たちは触れることで学んだはずです。

指先で触れることは、世界を知ること。

大人になれば見慣れた世界に新しいことはないように思えます。
でもそれはあくまでも目に見える世界の話です。

指先で触れる世界を感じてください。
あなたの心に何が見えますか?


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