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エッセイ

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#いま私にできること

年賀状に映すもの [2021年版]

我が家の年賀状は、毎年特別な思い入れをもって作られています。 2005年のブログにはこんなことを書いていました。 我が家の方針は家族写真を使った年賀状づくりです。子供だけの写真も微笑ましいのですが、こちらの近況を知ってもらうには家族全員写ってる写真が分かりやすいかなと思ってます。 *** 私にとって年賀状とは1年という月日をハガキサイズにまとめたものです。 1年を総括したものが"年賀状"であるという位置付けです。年賀状の便りで家族の1年を伝えたいという思いが込められてい

そよぐ風や波がもたらすもの

当時 mixi に書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 ※今まで書いた中で一番長い文章。ゆっくり時間をかけて書き上げました。 =2009.08.17の日記= 「そよぐ風や波がもたらすもの」 私たちにできることは何なのか 何をすべきなのか、一度そんなことをきちんと考えてみたいと思っていました。そんな時思い出したのが『ペイ・フォワード』という映画。何かヒントがあるかもしれないと思って見てみました。 世界を変える方法を考え それを実行してみよう! これが主人公のい

サウンド・オブ・サイレンス

当時ホームページに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 結婚して初めてのクリスマスイブに書いた日記です。 =2000.12.24の日記= 「サウンド・オブ・サイレンス」 忘れられないクリスマスの想い出がある。 まだ結婚する前、彼女と知り合って半年、初めてのクリスマスの話だ。 2年前のクリスマスイブ、彼女からクリスマスカードが届いた。それを手にした私はその時ひどく驚いていた。なぜなら私たちのクリスマスは先週末に済んでいたと思っていたからだ。 ◇ 当時私たちは

繭の外へ *フィルターバブルからの脱出*

コクーン化、エコーチェンバー現象、フィルターバブル。これらが何を指す言葉かご存じの方はいるでしょうか? この3つの言葉にはどこか似た響きがあります。 直訳するなら コクーン(繭)化、エコーチェンバー(共鳴する部屋)現象、フィルターバブル(フィルターによって包まれた泡)となるでしょうか。 繭、部屋、泡。これらに共通するのは外界から閉ざされた内側の空間があること。繭の中で過ごす私たちの現代の姿が、冒頭に挙げた3つの言葉です。 ◇  それぞれ簡単に説明すると、こんな意味に

繭の外へ *noteを始めた理由*

緊急事態宣言が出た今年の4月。私は家族にこんな話をしました。 これから世の中はこんな風に変わっていくだろうと。 私が考えたのは3つのフェーズ(局面)です。 自衛 → 構築 → 連帯まず自分たちの生活をどう守るか。それが"自衛"です。仕事や勉強のことなど、全てがそれまでのようには出来なくなってしまいました。どうすればいいのか考えて即行動に移さないといけません。まずは身を守る。 試行錯誤の中、新しいメソッド(手法)が生まれてくるに違いない。以前の世界に戻らないなら、自らを変

【よみがえる遺産】Shadows as Athletes

バトンを受け取りましたので、書き始めます。 同じこと感じてる人がいるか分からないですが、小さな声が届くのなら聞いてもらえるとうれしいです。 私はnoteが好きです。書くより読むほうが好きです。自分の好きな人たちの記事を読むのが好き。そして好きな人たちと一緒に笑ったり、いろんなこと語り合えたら幸せだなあと、そんな思いで自分のnoteを書いています。 だからバトンリレーの企画を見かけると戦々恐々としてしまいます。楽しく読ませてもらうのですが、これが自分に回ってきたらどうしよ

人を見る目の話2

当時 mixi に書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 =2009.02.07の日記= 「人を見る目の話2」 沢木耕太郎の『旅する力・深夜特急ノート』を読んで、あっと声を上げそうになりました。前回私が書いた「人を見る目の話」に通じるものがこの本にも書いてある! 旅について深い考察を巡らせた沢木耕太郎らしい思慮に富んだ意見なので、自分用のメモとしてこの日記に書いておきます。 それはこんなクエスチョンでした たとえば、旅をしていて、誰かと知り合う。そう、外国を

人を見る目の話

当時 mixi に書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 =2009.02.03の日記= 「人を見る目の話」 人を見る目があるのは、人を信用する人と信用しない人、どちらだと思いますか? NHKの「サイエンスZERO」のシリーズに「ヒトの謎に迫る」というのがあって、先日その第3回が再放送されていました。タイトルは「実験で解き明かす!心に潜む仕組み」。そこで興味深い実験が紹介されていました。それが冒頭のクエスチョンです。 どのような実験だったかは省略しますが、結論か

大きな喜びと大きな悲しみと

当時ブログに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 =2008.02.11の記事= 「大きな喜びと大きな悲しみと」 悲しみの反対は喜びだと思っていた。 でも最近それは違うんだと思うようにしている・・。 悲しい事件や事故がニュースで流れるたびに、やりきれなくなる。もしこれが自分の家族に起こったらとか、自分だったらとか。そんなことを考えると、いてもたってもいられない気持ちになる。だけど、起きてもいないことを心配しても仕方ないし、そんなとき感情を持て余してしまってどう

一人ひとりが小さな恒星であれ。

当時 LINE に書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 シュンヤ 中学1年生、ユースケ 高校3年生 の頃。 【 2018年9月の我が家はこんな感じ 】 ※(私:群馬)、(妻&シュンヤ:福岡)、(ユースケ:高校進学で他県在住) ※(2018年4月:私が群馬に先に単身で転勤)、(10月:妻&シュンヤも遅れて群馬に引越し予定) という半年間だけ3拠点生活だった頃の話です…。 ( 私から 家族のグループトーク に送った文章 ) =2018.09.22のLINE= 突然

スタンド・バイ・ミー

当時ブログに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 =2004.11.20の記事= 「スタンド・バイ・ミー」 言葉は命である。 哲学者の池田晶子は、著書『あたりまえなことばかり』で書いています。 死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではなくて言葉である。宗教ではなくて、言葉である。 この文章を読んだときの衝撃を忘れることができません。なんて力強い言葉なのだろうか。人が人らしく生きるために必要なのは医療や宗教ではなく、言葉であると気づきま

やさしさの型

当時ブログに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 =2007.06.11の記事= 「やさしさの型」 最近、江戸しぐさが注目されるようになってきました。その中でとりわけ私の興味を引いたのが「うかつあやまり」。足を踏まれたとき、踏まれたほうも謝るというものです。 足を踏まれたら、踏んだほうが当然謝るべきだと考えた自分に気づいて、ちょっと驚きました。江戸しぐさでは踏まれたほうも謝るという。その発想がいつのまにか私にはなくなっていました。 足を踏まれて、痛みに顔をし

祈りとは 諦めないこと

当時ブログに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 =2004.09.19の記事= 「祈りとは 諦めないこと」 何気なく読み始めた新聞のコラムの最後の一行を読んだとき、思いもかけなかった言葉に殴られたような衝撃を受けました。それはこんな言葉。 「祈りとは、諦めないということである。」 9月12日付の西日本新聞の「いまこの時代に」というコラムで作家の村田喜代子が寄せた文章です。知人の娘さんが、看護学校で先生に聞いた話から始まります。 最近のアメリカでは死体が腐

祈るということ

当時ブログに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。 =2004.08.18の記事= 「祈るということ」 「みなさん、世界の方、どうぞ、平和な、一日(いちじつ)も、平和な日が、訪れますように。ただただみなさん、仲良く、日々(にちにち)を、過ごさせていただきますように・・」 こうインタビューに答えたのは岡村 迪子(みちこ)さん(95歳)。終戦記念日の8月15日、戦没者追悼式でのことでした。 その日ニュースでその映像を見ました。夜寝るときになぜかその言葉が思い出され