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ごちゃついている苦悩 01

社会性に馴染む才能が欲しかった。

いつもこうつぶやいている。
父は「文章を作る才能はある!動画も作れる!それで仕事できるじゃないか!!!」って言ってくるけどだからといってそれで社会復帰できるわけがない。
未経験で長い空白期間と年齢のせいでそのような世界に入りたくても入れないのだ。門前払い。

そりゃそうだ、社会が欲しいのは即戦力であり「可能性のある人員」ではない。そもそも自分は可能性なんてない、そもそも最初は良い人に見えて、後々クソゴミの使えないイライラする嫌われ人間として成り立ってしまう。

この苦悩にかかってから二年も経つのだろうか?話したいことが山ほどあって、どこから話せばいいのか分からないぐらいの蓄積の苦悩。

いくら嘔吐してもまだまだ出てくるような苦悩。

・・・

全ての始まりは自分が小学生の頃なのかもしれない。
この時ハッキリ覚えてるのは授業をマトモに受けず、教室をうろうろしてロッカーの隙間に入ったり校長室に行ったり保健室とかに籠ってる記憶だ。

いつ精神科に行ったのかはよく覚えてないが「多動症」と診断された事は覚えていた。

それからして薬で抑えられていたが中学時代、同級生とトラブルを起こしてしまい精神病院へ入院することになった。

この事に関して父親からは「絶対口外するなよ!」とかなり強く言われている。理由としては

「キチガイ扱いされて差別されるぞ!」

と、元々父親自体プライドがバカみたいに高くむしろプライドしかない人間なので自分に対して大きい抑制をしてきた。これのせいでデカい苦悩の原因となるのだが、それはまた後々話す。

精神病院を退院した後は何事もなく過ごせていた、最終学歴の専門学校までは・・・ひと悶着あったがあまり関係はない。

専門学校卒業後は長いバイト生活をし、20代後半にて初めてようやく社会人として活動することが出来た。

だがしかし、ここから苦悩の始まりであった。

最初は病院食であった、朝は4:30にスタート、休憩時間なんてスズメの涙。ヒステリックなパートやモラハラ先輩に合ったりと、そして10時間労働も当たり前で お金は沢山入ってくるが休みがバラバラで連休も無く365日労働なので精神に限界を迎えた。

耐え切れず退職、次なる職へ行った。

次は学校給食だ。元々学校給食が大好きで、こういった所なら楽しくやれるだろうと思っていた・・・が現実は甘くなかった。

朝は早いが前回よりはマシ、だが早めに出社しないと準備や納品チェックに間に合わない、しかもそれが就業時間に入らない。
給料は安く、時間の追われ方が前回よりシビアで、少しでも遅れると毎日チーフやサブチーフ、先輩にガミガミ怒られる。

帰宅しても書類作業があったりして帰宅しても安らぎの暇もなかった、限界がきて気が狂ってしまった。

そしてしばらくして自分は異動が決まってしまった、今まで片道30分前後の職場があろうことか一時間半になってしまった。

ひたすらに遠いし、そこのチーフと栄養管理士がめちゃくちゃ怖く、しかも給料をガッツリ下げられてバイト以下の賃金で働かされていた。

我慢できず退職、退職もチーフにガミガミ叱られて最後も見送られる事なく消えるような退職になってしまった。

・・・

次の仕事は「シーシャ屋」であった。

自分は作ることが好きで、シーシャも好きだった。だからこそ今度こそはと思ったが、やはり現実が突き付けてきた。

現実というかそこのオーナーが鬼厳しい人であった。暴言や暴力を示すような発言や嘔吐レベルまで責められその上担当する場所がトラブルだらけでむしろまるで自分に死神がついてるような気分であった。

だがそこで唯一分かった事があった。
ある日の事、凡ミスをしてオーナーから

「お前精神病院行った方がいいぞ?」

と、言われたのだ。
普通の人間なら言いにくい発言だが、ある種暴言を吐けるという強さが自分を気づかせてくれた。

自分はずっと健常者と思って生きてきたし、障害なんてないと思っていた。

ただ人生の失敗を振り返ると自分は明らかな「発達障害」でトラブルを引き起こしていたことが分かった。

調理師時代はみんな「頭がいかれてるゴミ」と、思っていただけなのだろう、だが病院へ行って調査してもらった方がいいなんて誰も言わなかった。

父親も自分を健常者だ健常者と思い込みさせていた。ほぼ洗脳ではあった。

父親のプライドと自分の思い込みのせいで人生は破綻へと向かっていった。
この先は地獄だ、まるで悪夢というか人としてのは破綻の道を突き進む事になった。

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