見出し画像

【小説】未来の純文学

 もとより国体とは、国の根本的な在り方や、国の特色を意味する言葉である。だが、大東亜戦争の後、国民体育大会という言葉を捻り出して、その略称をしれっと意味に付け加えた。報道機関を利用してそれを定着させた。結果、言葉の意味はすり替わり、国の在り方を考える国民は劇的に減った。言わずもがな、GHQの指導を受けてのことであり、敗戦国として牙を抜かれた訳である。
 とはいえ、負の側面ばかりではない。戦後百三十年経った今も、あれから一度も戦争をしない平和な国である。一時の繁栄からすると、経済的には随分見劣りするが、古より伝わる文化や品位を守り、近隣諸国とも適度な関係性を保っている。天皇陛下もお変わりなくご健在である。国民の勤勉性も何ら変わりない。今更、先に触れたような、敗戦国たる屈辱をあれこれ蒸し返すべきではないだろう。

 一方で、文学の在り方は大きく変わった。ロボットが筆を執る時代である。十年余り前に、UKIGUMOと名付けられたロボットが、なんと性の悩みを主題にして、芥川賞候補になる小説を書いた。話題集めの選考に過ぎないなどと一部で批判されたが(次回からロボットの執筆は選考外)、その作品は商業的な成功を収めた。翌年の映画化が後押しとなった。そして、ロボット文学に参入する会社は、雨後の筍のように現れた。
 だが、その流行は長続きせず、完全にロボットが書いた小説は、めっきり減った。今の主流は、ロボットと人が共作する形である。膨大な過去のデータ分析に沿うロボットと、先例に囚われない斬新な発想ができる人と、要するにデジタルとアナログの融合である。互いの欠点を補うことで、新時代の文学が生まれた。
 かくして、純文学という言葉は、純粋に人が書いたものを指すようになった。言葉の意味は変わっても、純文学とされるものは少数であり、概して面白みに欠ける。この小説がつまらないのも、そういう訳である。どうやら人が面白いと感じるものには法則性があり、余程の天才でなければ、ロボットを使いこなした者に太刀打ちできない。
 ロボットといっても、大抵ホログラムの映像である。最も売れている口述筆記ロボットANNAの場合は、手の平サイズの本体機から立ち現れた女性の映像に、思いついた話を語るだけである。すると、あれこれ助言を与えてくれる。辛口から甘口まで、その度合いを設定できる。ではこうしよう、ああしようと、ただ喋っているだけで、ロボットが機械的に整えてくれる。人が着想した雑味が多いほど、個性的な作品になる。完成したデータは指定した場所に送ってくれる。
 口述筆記による小説は、遠い過去の名作にも存在する。先のANNAという名前は、ドストエフスキーの“賭博者”を口述筆記したとされる女性に由来する。文豪の二番目の妻である。ただ、ロボットとは異なり、助言や改変などはしなかっただろう。

 さて、今日は一人の変わり種を紹介したい。自ら落ちぶれることを選んだ温室育ちの男である。名前は飛翔と書いて、“かける”と読む。
 上り調子の家業を継ぐはずだった彼が、どこで道を間違えたかと言えば、三島由紀夫の作品に出会った高校時代である。寸暇を惜しんで読み耽り、自分も書きたいという欲求を抑えられなかった。文体はおろか、書く行為も真似て、電子機器を一切使わず、余りにも古典的な四百字詰め原稿用紙に、心の内を書き付けた。高じて、小説家を志すようになると、それに強く反対する父親と不仲になった。激しく言い争ったのは、複数回に及ぶ。
 家庭だけではない。彼は学校でも上手くいっていなかった。文武共に目立たず、何故か周囲に馴染めず、どこのクラスへ行っても孤立しがちだった。じめじめと叩かれる陰口が時折耳に入った。明確ないじめを受けたことはないが、小馬鹿にされている感覚が常にあった。
 故に、飛翔は見返してやりたいという野心が強かった。父親を始めとする親族、及びかつてのクラスメイトに、どうだと言わんばかりの小説を書いてみせたかった。それには世間に認められ、有名になる必要があった。見返すべき相手は皆、文学のぶの字も分かっていないからだ。
 必ず認められる日が来ると愚直に信じて、様々な新人文学賞に投稿を重ねるうちに、書くしかない生活に堕ちてしまった。全く芽が出ない自分を、天才と言ってくれる四つ年上の恋人に寄生した。社会経験を積まない儘、ずるずると三十路を迎えてしまった。いつか恋人に見限られる不安があり、早く志を果たさなければならないのだが、彼は人の意見にあまり耳を貸さない。純文学に拘っていた。尤もらしい口実とは裏腹に、著者としての名誉を欲しているが故である。ロボットと名誉を分け合うつもりはなく、作家の権威を貶めるロボットの宣伝に力を貸すつもりもない。

 そんなある日、投稿した作品が初めて最終選考に残った(受賞は逃す)。ロボットに著作権を奪われた男の話である。非凡な輝きと評した選考委員の一人が、出版社を通じて「会いたい」と連絡してきた。異例のことである。
 その著名な純文学作家は、“物柿太郎”というペンネームを使っている。飛翔は彼の作品を読んだ記憶がなかった。ふざけた名前だと思っていた。慌てて購入した電子書籍の代表作に目を通して、暑い盛りの後日、都内の喫茶店で顔を合わせた。
「いやっはっはあ、あっついねえ」
 しきりにハンカチで顔の汗を拭う物柿太郎は、作家然とせず、気さくな雰囲気の中年男性である。数年前に撮ったプロフィール写真のほっそりした姿は、詐欺と言わざるを得ない。注文した品はクリームソーダである。
「おじさんじゃ駄目ですか?」
 飛翔はウエイトレスと息を合わせるように失笑した。そして、自分の作品に対する貴重な意見に耳を傾けた。なんと二年程前に投稿した作品も読んだ上で、文才を認めてくれた。書き続ければチャンスはあると言ってくれた。思わず涙が出そうになった。
「ただし、君の作品からは強い邪念が滲んでいる。それはきっと、名誉欲の類ではないか」
「なるほど。心当たりあります」
「直ちに捨てた方が良い。失礼な言い方で申し訳ないが」
「邪念を捨てる・・・。難しいですね」
「一つ提案がある。ペンネームを使ったらどうか。自分という人間から離れるんだ」
 飛翔は正鵠を射る提案だと思った。邪念を捨て去れば、大胆な作風にも挑戦できる気がした。
「何か良い名前ありますかね?」
「おお、それなら最適な名前がある」
「お聞かせください」
「たけもと、ゆういち」
「地味な名前ですね」
「私の本名だよ。将来有望な君に、是非とも使ってほしい」
 二人は顔を見合わせ、にたりと笑った。

 半年後、飛翔は或る新人文学賞を受賞した。竹本雄二という名前で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?