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【小説】パーフェクトガールが死んだ頃


 部活帰りの空は、もの悲しい茜色に染まっていた。街路樹の梢を揺らす風が、火照った体を冷ましてゆく。
 僕は秋が苦手だ。特に夕暮れ時は、訳もなく気が沈む。いつもの四人でこうして歩く足取りも、自然と遅れがちになる。
「どうした?」
「なんでもないよ」
 悠真の問い掛けにそう答えると、ふいに一輝の足が止まった。何かメッセージを受信したのか、手元の小さな端末を見ている。
「どうした?」
 三人同時。同じ問い掛けの声が重なった。鬱々とした僕ですら笑ったが、一輝は端末に目を落としたまま深刻そうだった。
「あのさ、パーフェクトガールの女優・・・」
「菜々子ちゃん?」
「今日自殺したって」
「自殺!?」
 ぴったり重なったその声に、今度は誰も笑わなかった。
「自宅マンションから飛び降りたって書いてある」
 一輝は端末の画面を大きく頭上に立ち上げた。ついさっきのニュースであり、芸能界に疎い僕ですら顔と名前を知っている。
「これって・・・」
「映画と同じだよな」
「そうなの?観たことない」
「主人公が最後に飛び降り自殺するんだよ。私はパーフェクトガールって呟いて」
「俺らと同じくらいだろ?」
「まだ十七」
「なんということ」
 そして、しばらく沈黙が続き・・・
 なぜか別れ難くなり、駅のマクドナルドに四人で長時間居座った。ファンと呼べる者はいなかったが、驚きと悲しみを皆が口々に語った。今後何か悩みがあったら、この仲間に打ち明けようと確認し合った。小さく頷いた僕に、視線は多く向けられている気がした。

 寝付きの悪い夜が明け、僕は初めてパーフェクトガールを自宅で観た。封切りは令和十六年とのこと。つまり三年前の映画だ。
 物語の主軸は、フィギュアスケート選手として脚光を浴びる女子中学生の苦悩だ。彼女は周囲の、ひいては国民の期待に応えようと、完璧を志向する。氷上の演技もさることながら、ルックス、受け答え、そして私生活に至るまで。口癖はノーミス。ミスのない演技という意味だ。激しい重圧と、思春期特有の体の変化で、次第に思い描いた演技ができなくなり・・・
 自殺を図るラストシーンは、観ていられなかった。完璧にならなくていいんだと叫びたかった。演じる女優の大人びた表情が、現実を投影している気がした。
 なぜ誰も止められなかったのだろう。
 僕はよく知らない女優の死に思いを馳せた。何もする気にならず、いたずらに日曜日を消費した。

 週明けの学校では、自殺を考える特別授業が設けられた。それくらい有名な女優だったと改めて理解した。パーフェクトガールとは、出世作となった彼女自身を指す二つ名のようで、映画を観たことがある人?という先生の問い掛けに、クラスの七割方が挙手をした。授業中ずっと、昨日観た映像と音楽が頭から離れず、少しばかり不謹慎なことを考えた。
 誰かに似ているんだよな・・・

「英語科の天野美月って知ってる?」
 休み時間、悠真にそう訊かれて思い出した。同時に、彼が何を言わんとしているか察した。
「ああ、似てるね」
「大正義みっちゅん」
「なんだそれ?」
「そう呼ばれてるんだよ。彼女こそ正義。たしか鳥を飼ってるからちゅん」
「遥斗が好きなんだっけ?」
「好きっていうか憧れ?好きとか憚られるよね。俺たち庶民には」
 いや、そのみっちゅんっていう子も庶民だろうと思いつつ、反論はしなかった。大正義とは、何やら皮肉交じりだが、そう呼ばれるだけの清廉さがあると、遠目でも窺い知れた。

 次の休み時間に悠真と行った場所は、英語科の教室だ。理数科とは異なり、女子率が高い。友人を探すような振りをして、大正義みっちゅんを観察した。
 スカートの丈も、ブラウスの襟元も、折り目正しく身に付けている。髪型はポニーテールで、いかにも勉強ができそうだ。よく見ると、顔立ちは言うほど似ていない。ただ、雰囲気と立ち姿が、まさにパーフェクトガールのそれだ。すっと背筋が伸びている。
 そのような感想を、自分たちの教室に戻りながら一輝に伝えると、バレエを習っているらしいと言われた。
「なんで知ってるの?」
「大正義だから」
 僕はくすりと笑った。どうやらみっちゅんとは、皆の憧れのようだ。誰かが出し抜いて交際をしたら、大変なことになると思った。

 平日の部活帰りは遅くなる。四人で帰る際、とっぷり日が暮れていた。みっちゅんを話題にして、僕も冷めたような顔をせず、積極的に喋った。明るい心持ちを意識した。誰もみっちゅんと喋った経験すらないくせに、彼女を大袈裟に褒め称え、汚いことは絶対にしないと、トイレにも行かないらしいなどと、子供っぽい噓を盛った。悪意なく盛り上がった。
 馬鹿な男子で結構。そんな状況を重ねるうちに、同世代の女優が自殺したことなど忘れてゆくだろう。昨日感じた悲しみは、すでに薄れている。だから生きられるのかもしれないが。
 やや駆け足で前に出た遥斗は、くるっと振り返り、恥ずかしげもなくこう言った。
「諸君、我々はみっちゅん同盟である」
 賢い女子たちよ、笑うがいい。
「諸君だけにお教えしよう。実は・・・」
「おおお!」
「明後日九月三十日は、みっちゅんの誕生日である」
「きたぁああ!」
 そして、四人でハイタッチ。特に意味はない。みっちゅんの誕生日だからって、明後日何かが起こるわけでもない。
 ふと夜空を見上げると、たなびく雲間から月がのぞいた。たしか四日前が満月で、それは中秋の名月だった。もしかすると、美月と命名されたみっちゅんは、名月の夜に生まれたのかもしれない。九月の終わり、十分可能性がある。
 その場で調べた。自分たちが生まれた年、つまり令和二年の中秋の名月は、いつだったのかを。
 ネットの情報によると、惜しくも十月一日。みっちゅん誕生の翌日だった。
「悲報」
 僕はそう呟き、自分の予想が外れたことを打ち明けた。みづき、と発音して。
「づじゃなくて、み、つ、き」
「ああ、濁らないんだね」
「っていうかさ、満月じゃないからいいんだよ。本当のみっちゅんは、どこかに欠点があるはずさ」
 一輝のその言葉に、僕ははっとした。他の二人も頷いた。
「完璧じゃないからいい」
「それだよ」
「みっちゅんはパーフェクトガールではない」
「そういうことだよ」
「きっとさ、美月っていう名前は、少しだけ欠けた月を表してるんだよ。みっちゅんが生まれた日のように。これってさ、少し欠けてるからいいっていう意味と、人生をかけて満月にしなさいっていう激励と、二つあるんじゃないかな」
「お前、天才かよ」
「恐ろしくいい名前」
「感動した」
 そして、また四人でハイタッチ。買い物袋をぶら下げた通りがかりのご婦人に、訝しげな視線を向けられたが、気にせず馬鹿を続けた。美しい月の光に照らされながら。

 とはいえ、月はこちらに表しか見せない。月の裏側には何があるのだろう。
 芸能人であれば、故人になっても光の裏側を探られる。憶測を交えて語られる。興味を持って調べるほど、その行為が疎ましくなった。薬物に手を出して飛び降りたなどとは、確かな証拠もなく言ってはならない。確かだとしても、僕としては言ってほしくない。大っぴらにせず、近親者の中で留めてほしい。
 僕はみっちゅんについて、誰かに尋ねようと思わなかった。何かこっそり知ったところで、彼女を好きになっても嫌いになっても困る。できる限り馬鹿でいたいのだから。四人の誰かがそれに飽きるまで。

 みっちゅんの誕生日は、マクドナルドでお祝いすることになった。もちろん本人不在の誕生会だ。それぞれ持ち寄ったプレゼントは、四人で交換することになるはずだ。
 朝から爽やかに晴れていた。空はみっちゅんを連想するような青だ。僕は昨日のうちに、彼女の誕生日に相応しくない、ど派手なブラジャーをネットで購入してあった。みっちゅんを汚すなと、笑ってくれることを期待する。受け取りは今日、部活前にコンビニの予定だ。もしも紙袋や段ボール箱に入っていない、もしくは内容物が分かる状態だったら、なんだこれ?と驚くつもりだ。
 昼休みに宅配状況を検索すると・・・
 使い慣れない端末で注文したせいか、うっかり届け先が自宅になっていた。神の悪戯をも疑うべき事態に、大慌てで帰宅した。母が受け取れば開封しかねない。

「今日僕宛てに何か届いた?」
「どうしたの突然。何も届いてないわよ」
 宅配状況もお届け済みに変わっていなかった。今日どうしても使う教材が今から届くと嘘をつき、自宅でそわそわと待った。
 ほどなくして届いた荷物は、白い紙袋に入り、ラベルの品名の欄に衣類と印字されていた。

 自宅で開封せず、それを小脇に抱えて学校に戻った。校門のセンサーに学生証をかざして、入った広場には誰もいない。冗談で買った物に苦しめられ、二つ目の授業をサボっている時間帯に、笑いを堪えて歩く。四階建ての校舎の窓はところどころ空いていた。白いカーテンが揺れている。
 え?噓だろ・・・
 屋上に女子生徒の人影だ。立入禁止のはずだ。しかもそれは、ポニーテールのみっちゅんに見えた。勢いよく踏み出した瞬間、パーフェクトガールの映像が頭をよぎった。
 駆け上がった先のドアは半開きになり、日の光が差し込んでいた。普段は鍵のかかった屋上へ出ると、たやすく乗り越えられそうな壁の手前に、しなやかな後ろ姿があった。すっと美しく立ち、どこか遠くを見ている。
「おい!」
 息を切らしながら声をかけた。振り返るまでの時間が、やけに長く感じた。みっちゅんは顎に白いマスクを付け、タバコを吸っていた。気怠げな視線が僕を捉える。
「死ぬと思った?」
「・・・今話題になってるからね」
「私似てるって言われるの。いい迷惑だけど」
 そう言うと、手慣れた様子で蓋付きの小さな灰皿にタバコを収めた。可愛らしいディズニーのストラップが付いている。
「まさかタバコを吸うなんて意外だね」
「何それ?私のこと知らないくせに」
「知ってるよ。大正義みっちゅん。天野美月だ」
 彼女は吹き出して笑った。
「鳥を飼ってる、バレエを習ってる、そして今日は誕生日」
「おお、気持ち悪いほど凄い」
「もっと気持ち悪いこと知ってる」
「聞かせて」
 美月という名前の由来について、僕たちの妄想を語った。きっと実際は、月が美しい夜に生まれたなどの、簡単な由来だと思ったが、後付けとしては完璧で、実に気持ち悪い内容だ。
「始めに言っておくと、私は君と付き合えない」
 なんと、告白もしていないのに振られた。
「いや、好きだったらこんなこと言ってない」
「私の名前だけどね、両親もディズニーが好きなの。だからミッキー」
「ミッキー?」
「みつきー」
「ああ・・・」
 一瞬がっかりした後、笑いがこみ上げてきた。やはり完璧は崩れ去る。愛すべき馬鹿たちに早く教えてやりたい。
「君は死にたいと思ったことある?」
「あるよ」
「あるんだね。私もあるけど」
 彼女は顎のマスクを口元に上げた。表情を隠すためだろうか。
「僕たちが生まれた頃って、皆がマスクを付けてたらしい」
「もちろん知ってる。私たちは困難を乗り越えた世代とか言われるけど、だからって強いわけじゃないよね」
「特に何も変わらないよ。いつの時代も馬鹿じゃないと生きられないんだ」
「さっきの完璧じゃないからいいって話、今度使わせてもらうね。今日誕生日だし。プレゼントとしていいでしょう?」
「ああ、プレゼント。もう一つあるよ」
 僕は携えていた白い紙袋を開封して、中身をひょいっと差し出した。

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