闇を感じてはいけない
先日、用事があり、夜行バスで往復し、高齢の母1人が住む実家に一泊させてもらった。
母は80代だが、料理好きで、常備菜や保存食を作り、食生活の充実度は半端ない。
最近は、畑で野菜を作り、食べきれないのでラジオ体操の仲間などに、お裾分けしあったりしている。私が外出から帰宅すると、玄関先に、土のついた葉付き大根やら青菜が大量に並んでいて、どうしたの?と聞くと、近所の方が畑で出来たものを持参してくれたらしい。それを洗って、保存できるよう、テキパキ動く母。
毎日、山のふもとの広場に何十人かが集まるラジオ体操の若い仲間が、犬の散歩ついでに、母にお惣菜を持参してくれたり、母は得意の料理を若い主婦さんに教えてあげたり、1人暮らしながら、近所と人と、持ちつ持たれつつの暖かい人間関係を作っているのは、自分の親ながら、お見事だと思う。
1人で頑張るより、子供らの世帯に同居したり、施設に入る選択肢もある話しをしたら、家を維持し管理して守るために頑張るのが自分のモチベーションだから、それがなくなると元気がなくなりそうとのこと。苦労しているようで、それが意欲になってるのだ。
確かに、80代1人暮らしとは、思えないほど、掃除や部屋、庭、畑の管理が行き届き、花を活けたり、細部にも気遣いや、キチンとした暮らしの息吹を感じる、よい気の漂う家空間になっている。
次の法事は、遠方の身内が集うからでなさいと言われて、もしかしたら出れないかも、、と言うと、協調性がない身内のように言われた。
皆が苦手とする腫れ物に触るように接する必要のある親族も参加するので、法事という先祖の霊を偲び、先祖のおかげを実感する儀式的な表と、苦手な親族がいるネガティヴな裏側の、清濁あわせのむ時間を過ごすのが、今の私には苦痛だから、、と伝えた。
家の維持がモチベーションの母には、清濁合わせ飲みながら、つつがなく先祖供養の行事を実施し、家族や親族の絆を確かめ合うことが重要なんだな、、と思った。
私は法事に出るかどうかわからない、他のみんなみたいに、ネガティヴな思いに蓋をして、家のための儀式をつつがなくこなすためだけに遠方から寄り合い、闇をみないで、やりすごすことが苦手だから、、と伝えると、母は、少し非国民を見るような目をして、なるべく法事に出なさいよ、と言った。
そんな時間を過ごした後、仕事に戻り、ネガティブな内容を扱う必要があった。なるべく闇をスルーして、綺麗事で済まそうとする自分になっていて、違和感があるのに、まる〜く収めてしまった。少したって、仕事モードが蘇った時、違和感を大事にしなきゃと感じ、他の同僚にも意見を聞きながら、仕事内容を違和感に基づいて修正した。同僚たちは、そんな違和感感じていたのに、なぜ、まる〜く綺麗事で収めちゃったの?と、笑った。
その時、家のために自分の感覚を殺さないで生きれる環境で、生きようと思った。
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