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努力家とアベンジャーズ 「明治生命館」

こんにちは!
先日開催された東京建築祭についての記事が
とてもたくさんの方に読んでもらえたみたいで
嬉しさのあまり爆音で「Driver's High」(L'Arc~en~Ciel)を聞いて車通勤しております!
ありがとうございます😊

今回はその東京建築祭で見学した
明治生命館について
見てきた時の熱が冷めないうちに
ご紹介しようと思います!

「昭和初期オフィスビルの最高峰」
と言われたこの建物は
ハンパない努力家と
当時の建築界アベンジャーズが関わり
歴史に名を刻みつけるように建てられた
名建築であるというそんなお話です!

それでは参りましょう!!



これぞ最高峰!


明治生命館は昭和9年(1934)に建てられました。
元々この場所には煉瓦造りの三菱第二号館があり
明治生命はその中のテナントの一つでした。

昭和3年(1930)明治生命の業務拡大にともない
隣接する建物を建てることになり
コンペが開催され採用されたのが
岡田信一郎の案でした。

隣接する建物をって話でしたが
岡田信一郎の案は
今ある建物を壊して新しく造る!
というもので元の三菱第二号館は無くなり
現在の形になりました。

立ち姿が美しい

明治生命とは保険の会社
つまりは金融機関なワケです。
安っぽい建物では誰も信用しないのです。

そこでこの建物は外観から
「ウチは昔から金持ちの金融機関です」
と示さなければいけませんでした。
ではどう金持ちに見せたかというと

①外壁


外壁は荒々しく力強い表情を演出する
ルスティカと呼ばれる石積みが採用され
その加工の手数の多さから金額も張り
富を誇示する要素となっているのです。

ルスティカ
石造建築で,壁の表面を滑らかにせず,目地(継目)を際だたせたり,石材面を突出させたり,凹凸を目だたせて,荒々しく力強い表情をもたせる技法をいう。

コトバンクより

②ジャイアント・オーダー


この建物の最大の特徴である巨大な柱。
オーダーとは1階分の柱を意味しますが
1階を突き抜けるサイズの柱を
ジャイアント・オーダーと言うそうです。

古代ギリシャやローマの建物によく見られる
伝統的な歴史を感じさせる柱が何本も並び
柱の頭には長寿や繁栄を表す
アカンサスの彫刻が施され
ここが格式の高い建物であると語っています。

この外壁と柱を持ち合わせた外観を見た瞬間から我々は無意識にここが
「昔から金持ちの信用できる金融機関」
であることを認識してしまうのです!

印象って大事。

だが、それだけではない。

そう、外観だけが優れているなら
そんな建築はたくさんある。
明治生命館が最高峰と言われたのは
設備も最新だったからなのです!

①メールシュート

この建物は8階建てなのですが
郵便物を各階から投函できる
メールシュートが各階2カ所に設置されていました。
1階には各階からの郵便物が集まる
郵便箱が設置され
効率的な業務ができました!

②吸塵バルブ


これ一番驚きました。
各階にこのバルブがあってホースを繋げて
掃除機かけると
館内に張り巡らせた配管を通って
地下二階のバキュームポンプに埃が集まるていう。

この時代にもうそんな設備あったの!?
明治生命館すげぇや!!

③暖炉と見せかけて・・・


なんて素敵な暖炉でしょう!と思ったら
これは火を焚く暖炉ではなく
空調コントロールの為の通気口(?)だったそうです。

内装も古典様式で格式高く見せつつも
実は近代的な使い方だったという
センスを感じるポイントです!



「才能は開化させるもの」


某バレーボール漫画の名言を拝借しました。

この明治生命館を設計したのは
岡田信一郎という方です。

先ほどこの建物が西洋の古典様式を取り入れた
格式の高い印象を与えていることをお話しましたが
実は設計者の岡田信一郎は病気がちで
一度も渡航経験がないのです!!

にもかかわらず
この明治生命館だけでなく
大阪の中央公会堂の原案や
東京の鳩山会館を手がけるなど
古典様式に精通し
「様式建築の名手」と呼ばれました。

重厚な扉

今ではネット環境があるので
調べたいことはすぐに調べられるし
写真もカラーで鮮明ですが
当時はネット環境なんてあるわけが無く
写真もモノクロが普通。
そんな時代に一度も海外の建物を見ることなく
取り寄せた資料と自らの研究で
ここまでの実績を残したという
その努力は想像できないほどだったでしょう。

まさに岡田信一郎は自らの才能を開化させた人でした!

神秘的な階段ホール

しかし、昭和7年(1932)
病には勝てず明治生命館が完成する前に
亡くなってしまいます。
その後は弟の岡田捷五郎が引き継ぎ完成させました。



建築界のアベンジャーズ


努力の天才イチローも
1人では試合すらできないように
岡田信一郎も1人では明治生命館は造れません。

それではこの建物に関わった
そうそうたるメンバーをご紹介しましょう!


曾禰達蔵

コンペの審査員で岡田信一郎の案を採用した人。

日本近代建築界の基礎を築いた
ジョサイア・コンドルに学び
東京駅の設計者である辰野金吾と共に現在の東京を築いたと言うような建築界の重鎮
(この辰野金吾との関係性が難しい・・・)

最初に「三菱第二号館を壊してこの明治生命館を建てた」と書きましたが
その三菱第二号館は曾禰達蔵とジョサイア・コンドルが建てたもの。
岡田信一郎はその曽禰達蔵に
「三菱第二号館ぶっ壊して新しいの建てる!」と
喧嘩売ってるように捉えられても仕方ないことを言っているわけで。

でもそこで「無礼なっ!」とならずに信一郎の案を採用したところに器のデカさを感じます。

並ぶシャンデリアが優雅


内藤多仲

構造設計した人。
誰もが知ってる名古屋テレビ塔・通天閣・東京タワーを手がけた人物。

この人がいなかったら日本各地のタワーは存在してないか
存在したとしても地震で倒壊しています。

天井の彫刻。間近で見るとものすごく繊細


梶田 恵

家具のデザインを担当。
大正12年(1925)にパリで開催された「アールデコ展」にて入賞するなど世界的にも評価の高い家具デザイナー。

岡田信一郎とは師弟関係で、信一郎の手がける建物の家具はほどんどこの梶田氏が手がけたそうです。



部屋ごとに違う雰囲気を家具が演出していて
インテリアって重要だなと思い知らされます。




血を吐く努力で「様式建築の名手」
と言われるまで上り詰めた設計者「岡田信一郎」

そして明治生命館に関わった豪華メンバー。

東京に人が集まり才能が集まり発展してきた
歴史の1つの到達点だからこそ
「昭和初期オフィスビルの最高峰」と
称されるのだろうと納得できます。

Information


美しい昭和のオフィスビル
観る価値しかありません!


参考書籍
ここだけは見ておきたい「東京の近代建築Ⅰ」小林一郎 著

ここまで読んでいただきありがとうございました😊
また次も読んでもらえると嬉しいです!
それでは〜

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