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私の感受性 〜 #ペアnote

ひらやまさんが #ペアnote って企画をやっていましたので
思いついたまま書いてみます。

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大学生の時、背の高い友人がいました。

長い背をぴったりと和室の壁にくっつけて
(私の大学時代の下宿はまだ和室でした)
畳に座り、足を「への字」に曲げて

彼は、いつも、本を読んでいました。

私が
「なに、読んでいるの?」
と尋ねると
彼は、ちょっと面倒そうに本に栞を挟んで
本を閉じて私に表紙を見せてくれました。

たぶん、トルストイかドストエフスキーだったと思います。
「へー、難しい本、読んでるんだ!」
彼は、無言で、栞の所に指をかけて、また本を開きました。

確か、夕方でした。
畳に、影が伸びていました。

私は夕陽のように彼を見ていました。
影にいる自分を感じました。

翌日、私は図書館に行き
『ロシア文学全集』の第一巻を借りてきました。

物語の最初のページから
上下二段のすごく細かい文字に
今どこ読んでるの?って感じだったし
それでもなんとか読み進めても
登場人物の名前に
「えっ?だれ? この人」
って思ってしまう。

三ページくらい読んで、すぐに
机の上に、パタンと本を投げました。
そうだ、置いたんじゃなかった
投げたんだった!

それから三十年くらい
私にはロシア文学は、実際のロシアの国くらいに
遠い存在でした。

その三十年の間に
本好きであった私が読んでいたのは
自己啓発の本でした。

思い出さないなあ〜。

読んでいた場所も、時刻も、季節だって……
思い出せないんだ!

あの大学時代の
夕陽に映える彼のように
私の人生の、一番充実した時代に
読んだ本を
いや、本を読んでいる自分を
思い出せないんだ!

本といえば
分厚い『ロシア文学全集』の
上下二段の細かい文字を思い出すんだ。

なぜだろう?

私の感性というしかない。

ビジネスに直結したことは
私には、思い出せないようになっているんだ。

私は、三十年後に、そう思い至って
怒涛のように、ドストエフスキーを読み始めた。

大きな波が寄せてくるような重厚さに
押しつぶされるようになっても

夕陽の彼も
同じように読んでいたんだ
と思うと、前に進める。

『罪と罰』のラスコーリニコフの
愛と悲しみが
めくるページから
ポタポタと落ちてくる感覚なんて

夕陽の彼がいなかったら
一生味わえなかったんだ。

私の感受性は
夕陽の中で本を読む
今ではもう影絵になってしまった
背の高い友人からもらったものだ。


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お読みいただきありがとうございました。
【 高齢者だからこそnoteをやってみる 】
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