第1回 短歌読書会――小島なお『乱反射』
序文
短歌読書会の最初に選んだ作品は小島なおさんの『乱反射』。
この作品を「やろう」とひなに持ちかけたのはコト。
コトがX(旧twitter)を徘徊していたところ、流れてきた本歌集の情報。
ストレートな口調とまっすぐな感受性に心惹かれ、難解でないところが短歌初心者の私たちにはぴったりなのではないかと思い、選書。
本歌集の読書会は、今回含め3回〜4回になる予定です。
それぞれ気になった歌とその理由を述べた後、その歌について感想を言い合い考察を深めていくという流れで読書会を行います。
コト選出
高校、夜、帰路。
◻︎選んだ理由
高校時代の帰路を思い出し、なぜか良いなと思ったから。
◻︎感想
なぜバス停やポスト、電柱を入れたのかを考えてみたが、見えている範囲のものを入れてみた感じがする。
素人の私は「ひびき合い」ではなく「通り過ぎ」を入れてしまう。
「痛い」は通常「否定的」イメージだが、この「否定的」を排除すると「尖ってる」、「冷たい」イメージが残る。
否定的メージを失った「痛い」によって、夜の澄み切った感じが現れる。
そして、冷たい風が物理的に頬を刺す感じや大気が澄んで星が綺麗な冬の空を想起させる。
よって、身体的感覚が「痛いくらいに」込められている。星がチカチカしているイメージが湧いた。
もしかするとイルミネーションも含んでいるのかもしれない。「駐輪場」(11p)・「自転車」(19p)が歌集内に登場することから自転車通学なことが分かる。
前半に納められている歌は高校時代のものだろう。
総合すると「夜、帰路につく自転車通学の女子高生」という絵が思い浮かぶ。
この歌は三句切れ。
※参照先:https://tanka-textbook.com/kugire/#iなぜ模範的な31音(5・7・5・7・7)なのだろうか。
音のテンポを崩したくなかったのはなぜなのだろうか。
単語は現代っぽい(バス停やポストで日常的なカタカナワードを使っている)ので、31音の型にはめた。
あるいは高校生だから、「学校」という型にはめられがちでそのまま短歌の型にもはまっているという説が考えられる。蛇足:夏の昼について
コトは夏の昼は「澄んでいて高い」としたが、ひなは「青が濃いから重厚感を感じる」と述べており、両者夏の空に全く違うイメージを抱いていた模様。
雲、夏の終わり、寂しさ。
◻︎選んだ理由
虚しい感じがする。
◻︎感想
英訳するとしたら……
1️⃣It is too lonely to feel summer by seeing clouds passing by forever and ever, ain’t it?
→アメリカ在住の英語母語話者かつ日本語学習者(ルーカスさん)に確認してもらったところ、こちらは文法が若干おかしいものの、意味は通じる直訳とのこと。
2️⃣Clouds are passing by forever and ever, and the end of summer makes us feel so lonely, isn’t it?
→こちらの方が自然な訳とのこと。この歌は、夏は雲の流れが速いという意味なのだろうか。
あるいはなんの予定もなく終わっていくことなのだろうか。「さみしすぎるね」の「ね」は投げかけなのだろうか。
「ただじっと待っているのは勿体ないよね」とアドバイス的に言っているのか。
あるいは「夏の終わりって虚しい。そう思わない?」とただ同意を求めているのか。ひな曰く、今年限りではなく、未来永劫の話かもしれない。
ただ、いつの夏の終わりもそうであるのか、その夏の終わりだけそう感じたのかはコトには分からない。なぜ他の季節ではなく、夏なのだろうか。
日照時間が長い(時間感覚が長いことが空虚な時間をより感じさせる)ため一日が長く感じられるから。夏の終わりは孤独な時間な気がするのはなぜか。
ひな曰く、秋から冬は終わりを体感することなく、気づけば変わっている。
冬の終わりは朝と夜が近いように感じる。
反対に、夏の終わりは自覚的でいられる。「夏はワクワクする、それだけ。寂しさを感じることはない」という人も中にはいる。
ワクワクしている人が多い分、夏が終わると寂しく感じる人が多そうとひな。夏が始まると同時に虚しさ/終わりを感じる。
夏の終わりに匂う秋の匂いで移り目を感じる。
母、空、登校……?
◻︎選んだ理由
ぱっと情景が浮かんだから。
◻︎感想
登校前に振り向くと娘である小島なおさんを窓から手を振りながら見送っていた母親がいたんだろうな、と。
あるいは反対に帰宅だったのかもしれないが。
いずれにせよ、この31音でしっかり・はっきり・くっきり情景を言い表すその才能に首を垂れた。
ひな選出
電車、ワニ、夢。
◻︎選んだ理由
ワニの意味が気になったから。
◻︎感想
ワニ:海外では神聖な存在
"ぐわんとすぎるとき"は"頭"にかかっているのだろうか。
夢の中にいるように感じる。"すぎるとき"は電車にかかっているのだろうか。
"ワニが口開く"を口に出してみたら、電車で居眠りする時は口を開けて上向くのを思い出した。
頭の中でということは、自分をワニと思ってるということだろう。
夢と現実が連動することがあるため、特急電車で大きな揺れがあった時に、パッと目覚めて自分が夢の中でワニになってたことに気づいた瞬間の出来事かもしれない。
犬、老人、シュール。
◻︎選んだ理由
ふふっとなったから。
◻︎感想
情景としてシュールな絵画。
素早く帰れないから立ち止まるしかなかったのだろうか。
余談
“I miss you”は「会いたい」ではなく、「寂しい」と解釈してほしい。
"I miss you"や << Tu me manque >>を「会いたい」と日本語で訳すのは意訳すぎる。
"miss"や<< manquer >>の意味は「欠けている」、「逃す」。
つまり、ピースの穴を埋めようとしたい気持ち。
よって、「会えなくて=あなたが欠けていて寂しい」は成り立つ。
が、「会いたい」はピースをさらに増やそうという気持ち。
よって、"miss"や<< manquer >>に「会いたい」を充てるのは焦点がズレる……というのがコトの持論。言語に関して(同音異義の他言語)
いろいろな言語を知っていると、その言語では普通の単語が別の言語では罵倒する言葉や汚い意味であることが多々ある。
例)フランス語 << pas beau >>(発音:パボ、意味:美しくない)
韓国語 "바보"(発音:パボ、意味:アホ・バカ)
普段、多言語環境で生きるコトにとって、言語は「いとをかし」である。
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