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誰も言わないトヨタと戦争と中国の深い関係(後編) 日中戦争時、上海と天津にあったトヨタの軍需自動車工場はどんなところだったのか。

(トヨタ自動車の創業は日中戦争の開始年、つまり盧溝橋事件の翌月1937年8月である。初の海外輸出はその前年の1936年7月、名古屋港から満州国に向けてGA型トラック4台だった。写真はトヨタ自動車75年史より)

さて最初にひとつ言っておきたいことがある。
こういう記事を書くと今の日本ではサヨクガーとかすぐ言われるのだが、あのね。
『軍需が日本の技術と産業を育てた~』という単純な事実は90年代まで別にアンタッチャブルでもなんでもなかった
保守系メディアにも普通に載っていた。当時だと企業の中にも実体験した人がまだまだいたし。
そもそも元トヨタの社長の豊田英二が『陸軍が満州は日産、それ以外はトヨタというようにテリトリーを決めていた』(1985年 決断 私の履歴書 日経新聞社)と普通に発言している。
トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎だって「自動車工業は、戦時体制下という特殊条件のもとで生まれ、自動車製造事業法をはじめ、国家の手厚い保護のもので発展してきたので、自由経済のなかでのきびしい競争という洗礼を受けていなかった……」(『トヨタ自動車30年史』豊田喜一郎手記)と語っている。

それに皆さんがこの記事をご覧のインターネットもアメリカの軍需産業の派生物。昔の中国で発明が多かったのは戦争ばかりしていたから。誤解をおそれず言えば、古今東西、戦争ほど技術を発展させるものはない。


メディアが過度な自己規制をするようになったのはバブル崩壊後です。
メディアは労働集約産業だから日本以外はそんなに給料がいいわけではない。しかし日本はバブルの時、待遇をめちゃくちゃ上げた。しかもヒット編集者に単発報奨ではなく”全員一緒に”上げた。当然ジワジワとその維持が難しくなる。かくて、

スポンサー企業様の悪口は少しでも言うな~。(俺の給料と退職金のために)。

記事は妙に整えられ横並びになった。まるで就職では”リクルートスーツ”を着るのが当たり前になったがごとく……。

私も面接も入社式も本当にこんな感じ(左)でした。企業側も女性はジャケット着てるかワンピースならOK。ジーンズで行くな程度。服で落ちた人の話は聞いたことがない。私より年上でSONYは金髪で受かったとか。


そして日本の優位性が落ちるにつれうるさいほど、日本の物づくりガー、技術ガーと言い出した。今は日本スゲーにシフトしたが飽きられてる。

単純に言うと、日本は明治維新の時、最初は官が産業をやった⇒元武士だから派手にコケた⇒民間にお願い&癒着した⇒政府は頼んだし保護した、民間は財閥になった⇒その間に戦争いくつも仕掛けた⇒今もその体制だけ続いている、です。

そしてトヨタの自動車事業開始も政府からの戦争によるプッシュの部分が非常に大きかった……(もちろんトヨタだけではない。当時の自動車メーカーは全部がそう)。

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