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トヨタ創始者豊田佐吉は上海の豪邸を買って8年駐在、自動車創業は日中戦争開始直後、誰も言わないトヨタと戦争と中国の深い関係(前編)

割引あり

(写真は上海のフランス租界にあった豊田佐吉邸。地下1階地上3階、庭はテニスコートが10面取れる豪邸だった。佐吉や家族は1,2階に住み幹部や居候が3階に住む。佐吉はここで中国の要人や日本の外交官、英米の実業家と頻繁に会合を行った。現在の淮海中路上海新村付近。写真は『トヨタ紡績のあゆみ』(発行:トヨタ紡績株式会社 2018年)より)。

どこの会社の話でしょう?

✔自動車製造は、戦争と国からの軍用の要請が大きなきっかけ。
✔社の自動車業の創業は日中戦争勃発(盧溝橋事件 1937年7月)直後の1937年8月。
✔戦争時は軍需会社法指定のバリバリ軍需会社。
✔初輸出は、満州向け(おそらく)日本陸軍用トラック。
✔戦前の中国で軍用自動車工場2つ、紡績工場3つ。一部は日本軍が常駐で守ったが、中国軍に燃やされたり爆破されたりまた労働争議で社員が殺されたり……。

はい、世界のトヨタ自動車の話である。

トヨタ創始者豊田佐吉は第一次世界大戦のさなかの1918年に1人で上海から武漢を視察。
そしてその翌年の、戦争が終わって3ヶ月の1919年2月半永住の覚悟で上海に渡った。当時の上海は日本企業の進出ラッシュで日本製品ボイコットも反日デモも盛んだった。
しかし周囲が全力で止めるのも聞かず、

「オレも上海にオレが発明した機械の紡績工場を建てるんや。現場にいかなあかんのや」

ご存知の通り、トヨタは最初は『豊田紡績』という紡績機械の会社だった。
「よそは中国でもうめっちゃ儲けとるがな! 」と佐吉が言ったとはきれい事オンパレードの社史には書いてなかったが、当時先に中国に進出していた日本の紡績業はどの社も莫大な利益を上げていた。巨大な工場を建てても1年で減価償却、稼働率100%以上で皆初年度から黒字で儲けは日本に送金していた。

そして中国の豊田紡績(豊田紡績厂)も工場開業初年度から見事に黒字、佐吉も上海で豪邸を購入……。

まるで中国バブルの頃に金の匂いを嗅ぎつけて、上海に大量にやってきた日本の中小企業の変なおっさんやんか。
あ、当時は佐吉もそうか。
でもイーロン・マスクもジャック・マーも、ベンチャーの創業者ってだいたいこういう変な人である。ちなみに佐吉は貧乏なのに発明に熱中しすぎて前の嫁さんに息子を置いて逃げられている。

……佐吉、ダメじゃん。育児休暇取った?


さてこの原稿は、あのトヨタも戦争と関係が深くてとわざわざ貶めるためのものではない。そんなことを言ったら今の日本の大手製造業は多くが戦争がきっかけでスタートしたり成長をしている。
そうではなくて今衰退している日本の製造業が「本当はどうやって発展してきたか」を知ることによって日本を知り、今後を考えるためのものである。

私の説は『日本の製造業は、いや日本そのものが企業、政府一体化し戦争と共に非常に特殊な形で伸びてきた。教育、行政等国全体のあらゆる仕組みがそれに合わせてセットされ、いまだに続いているのが一番の成長阻害要因』である。

戦前は明治から戦争ばかりして、ではなく戦争をしたから今の日本が存在したのである。過去、戦争のための工場国セッティングであった日本が衰退したのは世界に長らく大戦争がなかったからだが今戦争があってももう輸出では勝てない。

今も日本男はおしゃれなコーティングを取ればかなりが若くてもメンタリティが昔の日本兵だし、女はいつまでも銃後の守りの人扱いである。

だから組織はパワハラが多いし上官がアホでも楯突かないし男は軍隊の濃厚ホモ!つるみ世界に住んでいる。イジメの農村二等兵やコバンザメもうようよ。(ただし脱走兵は増加中)。軍刀が人事に変わったぐらいか。

論文 海を渡る『はだしのゲン』荘中孝之 より

そして現代の慰安所、風俗やキャバクラは国としてはなくせない……。歌舞伎町も警察と新宿都庁が保護してるでしょーが。人目を気にするのはいまだ戦時中だからである。軍隊は兵の自主性と思考力を奪うことで成り立つ。

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