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幸福感の一つは貢献感@ケニア🇰🇪-世界を旅するうどん屋-

どうも、世界を旅するうどん屋「谷村うどん」のジョンです。世界各国を出張スタイルで3年間、本格手打ち讃岐うどんを作り続けてきました世界20カ国(アジア、アフリカ、ヨーロッパ、中東、中米)で、5000人以上の方々が谷村うどんをススりました。

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東アフリカの大国・ケニアにやってきました。とは言っても主に首都ナイロビでですが、猛烈にうどん作りに励んでました。なぜかナイロビでは谷村うどんが大流行りしまして、まさかのほぼ毎日うどん作りの出張をするという激務状態でした笑これはうどん旅をし始めたオーストラリア・メルボルン以来かもしれません笑

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アフリカでうどんを食べてくれた方は、JICAとか国連とか大使館とか個人で現地でビジネスされてる方々等が殆どだったと思います。

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余談中の余談ですが、うどんパーティーまたはワークショップをして、最後には集合写真を撮るときには、指をお箸のようにして、これを「うどんポーズ」ということで写真撮ってるのですが。一番左の姉さん、指の向き反対になってまっせ・・・笑でもなんか可愛い。

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ナイロビの某カリスマシェフが働く有名レストランにてうどん作りの指導など・・・

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もちろんうどんを踏むのは初めて。それどころか食べ物を踏むのは初めてでしょう。その初体験の感情は写真の表情からうかがえます笑

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申し遅れましたが、彼が使っているのは麺切り機という、麺を切る機械です(そのまんまですんません笑)包丁を握って、上下に動かすと自動で横移動してくれるので、誰でも慣れれば割と簡単に均等幅で麺が切れます。

均等幅で麺が切れないと何が起こるかと言うと、茹で時間が変わります(太い麺は細い麺よりも茹で時間が必要)。そうなると、仮に10分間茹でたとしても、太い麺は固く、細い麺は柔らかく出来上がってしまい、食感に差がうまれてしまいます。

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アフリカと言えど、ナイロビには色々な国の人が住んでいるので、覚えているだけでもネパール、インド、シンガポール等のアジア、欧米、メキシコ、ブラジル、ニカラグア等の中南米諸国から来ている人など様々です。


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アフリカ最大規模のスラムと言われる、キベラスラムにやってきました。

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どこの街もそうと言えばそうですが、特にナイロビは明確に富裕層と貧困層が住むエリアは異なっています。住環境も全然違います。

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このような道や家などの整備が行き届いていないエリアもあれば

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高層ビルや欧米系列のホテルが立ち並ぶエリアもあります。

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個人的には、ケニアらしさが残るケニア人が多く住むエリアが好きです。

(当時の日記より)
幸福感の一つは貢献感

非常に書くのが難しいテーマである。(気を悪くしてしまう方がいたらすみません。)

先日、ケニアのナイロビにあるスラムに行ってきた。こういう場所に行くと毎回思うのだが、想像とは異なり、印象としては皆んな楽しそうに生活している。確かにスラムのどこかでは飢えに苦しんでいたり、生計を立てる大変さなどは勿論あるが、「大変さ」はどの水準で生活していても存在していると思う(種類は違うが)。

そんな中、様々な観点から(インフラ、衛生、教育、テクノロジー等)スラムの生活水準の向上を試みて活躍している素晴らしい支援者が沢山いる。彼らがやっていることは素晴らしいしリスペクトしているが、別の見方をすれば、スラムの改善を通じて貢献感を感じているのだと思う。その貢献感から、支援者はやりがいや生き甲斐を感じているわけだから、「貢献させて頂いている」わけである。

またまたドライな見方ではあるが、スラムに住む人たちはそのような支援者に感謝をする人もいれば、必要ないという見方をしている人もいると思う。誤解を恐れずに言えば、スラムの人たちは「助けられている」一方で、「助けさせてあげてる」し、支援者は「助けている」一方で、「助けさせてもらっている」のだと思う。

つまり、スラムの人と支援者に「貧富」の格差は存在するが、「関係性」に格差はなく、実はお互いに持ちつ持たれつの関係で成り立っているということである。

(下記へ続く)

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キベラスラムのマゴソスクールという、様々な事情から学校教育を受けることが困難な子供達が、無償で教育を受けられる場所です。教育は子供達の未来に選択肢を与え、次の世代へも好影響を及ぼし、社会全体に好循環を生み出すための起点となります。この学校で奮闘されている日本人の方との出会いや、このスラムツアーに参加している人の中には日本の中学生や高校生もおり、感激しました。


(続き)
そんな中一番大事な事は、「他者に貢献できているという実感が自分にあるか」ということだと思う。誤解を恐れずに言えば、実質的に他者に貢献できているのか、という結果はそこまで関係ないのだと思う。「幸福とは貢献する事」ではなく、「貢献感」とタイトルに書いたのは、つまり実質的な他者への影響より、自分の実感が大切だからである。わかりやすく書くと、「ありがとう」と人から言われることを目指すより、「いや〜、今日はやりきったぜ!」という自分の中での達成感(≈自己満足/貢献感)を目指す方が、自分の人生は豊かになるし、それは結果的に他者にも好影響を及ぼすのだと思う。

自分が満足するにはどうするのか?と言われれば、本気で取り組む事だと思う。手を抜いたら、満足感は逃げていく。私がうどんを作るケースで言えば、毎回本気でうどんを作ることが自分の達成感や満足感に繋がり、そしてそれは貢献感を感じさせ、結果的に他者からのありがとうを生んだりするのだと思う。

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めっちゃ可愛いっしょ。

世界を旅するうどん屋の3年間の旅をまとめた本を執筆中!執筆活動を支えてくださる神様のような方がいるようであれば、以下リンク(または下部にあるnoteの「サポートをする」ボタンで)にて支援金絶賛募集中です。コロナでうどんが作れない日々なのでとても助かります。ありがとうございます!



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