コラム「断捨離の向こう側」
このところの断捨離の実践。行う中で私が気がついたことがある
以前の住まいから引っ越して4年程度。靴に服、何度か自分なりに断捨離は行ってきた。だから、最近の断捨離をスタートする前は、もう片付いただろうと思ったけれど...、先週部屋を見渡したら、まだ気になる服が結構あった。
ひとりで考える。
「これ着ない」
「これは、、、うーん?もう似合わない」
好きなブランドだから取っておこうかなあと思った服、これはヴィンテージだから捨てたくないと思った服。
しかし横で見ていた娘に
「ダサい」
とはっきりバッサリ言われる。
そして考える。私がもしこの先老いて亡くなったら、片付ける人はすごく大変だろうなあ、そんな事が頭に浮かんだ。
結局、先週と同じ量の服を処分した。
帰宅してから、少しゆったりとしたハンガーラックを眺めたら見通しがいい。
「まだ片付けられるんじゃない?」
どうやら見通しが良くなったことで、必要のないものがもっと見えてきたようだ。
私の断捨離は「断捨離の向こう側」に足を踏み入れたようだ。
「もう何も捨てる物ないでしょ?」
を前提にしてスタートしたが、やはり思い切りは必要だったようだ。壁を越えてみたら、「断捨離の向こう側」にもっと不要な物を探したくなった。
洋服の数は恐らく300着くらいは処分したはずだ。数字にして分かる発見。
「300着必要なのか?」
おしゃれを楽しむはずが私の洋服がおしゃれしてない
昔、被服の授業で習った内容では、人間は身体を保温したり保護する為に布や毛皮を纏うようになったはずだ。それから洋服が見せるための文化に発展した、シャネルが職業婦人のスーツを仕立て、ドレスになって、とても素敵な文化だと思う。
ファッションショーも革新的なファッションも大好き。けれど、着なければ、コレクションとなってしまえば、日の目を見ることなくただの不用品だったとは、結構さみしい。
「おしゃれを楽しむはずが私の洋服がおしゃれしてない」
そして強く感じた。次に選ぶ服はすごく丁寧に選びたい。それから吟味して楽しく洋服を買いたい。
断捨離って、処分するだけではなく気がつく事が多い。恥ずかしいけど、私は今の生活になるまで物の大切さを感じる事はなかったように思う。
断捨離、すると見えてくる向こう側。
人間にとって大切なことや、暮らし方。捨てることで得られる感情や新たな発見が多い。
(MacBook)
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