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話を聴くのは体力がいる

傾聴を少しづつ学んでいくにつれて、「黙って聴き・うなずいたりあいづちをうったり・おうむ返しをしながら」「相手の主訴はなんだろう」「相手に自分ができることは何だろう」と思いながら話を聴き、「自分の動きや言葉、一挙手一投足に対して、相手がどのように感じるだろう」と想像しながら話を聴くようになっていきます。

日常の会話(コミュニケーション)と全く異質な思考、動き、五感を使って、まさに全身で聴くということを行っていきます。

これまでに意識したことのない感覚で、30分とか1時間とか話を聴いていると、話を聴き終わった時には、全身がぐったりと疲れているのがわかります。

訓練で行うのとは異なり、相談者さんを前にした実践は、まさに実戦と言えるような、非常に疲弊するものです。

このやり取りによっては、相談者さんは自死を選ぶかもしれない、そのような相手と、真剣に1人の人として向き合うわけですから、ぐったりと疲れてしまうのも当然と言えるかもしれません。

傾聴は(あるいは、カウンセリング的な聴き方は)非常に疲れるものです。神経も、肉体的にも。

だからこそ、私たちは、相手の話を真剣に聞くときには、事前の準備が大切になります。

睡眠はよく取れているか、体力的な不安はないか、夏バテしていないか、相談者さんの異変にすぐに気がつくことができるか、それだけ神経を張り詰めつつも、相手にそう悟られないくらい落ち着いているか、自然体であるか、自信の精神面に不安なところはないか、思わぬところで踏み込まれても誠実に答えることができる状態であるか。

仕事の成否は準備で決まる、という言葉がありますが、傾聴をするのに、傾聴をする前に行う、自身の身体的、心理的メンテナンスができているかどうか。それを客観的に評価できているかどうか。

傾聴が始まるときには、すでにそのセッションが有意義なものになるかどうか、決まっていると言ってもいいのかもしれません。

唐突ですが、毎日Noteを書くというのも、同じことが言えるのかもしれません。書こう、と、PCの前に座った時に、前回PCの前を離れてからの丸1日の、自分の生活が問われているのかもしれませんね。

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