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「すべて売り払いました」神から数多を奪われた就労移行支援のリアル(投げ銭・無料で読めます)
「10年前の脳腫瘍で、すべて売り払いました」
お世辞にも身だしなみがキレイとは言えない細身の中年男性は、内容とは正反対の穏やかさで支援員に片言で話していた。
彼はいつも突然、強い語気で発話する。
しかし、今は穏やかだ。
いつもの彼は訓練生というより日常生活のリハビリに近い風体とふらふらした動きである。そんな感じてはあるが、語気は強い。就労を目指すにはかなりの時間を要すのは明らだ。
「この手袋もバイクのです」
くたびれたライダー用グローブを指して見せた。
いつにも無い穏やかさである。
当時好きであったバイクメーカーや車メーカーを挙げては、知ってますか?!という問いに支援員は苦笑いしながら知らないと応えていた。もちろん、わたしも知らない。就職氷河期世代の精神障害者や福祉施設働く若い支援員に、バイクや車を弄ぶ経済力など無い。
そうだったんだ…。
わたしは合点がいった。
いつも片言しか発話しない細身の中年男性のこれまでの半生を垣間見た気がした。
発話しない、では無く、発話出来ない、のだ。
片言しか発話出来ない。
高次脳機能障害。
事故や病気で脳に後遺症が残るケースで、外見からは分かりにくい障害。麻痺などの身体的障害はほとんど無いが認知機能に著しい障害を抱えているのだ。かつての脳腫瘍が原因だろう。
だから片言しか話せない。
それも突然のタイミングで語気は強い。
意思の疎通が難しい。
わたしは想像するのを止めた。
彼は10年前の突然の病により、大好きなバイクや車を永遠に諦めるように医者に、いや、神に宣告されていたのだ。それだけでは無い。フツーの日常生活、フツーの就労、フツーの賃金。すべてを諦めるよう宣告されたに等しい。そして死ぬまでてんかんと付き合う。神はいつも残酷だ。わたしは残酷な神しか知らない。
これ以上、想像に耐えない。
彼はもう戦わないで欲しい。
もう十分過ぎるくらい病と戦った。
セーフティネットで守られて然るべき人だ。
そもそも、
高次脳機能障害を知っている健常者はいかほどいるのか。現役世代の高次脳機能障害の当事者と会話したことのある健常者はいかほどいるのか。愛は地球を救うチャリティー番組に紹介されたことはあるのか。少なくとも、わたしは、医療機関や福祉施設にお世話にならなければ知らなかった。
高次脳機能障害への無見識と無理解のために、いわゆる精神疾患・精神障害とは比べものにならないくらい、社会が受け入れる門戸は狭い。門戸は無い、と言いたいくらい狭い。
うつ病などの精神疾患・精神障害は、知識としては明らかに広がっている。症例への知識も、だ。しかし、発症させない環境、発症者を受け入れる環境は広がっているとは言い難い。事実、精神疾患者・精神障害者は増加の一途だ。いわんや、高次脳機能障害である。
それがわたし達の生きる現実世界だ。
健常者クラブと言ってもあながち間違っていない世界だ。
だから、もう、
高次脳機能障害の彼はもう戦わないで欲しい。病に打ち勝った。それだけで十分だ。セーフティネットで守られても神はもう何も言うまいし、これ以上、残酷な宣告はもう無いはずだ。
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