雑記|タダ歩ク
悲しい事や言葉に出来ない感情がある時、僕は歩く。
何駅分も歩くし、目的地も特別必要としない。
歩くこと自体が目的というか。
高校生の時、酷く悩んだ時に学校に行かなくなった。
今でいう適応障害とかなんだと思うけれど、体調不良だから、散歩していた。体調悪いのに?という疑問は当時からあった。
深夜、隣街の松屋に牛丼を食べに行く散歩。冬だっただろうか。理由は食券機があるから。なぜか当時10円玉や50円玉をやたらと持っていた事と店員さんに話し掛けなくて良いから松屋に片道40分ぐらいかけて歩いていった。まだ高校生の僕からすると、それだけでも価値があるワンシーンというか。悪さをしている気がしていた様に思う。いや、煙草とか酒じゃなくて牛丼なのかよと思うけれども。
お笑い芸人になりたいと既に思っていた僕からすると三年間の高校生活は監獄のように感じていた。なんとも有りがちなソレを抱えて、訳がわからないけれど地元から難波まで歩くことにした夏の日。それもやはり深夜にスタート。もどかしさを歩くことで解決解放したかった。
地元の駅から吹田、淀川、梅田と進み、御堂筋を南下して難波。baseよしもとの場所を確認して電車で帰るという奇行。深夜二時に家を出て朝八時に難波についた。グーグルマップもないから、何となくの方角で歩いて向かった。何故かウェンディーズで一番安いハンバーガーを食べた。テリヤキだったか。
大阪若手芸人時代は大国町付近にすんでいた。通天閣の近く。バイト先が難波のゲームセンター。普通に帰れば難波から15分なんだけれど、わざと遠回りして帰ったりも出来てとても心地よかった。難波や心斎橋、大阪の秋葉原的存在の日本橋は隣接しているから夜中の散歩も寂しくない。上本町とか堀江とかどちらかに逸れた道を歩くのも好きだった。時々、早朝に御堂筋をスケボーでツゥーッと駆け抜けて行く人を見ると今この瞬間しか出来ない空気が澄んでいて好きだった。
深夜の道頓堀のTSUTAYA、本屋をぐるりとまわり。ラブホ街を通り帰る。少し邪な空気を身体に入れて帰るとよく眠れた。
東京に来て、色んな街を歩くのが好きになった。東京の沿線によって雰囲気が違う感じ、世界観の違う様子はとても面白い。電車好きとかの感じはこういうことなのだろうか。
恵比寿で劇場運営をしていた時、よく三時間近く歩いて帰っていた。早く帰っても仕方ないからという訳のワカラナイ理由で歩いて帰る。
恵比寿から渋谷、原宿と進むと人がグラデーションのように変わっていく。原宿から代々木上原とか新宿に向かう時に少し森を通る感覚。新宿歌舞伎町には始まりと終わりが混在している。渋谷も歌舞伎町も誰に頼まれた訳でもないのに何時でも似た格好の違う人が地面に座り込んでいる。安い酒と安い格好で夢を大事に抱えてくるまっている。当たり前のように買い叩かれる時間。空を横目に通りすぎる。夜行バスで東京に通っていた僕が早朝に放り出された歌舞伎町で啜ったワカメ入れ放題の蕎麦屋はつぶれた。当たり前のようにゴジラがいる。あんなに驚いたゴジラに何も思わない。憧れたはずの街をキタネェなぁと思うぐらいにはなれてきた。
どんな靴でも履き続けると同じ位置に穴をあけてしまう。体重がソコに掛かりすぎてるのだろう。その靴に飽きる前に穴があく。
昔、ソフィーの世界だったかで、昔の哲学者は散歩しながら考え事をしたと読んだように思う。先輩芸人が歩きながらネタ練習をするんだと言っていたのにも憧れた。散歩をしていると呼吸ができる。何より家に帰る頃には何を悩んでいたか忘れていてちょうど良い。
難としては歩きながら書けないことか。メモしても何が何やらワカラナイ。
次に行くために歩く。歩きながら次に行く。
タダタダ歩ク。唯アルく。