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雑記|うまくいかないぐらいがうまく良く

もち麦ご飯にしてから少し体調が良い。

玄米は苦手だけれど、五穀米とか麦ご飯は好きだ。

アニメの脚本を書いて納品。少し以前より書くペースは上がってきた。
チャンネル自体の登録者がかなり増えてきたようで、年末年始にかけてアップペースも上がるのだろうか。月に書く本数も少しだけ増えてきた。

芸人の九月くんを呼び出して何かしらのコンテンツになる素材を撮ってきた。録ってきた…かもしれない。深い話が出来るようになっていくと思う。

キムチと納豆をクレジットカードで買った。昼ご飯が鯖の押し寿司とほうれん草の白和えだった。よっ!アラフォーしてんね!

なんだかんだ彼は私が終わってからも追われていた。色々な生活のアレコレが落ち着いて、気が休まる瞬間が増えた。ネタを書いたり小説を書いたりという自主性をやれる余白が少し出てきたということ。本も読まないと。本はインテリアじゃない。

スラムダンクの前評判と公開されてからのギャップにたじろぐ。スラムダンク世代だけれど一周しか読んでいないけれど、とりま観に行きたい。

コントをしたいし、久しぶりにフリップとかもしたい。コントにこだわらなくて良くなったんだと思う。軸はコントなんだけれど、ラジオドラマやアニメ脚本、彼は私のような舞台。ネットラジオやjockeyなど考えを話す場所ができた。一人コントというモノがどれだけ僕のアウトプットとか表現の根幹として15年近く支えてきてくれたのだろう。もっと広がっていいんじゃないかって気がしている。それが一人コントにも反ってくるだろうから。これはもしかしたら自信がついたということかもしれない。

長いモノをつくるためには短い言葉でパンチ力を上げる必要があると逆に思わされる場面が増えた。コンテンポラリーダンスか習字か俳句か川柳が必要ではないのか。

唐揚げ定食というより千切りキャベツを食べている。

挨拶やちょっとした一言のコミュニケーションを大事にしたい。それだけでその日の調子を合わせられる。

こうなりたいこうありたいを叫んでストーリーを提示する。夢を叶えるためには当然ながら夢を持つ必要があり、夢を持つためには夢を言語化してとりあえず叫び出さなくてはならない。在りもしないコトを叶えるためにアイコンとなるキャッチコピー的な、旗のような、言葉を創る。魅力的な嘘をついて行動して夢は向こうだと走りだしてけば、叶う叶わないは兎も角素敵にはみえるだろうし。そもそも夢なんて夢なんだから。叶う頃には別の夢みてるし。叶う頃にはあんまり価値はない。走り出すきっかけとなることこそが価値だなんて夢ないことは言いたくないけれど。

食べたい中華屋さんが閉まっていたから、別の中華屋さんに入った。やたらと麻婆豆腐も五目炒飯も美味しくて。後で調べたら街で一番の麻婆豆腐の店だった。うまくいかなったから食べられた旨い麻婆豆腐。そんなもんだよね。山椒と唐辛子が効いていた。

毎週土曜日の朝にラジオドラマが流れる(NACK5 じっとしてられない朝という番組内企画)んだけれど、自分の書いた短いお話を埼玉の早起きな皆様や、ドライバーさんが聴いているんだなぁとやっと実感し始める。ありがとうございます。そもそもラジオパーソナリティーの斉藤リョーツさんや北村夏未さんに演じて貰ってる作品が毎週毎週立ち上がってるのも改めて凄いこと。オンラインでの作業なのでコミュニケーションは台本や作品を通してだけなのに、番組スタッフさんや作家さんも含めて関わる皆で少しずつ呼吸が合い出してクオリティーもなんだか上がってきてるようで。貴重な体験です。

彼は私、ラジオドラマ、アニメ脚本は共通して『自分の言葉を誰かを通して伝えて貰う体験』なのです。その媒体や表現が何であれ、共通した感覚で仕事になってきている。仕事の仕方はそんなに変わらないと知れた。とても大きいです。それを自分の言葉を自分の身体を通して表現するという座標0.0の根幹に戻して行ければ更に先に行けるのではないかと感じています。

沢山の仲間が引退したり辞めたりすることが最近ありました。そういう時期はありますし、辞めたから悪くなるとかではない。新しい何かが始まるのだろうから。
そんな中まだ僕は創作にもがきますし、やりたいことややれることが見えてきているのは有り難いことですね。物語を創る…ということ。コントを創るということ…。この両輪が僕のバランスを創っている。それをもう暫くここで深掘ります。ここにきて僕は密やかにワクワクしているのです。