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弱者を救う、それはお金儲けと表裏一体~精神科訪問看護を例に~

1. 精神を患っている人の感覚はこんな感じをまずは知ってほしい

私たななこんぶ/発達障害ASDは、今年の3月下旬から5月中旬まで、
通っている精神科病院に、7度目の入院をしていた。
理由は、希死念慮の疑い、ASDに関する衝動性の活発化。

今回は保護室(厳重にカギをかけられた、自分からは出入りができない一人で過ごす病室)で過ごすこともなかったが、
閉鎖病棟入院、となると、患者が気にするのはたいてい3つ。

①給食は何だろう?
②運動不足だなあ、体重増えるなあ。
③スマホ、もっと快適に使いたい。(Wi-Fiないとか、バッテリーすぐ減るとか、自由に使わせてよ!※とか)

※「自由に使わせてよ!」の解説が要るね。
えーっと、精神保健福祉法の行動制限の一つとして、スマホの使用も制限を受ける。
スマホを持っていても、医師の許可なしには使えない。
使えたとしても、時間制限がある。
今回の病棟は09:00~21:00使用可。
まず、そんな感じ。

それから、カレンダーも日めくりもどこにもない。
かろうじてわかるのは、一斉入浴があるという理由で月・水・金だけ。
今日がいったい何日なのか、すぐには8割の人はわからないだろう。
(残りの2割は、時計で知る人(たななこんぶはこれ)、スマホに表示される日時で知る人)

もし日にちがわかったとしても「ふーん」で終わると思う。
なにしろ、ヒマで、時間感覚が世間一般の人々とは大きく違う。
どうやって例えたらいいかなあ?
東京駅で、ビジネスマンが、3分おきに走っている新幹線のぞみに間に合わせるために走って急いでいる。
対して、精神を患って療養している人は、地平線に夕日が沈むのをじーっと見つめている。
そんな感じ。

精神の病気でボーっとするのもあるのかもしれないけれど、
法律が決めた、政治家が決めた、医師の有識者で決まった、行動制限による環境のせいでボーっとしていることを忘れないでほしい。

2. この頃はやりの「訪問看護」を知ってほしい

次に、データから知ってほしいことがある。
データの元手は、政府統計の総合窓口(e-Stat)による、「訪問看護療養費実態調査」である。

まずは、「精神科に特化した訪問看護」の事業者数について。
2017年は2,569か所、2021年は4,915か所。
つまり、5年で約2倍の事業者数になっている。

ちなみに、「ノーマルの訪問看護」の事業者数は、
2017年は6,474か所、2021年は9,192か所。5年で約1.4倍増

そして、「精神科に特化した訪問看護」の利用者数について。
2017年は合計25,238人、2021年は合計51,341人。
つまり、利用者数も5年で約2倍になっている。

ちなみに、「ノーマルの訪問看護」の利用者数は、
2017年は合計50,955人、2021年は合計74,510人。約1.5倍増

かなり回りくどくなったが、訪問看護は、近年、人気がある。
「ノーマルの訪問看護」より「精神科に特化した訪問看護」の方が伸び率がすごい。

これは論文ではないので考察は控えるが、
言いたいのは、利用者が訪問看護を欲しがっているし、
言い返せば、訪問看護をビジネスチャンスと捉え、会社も利用者を欲しがっている、ともいえるところである。

3. 入院中、「嫌な予感の」報道を新聞で見つける

たななこんぶは入院中で世間のことをすっかり忘れていたが、
みんなで回し読みする新聞、その1面記事のタイトルにたまたま目がいった。
日にちは定かではないが、GWの外泊から戻ってきた頃だった。
折りたたまれた1面の記事に「訪問看護」「不正」の文字が書かれていた。

「会社も利用者を欲しがっている」

入院中の世界観にいたから、そこまで深く考えなかったけど、
退院して、私自身が訪問看護を利用再開になり、ふと思い出した。

改めて調べると、趣旨はこんな感じ↓↓
・精神科に特化した訪問看護の最大手の会社が不正していた
・お金を多く稼ぐため
・そのために必要のない訪問をしていた

めったに怒らないたななこんぶだけど、これには自然と腹が立った。

腹が立っているときのセリフをそのまま出すと、
「やっぱりおったか!」

いや、大学生の時に、ミシェル・フーコーをかじり、
神父や、教師、医師は、権力を行使して弱者を支配しようと思えばできる、
的な難しいことを、でも納得していたから感覚で身についているから、

「やっぱりおったか!」

になった。

4.  「対話重視」の精神科訪問看護師さんはどこが違うか考えてみた

私も「精神科に特化した訪問看護」を利用している。それも週2ペースだ。

「やっぱりおったか!」不安は、ないと言えばウソになる。

でも今のところ、ほぼない。
代表の、精神科認定看護師Sさんは、量より質を重視しているのが、利用者にも明白だ。

例えば。
・これ以上増えると訪問看護の質が落ちるのを防ぐために、新規利用者の受け入れをストップしたり。
・「傾聴と対話を重視しています」と口酸っぱく言い、実践していたり。

量より質、について「対話」の考え方から、もう少し掘り下げてみたい。
(「傾聴」は、もう既に世に出回っているのでいいだろう。)

精神科認定看護師Sさんは、「会話」ではなく「対話」を強く支持する。
「会話」は、気持ちに共感する/してもらう、ができて精一杯。
「対話」は、看護師側の見方としては、利用者がなんとなく思っている考えを言語化できるようにガイドし、
利用者側の見方としては、看護師と話す中で自分の気持ちが明確化して、どこかほっとしたり安心したりできる、といった感じ。

「対話」は、ガイドする/される、という構図にもなるが、ガイド=案内であって、答えは利用者自身で導き出す。
よって、「対話」は、完全な「する/される」の力関係にはならない。

これが、「質重視」につながっているのだと思う。
お金儲けには走っていない。
精神科認定看護師Sさんは、「対話することで患者さんに自信がつくメリットがあるから実践している」とも話していた。

「お金<患者」ファースト。
決定的な違いが「対話」によって現れる。

5. 弱者の救い方:社会に参加できるようにするか否か

難しい話、資本主義社会にいる限り、「搾取する/される」を完全に取っ払うことはできない。
そのような中、「弱い立場の人を救いたい」という気持ちになる場面も数多くある。
ここで書いてきた対象者の例が、精神疾患を持つ人。

もう一度、入院中の、スマホ使用制限を思い出してほしい。
「弱い立場の人を救いたい」、そのためにはまず静養が必要だから制限します、が入院中の本来の趣旨。
でも実際、だんだん世間のことを忘れてきてボーっとするしかないのも現実。

入院していない、社会により近づいた世界で「弱い立場の人を救いたい」人たちが、訪問看護の人、だと私は思っている。
精神的に病んでいるときは、ベストな判断をしにくい。
そこをサポートしてもらいたいのが、精神疾患を持つものとして思うところである。

なのに現実、「お金」が出てくると精神疾患者でない人も目がくらむときがある。

難しい。

精神科訪問看護に携わる方、じゃんじゃん稼げてウハウハする気持ちもわかるが、
原点に立ち戻ってほしい。
原点は、「社会に参加できるようにするお手伝い」、この一択だろう。

在宅医療なども普及し始めている現在、「精神科に特化した訪問看護」のみならず、「ノーマルの訪問看護」も需要がますます増える、と小耳にはさんだ。

だから、「訪問看護」に興味のある方、原点回帰を忘れず、事業継続なり事業設立なり、行ってほしい。
そして、「訪問看護」の利用を検討されている方、その会社が原点を忘れていないか、チェックするのを必ず行ってほしい。

「精神科訪問看護」利用者として、今後の業界、ひいては私たちの私生活、QOLまで影響を及ぼす話だと思ったので、奮い立たせて書いてみた。

社会への問題提起となることを願って終わりにしたいと思う。


#創作大賞2024 #エッセイ部門



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