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『介護と働く』 #08:人の幸せを喜ぶ力

介助講習のはじまり

父がリハビリ病棟に入院してから約5ヶ月。在宅介護の準備が本格的に始まった。

在宅介護のサポートをして下さるケアマネジャー、訪問看護師、介護用品のレンタル会社、担当医、などが着々と決まる中、やはりもっとも整備しなければならないのは、私たち自身の介護スキルの向上である。

そんなこんなで、1月の終わりごろから、リハビリ病棟にて、私たちの介助講習がはじまった。

そして、初めての介助講習の日、フェイスマスクや防護服で完全防備して父と対面した。父と5分以上同じ空間を過ごすのは、父が倒れた日以来。つまり半年ぶりだ。


もっと教わりたいと思うのはなぜだろう

介助講習は大きく2つのプログラムに分かれており、1つは看護師さんによる体調面の管理方法について、もう1つは理学療法士さんによるリハビリの方法についてである。

計5日間、それぞれ1〜2時間ずつ、日によって担当の方は変わるのだが、同じ内容でも人によってこんなにも教わりやすさは変わるものかと気付かされた。

もちろん、完全素人の私たちに対して、丁寧に優しく教えてくださるのはみなさん同じ。しかし、何人かの方はそれ以上に、「もっとこの人から教わりたい」と思ったのである。

そう思わされた人の共通点はなんだったのだろうか。

言葉遣いが丁寧でゆっくり喋る(包容力)とか、私たちの質問に優しくうなづきながら聞いてくれる(聞く力)とか、順序立てて話してくれる(論理的)とか、ちょっとしたことでも褒めてくれる(褒める力)とか、細かい要素はたくさんあるのだが、特に印象的だった2つの特徴をここでは記したい。

注意)私自身は特段教えるのが上手いわけではないと思うので、自分を棚に上げて筆を執ること、お許しください…教わった側から見えた世界です。

①心から仕事を楽しむ

まず1つめは、心から仕事を楽しんでいること。それを備える人から教わるときは、講習が楽しい時間になっていた。

この理由を個人的に考えてみた。

看護師や理学療法士から教わることは、その後私たちが自宅で父に行うことと同じである。なので、その作業を楽しくやっている人を見ると、未来の私たちもそういう風に過ごせるのではないか、と明るい気分になれるのだ。

つまり、その人の仕事を楽しむ姿に、自分たちが楽しく介護している未来を投影するのである。

一方で、仕事をテキパキこなし、「仕事だからきっちりやっている」感じは、このような人が父のケアをしてくれているのだという安心感は得られるのだが、私たちのモチベーションが上がるまでには至らない。(だから効率至上主義は個人的に嫌いだ)

普段の働くシーンでも、何か教わるとき(例えば入社して間もないときや部署を異動したときなど)、結構辛いけど仕事だから頑張ってるよ感を出されると、自分の将来もこうなるのかとどんよりしてしまう。やっぱり、その仕事を楽しんでのめり込んでいる人から教わると、スキルだけでなく気持ちも高められる。シンプルに、もっと話を聞きたくなる。

こういう雰囲気を醸しだすのは、その人の性格が明るいとか真面目とか、そういう問題ではないと思う。その活動が好きとか、真摯に向き合っているとか、誰かの役に立ってるとか、その仕事に従事することが腑に落ちているからなんだろうなと思う。

そういう人から滲み出る言葉や所作からはなんだかパステルなオーラが感じられ、朗らかさや余裕に包まれていて、その言動がスッと自分と一体化して尊い感覚を得られる。

仕事や活動を楽しむ力は、その人の傍で教えを乞いたくなる欲求を刺激するのではないだろうか。


②人の幸せを願い、人の不幸を悲しむ

もう1つの特徴は、人の幸せを願い、人の不幸を悲しめること。

介助講習中、私たちが父に喋りかけたとき、父が声(音?)を立てて笑ったことがあった。あまりに久しぶりに父の笑う姿を見て、私は涙が出るほど嬉しかった。

そんなシーンを横で見ていた理学療法士の方が言った言葉が忘れられない。

「わ!!今まで田中さんのこんな笑顔見られなかったです!やっぱりご家族と一緒だと嬉しいんですね!わぁぁ、他のメンバーにも見せてあげたい、呼んできていいですか?!」

ああ、この人は、父や私たち家族の幸せな瞬間を心の底から願ってくれていたんだな。としみじみ感じたのである。

ときに心がトゲトゲしていると、他人の幸せを妬んだり羨んだりして、心の底から喜べないなんて日もある。(それを感じた瞬間になんて人間なんだと落ち込むわけだが)

だからだろうか、「のび太の結婚前夜」に出てくるしずかちゃんのパパの言葉に涙してしまう。しずかちゃんが、のび太との結婚をやめるとパパに伝えに行ったときのワンシーンだ。(「STAND BY ME ドラえもん」でも登場するが、私は結婚前夜のほうが馴染みがある)

あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。
それが一番人間にとって大事なことなんだからね。


沁みる。

「教える」に限ったことではないが、やっぱり相手の幸せを願う心の持ち主から学ぶとき、この人についていきたいという信頼が生まれるのだろう。


愛するということ

ここで挙げた2つの特徴を掛け合わせると、それはつまり「愛」なのではないかと思う。

「愛するということ」という本では、愛は「信念の行為」とされ、自分を信じ、相手を信じて、自分の本質を相手にさらけ出しながら一体になる能動的な行為と書かれている。

自分の仕事や活動の可能性を信じ(①に近い)、相手の幸せを信じて(②に近い)、それを持って相手と向き合うことは、まさに愛ではないだろうか。


まだまだ未熟者の私にとって、「教える」について教えられた介助講習だった。


おわり

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