たなかまゆ

またの名をコントラリーパレードといいます。 作詞・作曲・歌・すこしピアノ。

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最近の記事

エベレーター has gone

4歳の息子と話している時、私が何か言ったのに対して息子が「ああ、あのエレベーターのとこのね」と返してきた。「そうそうそう」一旦こちらも相槌を打ったのだけど、はたと気づいた。 「息子ちゃん、今なんて言った?」 「?」 息子はよく分からない顔をして見ている。 「さっきなんて言ったっけ、もう一回言ってみて」 母の謎の勢いに押されつつ、これのことかな?という顔で息子が言う。 「…エレベーター」 そう、エレベーター。息子はさっき確かに「エレベーター」と言った。 でも、ついこの間までこの

    • 巨大建造物がこわい

      巨大建造物がこわい。 いつからか、なぜなのかわからないけど、巨大なものがこわくて見れない。ふいに目の前に現れると、反射的に目を背けてしまう。 たとえば、ダム。 ダムは私の中で最恐である。テレビに映るものすらまともに見れない。ダム好きな人多いけど、私は心の底からノーサンキュー。ダム見学にだけは生涯行きたくない。 でも一度だけダムを生で見てしまったことがある。 大学生の頃、友達と山の中の川に遊びに行くことになったのだけど、集合時間に遅れてしまいひとり車で向かったところ、道に迷

      • おふとんぎゅーってしたい

        3歳児のおしゃべりは大きく分けて「ちょっと何言ってるかわからない」「うそ…そんな可愛いことある?」の2種類である。 ちょっとざっくり分けすぎたか。 夫の友人宅に遊びに行って少し上のお兄ちゃんお姉ちゃんとたくさん遊んでもらい、疲れ果てて帰りの電車の中で寝てしまった息子。 ご飯も食べずお風呂も入らず17時すぎごろから寝てしまったので、どうなるかなーと思っていたところ、21時過ぎにお目覚め。 とりあえず喉が渇いていそうだったので飲み物をすすめると、ちゃっかりジュースを要求。アンパ

        • 伯母の記憶

          母の姉、つまり伯母から聞いた話だ。 私が幼稚園へ通っていた頃のこと。母が何らかの用事で私のお迎えに行けなくなってしまい、伯母に代わりを頼んだのだそうだ。 「まゆちゃんお母さんじゃなかったら嫌がるんちゃうやろか」と心配しながら行ったところ、お迎えに来た伯母を見つけた幼い私は「おばちゃーーーーーーーーーん!!!」と満面の笑みで駆け寄って来たそうで、伯母はそれがものすごく嬉しかったらしい。 この時のことを私はまったく覚えていないのだけど、確かに私は小さい頃から伯母のことが好きだ

        エベレーター has gone

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        • 雑記
          4本
        • 記憶の墓場、あるいは宝箱
          9本

        記事

          ほいくえん、いかない

          4月から新しい保育園に通い始めた息子が登園拒否をし始めたのは、慣らし期間が終わった翌週の水曜日のことだった。 「いきたくない」と言う息子の姿がかわいそうで見てられない感じだったので、これは無理に行かせない方がいいかもと思い、休ませることにした。 2歳児クラスまでだった前の保育園は認可外の小規模園で、1クラス8人に先生2人というかなり手厚いところだった。しかも息子は0歳から通っていたので、たぶんもう彼にとっては第2の家みたいな感じだったんだろうと思う。 それに対して新しい保育

          ほいくえん、いかない

          変!

          夫と遊んでいた3歳の息子が突然言った。 「おとうさん、へん!!!」 夫は子供と遊ぶのが大変上手で、公園で息子と遊んでいると高確率でよその子供が寄ってくる。 楽しそうだな〜一緒に遊びたいな〜という感じでそばをウロウロしつつ見ているだけのこともあれば、「ねえねえこれも見て!」などと声をかけられたり、普通に遊びに混ざってくることもある。 あの好感度が高すぎてもはや好感度でできてるみたいな大泉洋さんもそうらしい。夫、天パだし北国出身(青森)だしほぼ大泉洋と言っても過言ではないかもし

          「心の底の魂」

          20歳くらいのことだったと思う。 梅田のLOFTで買い物をしていると、突然声をかけられた。 黒っぽい服装の細身で背の高い男性だった。 「あの、変な人だと思わないで下さいね。」 今思うとこの一言、本当に変な人は意外と言わないかもしれない。その時はそこまでは考えなかったけど、ただ本当に変な感じがしなかったのでうなずいて話を聞いた。 「あの、あなたは、心の底の魂の、すごくきれいな人だなと思って、それだけ伝えたかったんです」 男性は言葉をひとつひとつ丁寧に、ゆっくりとそう言った。私は

          「心の底の魂」

          小学校があまり好きじゃなかった

          小学校5・6年生のとき担任だった川西先生(仮名)は、ちょっと変わった人というか、情熱のベクトルがあさっての方向に勢いよく向いている人だった。 今ではNGなこともあると思うけど、30年くらい前のことなので読み流してほしい。 今もこの文化があるのか知らないが、私たちが子どものころ終わりの会でよくあった「今日○○くんが××してきて嫌でした」という報告。これに対する○○くんの答えは「△△さんごめんなさいもうこれからしません」一択である。 しかし川西先生はその小学生の暗黙のルールを破

          小学校があまり好きじゃなかった

          がんばったね、えらかったよ

          息子が2歳の時の話だ。 3歳になった今でも写真を撮る時など「笑って〜」と言うとしてくれるクシャッとした笑顔がある。 ある日、いつものように保育園に迎えに行くと、息子が出てきて一瞬この”クシャッと笑顔”をしてくれたのだが、直後に顔は崩れ、ワーッと泣き出してしまった。 後ろから出てきた担任の先生が、「玄関で靴がうまく履けなくて、お友達が先に履いて出ちゃったので…」と。 確かに息子より少し先に、息子と仲良しの女の子が出てきていた。息子より4ヶ月ほどおねえさんの、いつも私にもニコニ

          がんばったね、えらかったよ

          感謝のハットトリック

          年末にいつも思い出す記憶がある。 子どもの頃は年末年始に家から車で15分くらいのところにある母方の祖母の家に親戚が集まるのが恒例で、名古屋に住んでいるいとこと会えるのはその時くらいだったので毎年楽しみにしていた。 いとこは姉弟、うちは兄妹。私は一番末っ子だ。よく4人でゲームをしては負けて泣いていた。 お正月が終わっていとこたちが帰る時もいつも泣いた。 ある年末、紅白歌合戦を見ていると堀内孝雄が出てきた。 それを見て誰かが言った。 「ベーヤンが最後に『サンキュー』『ありが

          感謝のハットトリック

          息子が1歳になった時に始めようと思ったけど今3歳。

          記憶の墓場、あるいは宝箱。 そんな場所にしようと、登録してからだいぶ経って急に思い立った。 ところが、久しぶりにログインするとすでに下書きがひとつある。 開いてみるとこんな内容だった。 ***** 2019年8月9日、男の子を出産した。 39歳にして初めての出産。 できる限り楽に生まれるように、妊娠中からヨガをやったり なんか安産のお茶と言われる飲み物を飲んだりしたわけだが、 それは一応やっていただけで、私には安産であろうという自信があった。 なんたって、昔から家族をはじ

          息子が1歳になった時に始めようと思ったけど今3歳。