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【第7話】 今夜、ご自愛させていただきます。

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口に入れたローストビーフは想像以上に柔らかく、思わず「うわ、美味しい」と声が出た。すぐ隣で明日香あすかが「私もとってこよう」と気合を入れている。赤ワインとのマリアージュを楽しみながら、目の前で盛り上がっている懐かしい顔ぶれを眺める。

今日は高校の同窓会だ。一流ホテルの大広間は活気に満ちている。スーツやドレスに身を包んだかつてのクラスメイトたちは華やかで、少し浮き足立っているように見えた。カジュアルな立食形式だけれど、一流ホテルなだけあって料理はどれも豪華だ。

「ねえねえ、あれ野球部の佐伯くんやない?」

無事にローストビーフを取ってこれた明日香がニヤリとしながら言った。会場の隅に置いてある椅子に、早々に腰掛けている私たちは、思い出話もそこそこに美味しいグルメを堪能している。

「良子が一瞬だけ好きだった」

「ちょっと、いつの話してるん!?」

思わず赤ワインを吹き出しそうになった。隣でからかうように笑う姿は高校の頃から何も変わっていない。2年ぶりに会った明日香とは陸上部で一緒だった。私が長距離走で、明日香が短距離走の選手。クラスが一緒になることはなかったけれど、不思議と気が合い、卒業してからもよく会う仲である。

同窓会の知らせが届いたとき、正直行くかどうかを迷った。京都から上京して早8年以上。その間、一度も同窓会へは参加していない。社会人になった今、かつての高校の同級生たちと会う機会はほとんどなく、唯一定期的に会っているのは明日香くらいだろうか。

8年もあれば、人生なんて大きく変わる。

「転職した」「住む場所が変わった」「付き合う人が変わった」「結婚した」「子どもが産まれた」「価値観が変わった」

あの頃とは違うからこそ、空白の期間を超えて、もう一度距離を縮めることが怖い。話は合うだろうか。気を遣わせてしまわないだろうか。なんなら、忘れられていないだろうか。時間が空くというのは、いつだって人を緊張させてしまう。

「良子、来てよかったやろ?」

明日香がにっこりと笑う。あれこれ考えてしまう私の背中をポンと押したのは、「気分転換に一緒に行こ?」と誘ってくれた明日香だった。彼女と一緒だと心強く、行ってみることにした。

会場に足を踏み入れた瞬間は緊張していたけれど、すぐに「久しぶり」「元気だった?」とあの頃のように盛り上がってホッとした。思いきって来てよかった。「ギャハハ」と声が上がったほうを見る。みんなが楽しそうに話している姿を見ていると、10代に戻ったような気分になった。


***


「そういえばさ、えっちゃん先生来れなかったんやね」

会も終盤に差し掛かってきた頃。私と明日香は他のグループと合流して思い出話に花を咲かせていた。

えっちゃん先生は、美術を担当していた向井先生のことだ。下の名前が「えつこ」だから「えっちゃん先生」。私たちが入学すると同時に赴任してきた教師である。向井先生は小柄でかなりの童顔。少女のような可憐さをまとっていた人だ。

当時24歳だった向井先生は、年齢が他の教師たちよりも私たちに近かったこともあり、生徒からかなり親しまれていた存在だった。気さくな雰囲気だけではなく、熱心な指導もあいまって心を開く生徒が続出。いつしかみんな「えっちゃん先生」と呼んでいたけれど、私はなんとなく「向井先生」と呼び続けていた。

「家の都合で来れないらしい。幹事が言ってた」

「前回の同窓会は来てくれてたのにね」

「今回も来てほしかったなあ」

「あ、そういえば、私学校卒業してからえっちゃん先生に手紙書いたことあるわ」

「私も!そういえば卒業するとき、先生と離れるのが寂しくて『手紙書いていいですか?』って聞いてたよな」

ぽんぽんと会話が飛び交う。私はデザートのチーズケーキを食べながら話を聞いていた。手紙の件は私も知っている。別れが惜しい女子生徒たちが「手紙を書きたい」と言ったのだ。先生は嬉しそうに「学校宛に送ってほしい」と答えていたっけ。

「先生に手紙……すっかり出さなくなったなあ」

「うん。いつのまに書かなくなったんやろう。てゆうか、まだ書いてる子おるんかな?」

みんなデザートを食べたり、お酒を飲んだりしながら、過去に思いを馳せているように見えた。思わず口を開こうとしたとき、誰かが「そういえば」と空気をきった。

「えっちゃん先生、結婚したらしいね」

「結婚」というワードにこれまでの空気が一気に変わったように思えた。お酒が入っているせいか、「同窓会」という場のせいか、みんな興味津々で「いつ」「誰?」と質問をし始める。

「5年前の同窓会のときは結婚してなかったのに」

「ここ2〜3年の話らしいよ」

学校のマドンナ的存在であった向井先生の相手がどんな人物なのか、想像が膨らんでいく。高校の近くに実家がある子の母親が、他の先生を介して聞いたそうだ。人づてなのでここで真実は分からない。話を聞きながらホットコーヒーを飲んでいると「良子はどうなん?」と白羽の矢が立ち、思わず咽せそうなった。

「え、私?」

私たちはいつから「彼氏は?」「彼女は?」が「旦那さんは?」「奥さんは?」に変わったんだろう。境界線なんてなかったはずなのに、気がついたら聞かれる対象が変わり始めている。この手の質問はいつだって慣れない。可もなく不可もない回答をしてやんわりと逃げた。

不意に結城さんの顔が浮かんでしまい、咄嗟に首を振る。以前一緒に出張に行った後、「良子ちゃんのことが好きだしな」と言われたけれど、あれから特に変わった様子はない。興奮した杏子ちゃんは「どういうことですか!?」と私に迫り、今となっては結城さんを随時チェックするまでになった。店舗に来る日を確認して、行動を観察している杏子ちゃんの姿を思い出して、思わず笑ってしまいそうになる。

さすがは関西の女性陣、と言わんばかりの会話の展開スピード。私がつまらない回答をしたためか、結婚話からあれよあれよと話題は変わり、今はQoo10で買えるおすすめコスメの話になっている。どうやってその話に辿りついたのか紐解きたいけれど、時間がかかりそうだ。

おかわりのドリンクを取りに行きながら向井先生のことを考える。「先生も大変だな」と思った。卒業して随分経つのに、先生はいつまでも私たちの先生で、今までも、これからも、きっと噂話の標的にされてしまうのだ。


***


渋谷駅の改札前は人で溢れている。分かりやすい場所にしようとハチ公前を集合場所にしてみたものの、かなりの人の量だ。キョロキョロと辺りを見渡しながら小柄な女性を探す。

「良子ちゃ〜ん!」

不意に私を呼ぶ声に一瞬体がビクッと震えた。声の方を向いてみると、大きく手を振った向井先生の姿を見つけた。

「向井先生!お久しぶりです」

「もう良子ちゃんの先生じゃないから、『えっちゃん』でいいって」

会うたびにそう言われるけれど、なかなか「えっちゃん」と呼べない。やはりどうしたって、先生は私にとっての先生なのである。

「元気だった?」

先生はニコニコしながら言い、すぐに「良子ちゃんの着てるブラウス可愛いね」と褒めてくれた。

小柄で童顔な先生は今でも大学生くらいに見える。トレードマークの黒髪ストレートは、絵画を熱弁していたあの頃のままである。

昔から絵を描くのが苦手な私は、美術の授業へのモチベーションがすこぶる低かった。しかし高校二年生のときに、向井先生が授業を受け持ってくれたことがきっかけで、美術への苦手意識が少しずつ変化していったのを覚えている。

「その色いいね」

「上手に描けてる」

初めて油絵で風景画を描いたときも、デッサンで自画像を描いたときも、先生はいつも褒めてくれた。コミュニケーションに嫌味がなく、アドバイスも上手い。誰に対しても平等に接してくれる姿勢も、気がつけば信頼する大きなきっかけへとなっていた。

「先生、手紙書いていいですか?」

卒業式を控えたある日。数人の女子生徒たちが先生を囲み「手紙を書きたい」と相談をしていた。先生は少し驚いた表情を見せた後「ありがとう。嬉しい」と喜んでいた。「学校宛に送ってほしい」という言葉に「大学生活のこと書くね」と生徒の輪は盛り上がる。私もなんとなくその場にいた。当時は書くつもりはなかったものの、大学一年生の冬が始まる頃に、ふと先生と話がしたくなったことを覚えている。筆をとり、シンプルな便箋に文字を綴った。

「結局、手紙をこまめに送ってくれたのは良子ちゃんだけやったよ」

「え、そうだったんですか」

目的地へ向かいながら、先日開催された同窓会の話をした。先生に会いたがっていることや手紙の話を伝えると、「え!嬉しい」「懐かしい」と喜んでくれた。私は今でも向井先生と文通をしている。

最初は一年に一通、年賀状代わりに先生に手紙を出した。便箋一枚で綴る私の近況報告と比べて、先生はいつも五枚くらい返事を書いてくれた。私の体調を気遣う言葉、大学生活はどんな感じか、今学校で教えている授業について、最近行った展覧会について。明るい雰囲気の先生とは違って、紙の上ではキリッとした真面目な文字が踊っているのが印象的だった。

私が社会人になり、先生が他校へ異動してからも文通は続いた。次第に一年に一通が二通になり、三通、四通になる。「良子さん」と呼ばれていたのが「良子ちゃん」になる。数ヶ月に一度ポストに届く先生の手紙はいつしか私の小さな心の支えになっていた。同僚や友達、家族とも違う不思議な存在。だけど、波長が合うのか心地よかった。

「良子ちゃんの手紙は、」

ちょうど先生が何かを言おうとしたとき、車が通って聞き取れなかった。

「ごめんなさい、私の手紙がなんですか?」

「……ううん。大したことないねん。さ、着いたよ!今日は、プラネタリウム会で〜す」

渋谷にあるプラネタリウムは前から来てみたかったので、思わず「やった」と声が出た。エレベーターを降りて、フロアの奥へ進むと入り口が見えてきた。プラネタリウムなんて小学生のときに、社会科見学で見た以来である。

一年に何度か、私は先生と会っている。3年前、たまたま先生が東京へ用事があったことをきっかけに会う間柄となった。結婚されたことも事前に聞いていた。

お互いの行きたい場所やお店に行って話をするだけなのに、私はこの時間をご自愛のように感じている。今回先生が「行きたいところがあるから付き合ってくれない?」と、連れて来てくれたのがプラネタリウムであった。

「私のおすすめの解説員さんは、この後17時からの回」

先生はプラネタリウムが好きで、よく一人で行くらしい。チケットを買って中へと入った。

会場は薄暗く、ほんのりと穏やかなBGMが流れている。自由席で好きな場所に座った。まるで映画館のような雰囲気だ。ちらりと後ろを見るとプラネタリウムに初めて来たらしいカップルが座っている。仲睦まじく楽しそうだ。

「先生は推しの解説員さんの、どこが好きなんですか?」

「え〜?星座の知識が豊富で、丁寧に解説してくれるのはもちろんなんやけど……しいて言うなら声かな」

「声ですか?」

「多分その解説員さんまだ若いと思うんやけど、低く落ち着いた柔らかな声っていうか、とにかく心地いいんよ。良子ちゃんも聞いたら分かるって」

「へえ、楽しみになってきたなあ」

二人でこそこそ話をしていると、上映が始まった。


「賑やかな夏と比べると、明るい星が少ない秋の夜空。日没が早くなり、肌寒さを感じる季節ではありますが、空気が澄んだ秋の夜空は星を楽しむには大変良い季節です」

すうっと、優しい声が会場に響く。冒頭の声を聞いただけで、先生が話していた「声の良さ」が分かったような気がした。滑舌が良く、耳が心地いい。低い音程も私は好きだった。

「さて、秋の星座を探すときのシンボルとなるのが『秋の大四辺形』です。これは背中に翼がある天馬・ペガススの胴体にあたり、『ペガススの大四辺形』とも呼ばれています」

天にきらりと光る四点を見つけた。あれが「秋の大四辺形」なのか。この四辺形の星を目印にすると、秋の星座が見つけやすいという。

星と星が繋がっていく。動物になったり、人になったり、ちょっぴり怖い怪物になったり。夜空にはこんなにも不思議で、ワクワクすることが秘められていたのか。空の様子がどんどん変わっていくのと同時に、私の星座への興味も増していく。

「おばけクジラの生贄にされたアンドロメダ姫。くじらが姫を飲み込もうとしたときに、救いに入ったのがペルセウス座のペルセウスでした」

ペルセウスが助けている姿を想像する。メドゥーサを倒した後、おばけクジラの生贄にされていたアンドロメダ姫を救う。男気ある勇敢な人物像が、思わず羨ましくなった。私もこのくらいの勇敢さを身につけられていたら、悩みも少なかったのかもしれない。

秋の星座は、古代エチオピア王家にまつわる星座神話に出てくる人や動物が大活躍するのだそう。星座神話を読んでからもう一度来ると、より深く学べそうだ。

「今夜の星めぐりはいかがでしたか?ギリシャ神話と照らし合わせながら、秋の夜空を楽しんでみてはいかがでしょうか。今夜も素敵な星空が眺められますように」

会場がゆっくりと明るくなっていく。あっというまの時間だったけれど、どこか遠い世界へ行ってきたような不思議な気持ちになった。


***


「あ〜秋の星座楽しかった!」

ビルを出た後、向井先生は少女のようにくるくると回った。先生と一緒にいると自分が高校生に戻ったような気分だ。解説員さんの声についてもキャッキャと盛り上がった。

「良子ちゃん、ありがとうね」という言葉に「こちらこそです」と返事をする。歩きながら先生は、ふと思いついたように声を出した。

「そうだ、良子ちゃんはペルセウスやね」

私がペルセウスとは一体どういうことだろう。彼のような勇敢さも男気も逞しさもない。

「私、全く逞しくないですよ……?」

そう言うと向井先生は「ふふふ」と笑った。

「良子ちゃんの手紙は、私の教師生活を救ってくれたものやから」

「え?」

先生は立ち止まり、私の目をまっすぐ見つめて言った。

「あなたの手紙のおかげで、私は『教師を続けよう』と思えることができたの。こんな私でも誰かの役に立てているんやと思えて、明日の糧になってたんよ」

日がだんだんと沈みかけている。今夜はどんな星が見えるのだろう。

「良子ちゃんありがとうね、手紙を送ってくれて」

あの頃と変わらない笑顔で先生は言った。その小柄な体にどんな苦悩を抱えていたのか。生徒からも人気があって、可愛くて、いつでも明るい先生が、私からの手紙を糧にしていたなんて。五枚の便箋が頭に浮かぶ。どんな思いで書いてくれていたのだろう。

想像したら先生の気持ちがほんの少しだけ分かった気がして、胸がキュッと小さくなった。

「……これからも送りますからね!?」

キュッとした気持ちをかき消すように言う。

「うんうん。楽しみにしてる」

「さ、ご飯食べに行こう」と無邪気にはしゃぐ先生の姿に、少しだけ涙が出そうになったのは、私も大人になったからだろうか。


***


駅で先生と別れた後、タイミングよくきた電車に乗った。カバンの中からチケットを取り出し、プラネタリウムの余韻にぼんやりと浸る。

誰もが誰かの救いになっているのかな。なっていたらいいな。

窓の外はもう真っ暗だ。電車を降りたら星が見えないか探してみようと思った。


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illustration by:キコ

(参考)
『やさしい天体かんさつ 秋の星座』藤井旭 著
『星空教室 秋の星座 秋に見える星や星座をやさしく解説』藤井旭 著
『これだけは知っておきたい(35) 星と星座の大常識』監修/藤井旭 文/安延尚文
『小学館の図鑑NEO 星と星座』渡部 潤一 著 出雲 晶子 著

<第8話はこちらから>


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