【第6話】 今夜、ご自愛させていただきます。
隣の席が結城さんだと分かった瞬間、「なんで?」と頭の中に疑問符が浮かんだ。座席を間違えたんだろうかと思い番号を確認するものの、正しい。ただでさえ緊張した日帰り出張だったのに、どうして帰りの新幹線の座席が結城さんの隣なんだろうか。
予め指定席を会社でまとめて購入して、配布された切符に従っている。社内の暗黙ルールで、上司・部下とも気を遣わないように席はバラバラに予約されることが多かった。行きは違っていたのに。なんでだろう。
「良子ちゃん、お腹すいてない?」
そんな私の気持ちも知らず、結城さんはニコニコと笑っている。
***
「結城さんと出張!?」
「杏子ちゃん、声が大きいよ」
閉店まであと10分。平日で客足は少ない店内だけれど、杏子ちゃんの声が思った以上に大きくて辺りをサッと見渡してしまった。よかった、お客様は近くにいない。
杏子ちゃんと2人きりのカウンター内で、来週金沢へ日帰り出張に行くことを話した。
「良子さんが出張って久しぶりですね。でも結城さんと一緒なのかあ」
杏子ちゃんは締め作業をしながらブツブツと呟いている。彼女が次に言わんとしていることはよく分かった。
営業部の結城さんを社内で知らない人はほとんどいない。明るくコミュニケーションが上手で、頭の回転も早い。取引先からも引っ張りだこな優秀なビジネスマンである。
ただ、かなりフラットな性格なのか、人との距離が近いタイプ。初めて挨拶をしたときなんて、数分後には「良子ちゃん」呼びになって驚いたっけ。
年齢は私より4つか5つほど上。すらりと背が高く、愛嬌のある整った容姿もあいまって女性社員からの人気も高い。部署は違えど仕事ができる上司だと認識している。
だけど、私は結城さんがほんの少しだけ苦手だった。
普段は本社で勤務していて、定期的に担当店舗へ顔を出しているそう。私がいるお店も結城さんの担当だ。
仕事はきっちりとこなしてくれる。ただ、迷いなく仕事を進めていくスマートさや、フットワークの軽さ、人との距離をあっというまに詰める天真爛漫さに、私のキャパが追いつかないことがたまにあった。杏子ちゃんは何度かやりとりをする私の姿を見て「良子さん、結城さんのことちょっと苦手じゃないですか?」とすぐに見破った。
「大丈夫だよ。結城さんの人柄にはもう慣れたから」
とは言ったものの、人柄には慣れたはずなのに一緒に出張へ行くとなると少しだけ緊張する。仕事は何年も一緒にしているし、仲が悪いわけでもない。ただ、私は結城さんという人物がいまいち掴めずにいたのだ。
「今度オープンする店舗のヘルプに行くだけだし。せっかく行くから他のお店の雰囲気も視察を兼ねて見てくるね」
私以外にも各フロアチーフが何人か応援に行くらしいから、きっとうまくやれるだろう。
「どうせならプチ旅行気分で、美味しいものでも食べてきてくださいね」
「ありがとう。そうだ!お土産買ってくるよ」
「やったあ。私、金箔のパックが欲しいです」
欲しいお土産を次から次へと提案している杏子ちゃんの声を聞いていると、あっというまに閉店のアナウンスが鳴り始めた。
***
「良子ちゃん、お腹すいてない?」
ニコニコと爽やかに笑う表情を見て、せっかく仕事が無事に終わったはずなのにまた緊張してしまった。なんで結城さんが隣の席なんだろう。
窓際の席に着いた後、ゴクンと生唾を飲み込んで笑顔で答えた。
「いえ、今は大丈夫です」
嘘だ。本当は空いている。トイレの行列に並んでいる間に、お弁当を買う時間がなくなってしまった。お昼ご飯を食べたけれど、やはり1日緊張しっぱなしだとすっかりお腹が減ってしまう。ワゴン販売で何か買おうかと思うものの、結城さんの前でガツガツ食べるのは気が引けてしまう。
「空いてるでしょ?はいこれ」
ビニール袋が差し出される。中を覗くとお弁当が入っていた。
「え」と顔を上げると、結城さんは「すみません」とワゴンを押しているスタッフに声をかけている。
「はい」
再度差し出されたのは缶ビールだった。結城さんのスピーディーさに、私はすでに置いていかれている。
「結構疲れたでしょ。駅構内のほうがお弁当の種類も多いし、おすすめがたくさんあるから、一緒に買っといた」
そんな……いいのだろうか。「ありがとうございます」とお礼を伝え、お金を渡さなきゃと慌ててカバンに手かけると、結城さんにたちまち「はい乾杯〜!」と制された。
着席してから乾杯までがとても早くて、完全に結城さんのペースである。「あ〜うめ〜」と隣で幸せそうな声が飛んでいる。
「いいのかな」と思いつつ、プルタブを開ける。プシュッと音が聞こえて思わず胸が高鳴った。結城さんが缶をカツンとぶつけてくる。「いただきます」と一口飲むと、仕事の開放感と新幹線で飲む背徳感があいまって、いつもより美味しく感じられた。思わず「うわ〜美味しい」と声が出る。
「出張に行った帰りはやっぱこれだよな」
結城さんは「いただきまーす」と小さく手を合わせてお弁当を食べ始めた。
再度お礼を伝え、私も手を合わせる。包みを開けると、ご飯の上にカニの身がのったお弁当だった。ホタテものっていて豪華なお弁当だ。
カニの身をそっとお箸でつかみ、口に入れる。しっとりとして柔らかく、ほろっと崩れながら旨味が広がっていく。ご飯は固すぎずちょうどいい炊き加減。カニの身と一緒に食べると、「人生いろいろあるけれど、まあ頑張るか」なんて思わせてしまうほどの回復力を感じた。
「とっても美味しいです」
「だろ〜?」
新幹線の中で食べるカニのお弁当とビール。仕事帰りなはずなのに不思議と旅行に来たかのような気分になった。
緊張していた気持ちが、ゆっくりとほぐれていく。
しばらくお弁当を食べていると、すぐ近くでスマホが鳴った。私かと思いきや結城さん側だった。結城さんはチラリと表示を見た後に、スマホの電源を落としてカバンの中に仕舞った。
「出なくていいんですか?」
「メールだったから大丈夫。急ぎのものは駅に向かう途中で返したし、営業部の上司には『今から新幹線』って連絡入れてるし。しばらくお暇させてもらうわ」
そう言って美味しそうにカニ弁当を食べている。
なんだか、意外だった。
「俺の顔に何かついてる?」視線を感じたのか、いぶかしげに聞かれてドキッとする。
「いえ……なんか意外だなと思って」
「意外?」
「結城さんはスマホの電源なんか落とさない人だと思っていたので」
「なんだよそれ」
そう言ってケラケラ笑う。結城さんはふと「そういえば、良子ちゃんって最近雰囲気変わったよな」と予想外のボールを投げてきて驚いた。
結城さんは恐ろしいことに、担当している店舗の従業員の名前や特徴を全員覚えているという。「雰囲気が変わった」と言われて、この人の仕事ができる理由が、なんとなく分かったような気がした。
「そう、ですかね」
「うん。前までは、仕事は順調そうなのに、なんかしんどそうだった」
「しんどそう」だと言われて、ご自愛をする前の自分を思い出す。あの頃の私は確かにずっとモヤモヤしていた。そんな姿が表にも出ていたことが今となっては恥ずかしい。
「だから雰囲気が変わって、何かあったのかなと思って」
「いやあ、特にないですよ」
ご自愛をどう説明しようか迷ってしまい、はぐらかすように返事をする。別の話題に変えようと、とっさに「今日の出張行けてよかったです」と声をかけてくれたお礼を伝えてみた。
「それなら良かった。部長に提案した甲斐があったな」
同じ衣料品売り場でも、地域が変わることで、ディスプレイも取り扱っている商品数もお店の雰囲気も違ってくる。参考になることが多く、お店に戻ったら杏子ちゃんにも報告しなきゃと気がはやった。
そういえば、私と同じ年くらいの女性スタッフの接客が印象的だった。ジャケットを買おうか迷っているお客様に対して、まるで専門店のような口調でヒアリングや説明をしていたのだ。ショッピングモールの婦人服売り場となると、そこまで細かく接客をしないケースも多い。お客様自身が自分で商品を選んで自分でレジへ持ってくる。常連客の薫さんのように「どう思うかしら?」と聞いてくる人の方が稀だ。だからこそ、意外だった。
あんな接客、私はしたことがない。親身になって提案はするけれど、本当にお客様の立場になって考えたことはあったのだろうか。私とあのスタッフとは一体何が違っていたのだろう。商品の説明ばかりで、私は薫さんのことをもっと深く知ろうとしていなかったのかもしれない。
「私も、もっと上手く提案できるようにならなきゃ……」
「ん?」
頭の中で思い浮かべていた言葉のはずが、うっかり口から溢れていた。
「ごめんなさい、独り言です!」慌てて謝罪する。何を言っているんだ私は。こんなところで弱音を吐くんじゃない。
「良子ちゃん、できてるじゃん」
「……いえ。できてないんです。以前常連のお客様から指摘されたことがあったんですけど、上部だけで対応しちゃって」
薫さんに言われた「良子さん、この商品本当に私に似合うと思った?」という言葉が蘇ってきて苦しくなった。自分が恥ずかしかった。
あれからご自愛をして自分を知ろうとしているし、接客もお客様の内面を意識をするようになった。薫さんは何度もお店へ来てくれるけれど、あのときのことは触れてこない。でも、本心はどうなんだろう。心の奥底がずっとスッキリしない。
ぽつりぽつりと私が話す言葉を、結城さんは「うんうん」と遮らずに聞いてくれ、少し考え込む素振りを見せた。面倒なことを言ってしまったかもしれない。第一、結城さんに話したところで意味はない。彼も返答に困るはずだ。何を話しているんだろう私は。
「あの、気にしないでください」
「今の良子ちゃんなら、ちゃんと提案ができるんじゃない?」
「え?」
「だって、今の良子ちゃんは当時の良子ちゃんじゃないでしょ。日報の内容も前向きになったし、お客様目線のアイデアも増えたよね。それに、雰囲気変わったし、イキイキしてるように見える。きっとあの頃よりも変わっているはず」
「……そうですかね」
「そうだよ。何か失敗したときって引きずるもんだけど、人はちゃんと変わっていくものだからさ。良子ちゃんだって何か行動したから、変わったんじゃない?」
停車駅に着き、ゾロゾロと人が入れ替わる。結城さんは少しだけ声を張った。
「良子ちゃんはちゃんと成長しているからさ。きっと今は薫さんに違った提案ができるよ」
出発のアナウンスが鳴る。ゆっくりとスピードが上がっていく。結城さんはお弁当とビールを片付けて「もう一本飲もうかな」とスタッフに声をかけている。「良子ちゃんももう一本飲む?」そう聞かれて首を横に振った。
「結城さん、楽しそうですね」
「そう?俺さ、出張帰りは絶対に駅弁と缶ビール買うんだよね。新幹線の中で仕事は絶対しない。この時間だけは自分へのご褒美の時間って感じなんだよなあ」
そう言って追加した缶ビールをプシュッと開ける。
「あ〜最高。まじおつかれ今日の俺たち」
結城さんはとても幸せそうだった。気がつかないうちにおつまみの袋も増えている。スマホは取り出さないままだ。
結城さんのようにコミュニケーションが上手で、自分のペースでどんどん進められる人は、誰かとのつながりを一時的に断つ必要なんてないと思っていた。
つながりを断たなくても、一人の時間を確保しなくても、迷わず自分らしく進んでいける。ご自愛をする前の私が、憧れていた姿だった。
私は嫉妬していたのだ。だから、結城さんが苦手だったのかもしれない。
「はあ〜うま」と言いながら、数種類のおつまみが入った袋を開けている。楽しそうな横顔を見ていると、私が紅茶を淹れてケーキを食べている時間と重なった。なんだ、結城さんも同じか。
美味しそうに飲んでいる姿に、私の喉がゴクリと鳴る。
今の私はあの頃よりも変われているのかな。
変化したかどうかなんて、自分でジャッジするのは難しい。本当は認めてあげたいのに、素直に認めてあげられない。それが癖づいて私をがんじがらめにする。とても厄介だ。「もう少し楽に生きなよ」と言いたくなってしまう。なんで私は自分に厳しくしすぎてしまうのだろう。
でも、結城さんや杏子ちゃんや弥生のように、私を見てくれている人たちが「変わったね」と言ってくれるのであれば、信じてみたかった。
「あの。私ももう一本飲んでいいですか?」
結城さんは不意をつかれたような顔をしたかと思うと、すぐにニヤリと笑った。手を挙げて、ワゴンを押しているスタッフを大きな声で呼び止める。
***
東京駅に到着後、それぞれの在来線へと分かれる際に「ご馳走様でした」と再度お礼を伝えた。
「こちらこそありがとう。良子ちゃんと話したかったから席変えてもらってよかったわー」
「え?」
「予約するとき、俺が事務の子に頼んで隣同士にしてもらった」
「なんで?」
思わずタメ口が飛び出してしまった。いやでも今はそんなことどうでもいい。なんで結城さんはわざわざ隣同士にしたのだろうか。
「えーだって、俺良子ちゃん担当店舗のチーフだし、普段は仕事の話ばっかりだったしさ。仲良くなりたかったんだよ。てゆうか俺良子ちゃんのこと好きだしな。じゃ、またお店で。お疲れ〜」
ヒラヒラと手を振って結城さんは行ってしまった。
残された私はスマホで杏子ちゃんとのLINEトーク画面を開く。爆速で「結城さん、危険」と打って送信した。
彼の無邪気さに圧倒されしばらく立ちすくんでいたが、ハッと我に返り、ゆっくりと歩き出した。
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illustration by:キコ
<第7話はこちらから>
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