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【第4話】 今夜、ご自愛させていただきます。

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行きつけの喫茶店のメニューに「クリームソーダ始めました」の文字が加わった。レトロな文体と水彩で描かれたクリームソーダの絵を見るたびに、夏の訪れを感じる。

注文した2つのグラスをマスターがテーブルの上に置く。透き通った緑色からシュワシュワとかすかな音が聞こえた。丸くくり抜かれたバニラアイスの上にはさくらんぼが乗っており、ドリンクの全体像をキュッと引き締めている。

「これこれ!毎年これを飲まないと夏が始まらないわ〜」

テーブル席の向かい側に座っている同級生の弥生は、ストローでキューっとクリームソーダを吸い込んでいる。この喫茶店ではなぜか王道のクリームソーダを夏にしか出さない。「季節限定のものがあったほうが楽しいですから」というマスターの遊び心が詰まっているせいだ。たしかにいつもメニューにないからこそ、毎年夏になるとクリームソーダに会えるのを待ち侘びている自分がいる。

弥生から「仕事復帰した!会って話したい」と連絡がきたのは木曜日のことだった。

しばらく会社を休んでいる弥生が心配で、定期的に連絡を取り合っていた私は、「復帰」という文字を見た瞬間、ホッとしたと同時に本当に大丈夫なのかと少しだけ不安になった。

早速約束を取り付けて土曜日の朝から会っているわけだけど、私の心配はすぐに吹き飛ばされた。

話を聞いてみると、担当業務の変更や、勤務時間の見直しがあったという。これまで弥生が悩んでいたことはかなり解消されたみたいだ。休んでいる間にどんなご自愛をしたのかも質問してみると、弥生流の過ごし方が破天荒すぎて聞きながら笑いっぱなしだった。

「元気そうで安心した。復帰おめでとう。でも無理しちゃダメだよ」

「わかってる。もう十分懲りたもん」

以前に会ったときよりも弥生の表情は柔らかくなっている。

「ねえ良子、また一緒にご自愛しに行こうよ」

「いいね。今度は何しようか」

バニラアイスをスプーンですくって口に運ぶ。メロンソーダと触れている部分が、時間の経過とともにシャリシャリした食感になって美味しい。午後からの仕事も頑張れそうだ。遠くのほうでセミの鳴き声が聞こえた。


***


「良子さ〜ん、来週一緒にご飯行きませんか?」

更衣室で一緒になった栗山さんが声をかけてきた。栗山さんとは定期的にご飯を食べに行く仲だ。シフトをサッと確認して大丈夫な曜日を伝える。すぐに日時が決まるかと思いきや、少し言い出しにくそうに口を開いた。

「あの、他のお店の子も……誘っていいですか?」

「もちろん」そう答えると顔色がパッと明るくなった。

「実は前に良子さんがご自愛してるって話を聞いて、その話を他のお店の子にもついしちゃったんです。そしたらみんなに『私も一緒にご自愛やりたい!』って言われちゃって……」

栗山さんが申し訳なさそうに話す。きっとこんなに広がる話ではないと思っていたのだろう。

「全然大丈夫ですよ。ご飯を食べたりお酒を飲んだりしながらのご自愛もいいですよね」

「ありがとうございます!じゃあお店の詳細が決まったら連絡しますね」

栗山さんが去っていった後、同じ遅番スタッフの杏子ちゃんが「え〜いいな〜私も行きたいです」と口を尖らせた。

「杏子ちゃんもおいでよ」

「え、いいんですか!やった!さっき良子さんが言ってた曜日、私バイト入ってないので行けます」

狭い更衣室だ。会話はほぼ全部聞こえてしまう。就活が始まって忙しそうな杏子ちゃん。もしかしたら少しストレスが溜まっているのかもしれない。「栗山さんに杏子ちゃんも行く旨、伝えておくね」そう言うととても喜んでいた。


***


栗山さんが予約してくれたのは、美味しいと評判の韓国料理のお店だった。飲み物が届いて乾杯した後に簡単な自己紹介が始まった。

私と栗山さんと杏子ちゃんの他に、3人の専門店街のスタッフが集まった。ブラウンの髪の毛をゆるく巻いている並木なみきさんと、黒のショートカットがよく似合う有平ありひらさん。丸めがねに淡色コーデが可愛い秋葉あきはさんだ。

3人ともオシャレで笑顔が輝いており、さすがはアパレルスタッフだと感じる。いつも制服を着用している私は若干肩身が狭い。チラリと横を見ると、杏子ちゃんはどのお店も覗いたことがあるようで「そこの洋服私も好きです!」と盛り上がっていた。

メインとなるサムギョプサルを店員さんがハサミでザクザクと切っていく。慣れた手つきで鉄板に並べていく様子を見ているだけで、韓国旅行気分を味わえる。出来上がったお肉をサンチュと一緒に巻いて食べると、肉汁がじゅわっと広がっていき、思わず「う〜ん」と幸せな声が出た。杏子ちゃんも「美味しい〜」と瞳を輝かせている。

「良子さんのご自愛、すごくいいなと思って」

お酒が進んだ頃、並木さんが口を開いた。

「栗山さんから良子さんの話を聞いて、私もご自愛をしたくなったんです。こうやってみんなでお酒を飲んで話すのもご自愛ですか?」

「はい。ご自愛のやり方に正解はないので、自分が心地いいと思うことをしてください」

「よかったあ。よし、じゃあ今日は飲んで話すぞ〜!」

お酒の力のおかげか、先ほどよりも声色が明るくなった並木さんは、マッコリを注文する。

「良子さんはいつもどんなふうにご自愛をしているんですか?」

有平さんの澄んだ瞳が私を見つめる。一見クールそうな有平さんがご自愛を求めているのが意外に思えた。

「えっと私は……」

いつも心がけている5つのご自愛ルールを伝える。休みの前日にやることが多くて、たいてい一人か少人数であること。自分を慰めたり励ましたりする時間であること。もちろん、ご自愛のやり方に正解なんてない。お酒を飲んで話すことが慰めや励ましになる人もいる。自分を大切にできているかを軸に、好きなことをしたらいいと話した。

家でケーキを食べたり、友達とドライブをしてアフタヌーンティーをしたり、ベランダで梅酒を飲んで空を見上げたり。これまで私がやってきたご自愛を話すと3人の感想が飛び交った。

「私、スマホの電源は落とせないかも〜」高く可愛い声で並木さんが笑っている。「良子さん一人で過ごすこと多いんですね」驚いたとばかりに有平さんが呟く。「自分を励ますって、なんかすごいですねえ」メガネの奥で秋葉さんの大きな瞳が開くのが分かった。

「あくまで私のご自愛のやり方はこんな感じだよ〜って話です。みなさんに合うやり方は他にあるので、好きなことをしてくださいね」

なんとなく、ちゃんと伝わっているのか不安になった。「私何しようかな」と楽しそうに笑う声が聞こえる。追加のマッコリがテーブルの上に置かれ、空いたグラスが下げられる。

「あ、そうそう。この間めちゃくちゃ面倒なお客さんが来て」

少し顔が赤くなった秋葉さんは、グラスをドンと置いて話し始めた。

「買ったニットがほつれてたってクレームが来たんです。『新品と交換してください』って。まあ交換したんですけど〜あれわざとじゃないかな」

「え〜それはないわ」

並木さんと有平さんの眉間にシワが寄る。興味津々だと言わんばかりにテーブルに身を乗り出している。

「ほんと面倒なクレーマーにはイライラする!」

「わかる〜」

「適度に発散しないとやってらんないよね」

並木さんの声が大きくなる。私も彼女たちが言いたいことはなんとなくは分かった。分かったけれど。

「良子さんも」

くるりとこちらを向いた秋葉さんは私の目を見つめて言った。

「良子さんも大変じゃないですか?前に他のスタッフから聞いたことありますよ。よく婦人服売り場に来るあの女性……高齢の……」

「薫さんですか?」

「そう、薫さん!あの人も面倒なお客さんなんですよね?いつも対応に苦労していませんか?」

並木さん、有平さん、秋葉さんが私を見つめている。テーブルの端にあるテールスープの湯気が徐々に弱まっていくのが見えた。あれ、なんで今私は薫さんのことを聞かれているんだろう。

「いや、別に薫さんは面倒じゃないですよ。よく買いに来てくれるお得意様ですよ」

グラスを傾ける。ビールはすっかりとぬるくなっている。

「あ、そうなんですね。そういえばさ〜」

秋葉さんは興味を失ったのか、コロリと話題を変えた。

もしかしたら、私のご自愛の説明がわかりにくかったのかもしれない。先ほど感じていた不安が確信に変わったような気がした。

「あ、みなさん、テールスープ!冷めちゃいますよ。それとビビンバもくるって!」

栗山さんの声が響く。テキパキとお皿に盛り付けて配っていく。「空いたグラス下げちゃうね〜」と言いながら私の顔を申し訳なさそうに見た。


***


「今日はありがとうございました」

お会計を済ませてお店を出ると21時前だった。「良子さんとご自愛できてよかったです」と並木さんはぺこりと頭を下げた。続けて有平さん、秋葉さんもお礼を言う。

「こちらこそ、ありがとうございました」

それぞれ路線が違っていたので、散り散りになる。明日も仕事だったため「まだ時間早いし、もう一軒行きませんか?」という誘いをやんわりと断った。栗山さんはそのまま3人と一緒に行ってしまった。早口に「後で連絡します」とだけ言った様子からすると、彼女も同じ気持ちだったのかもしれない。杏子ちゃんとは途中まで方向が一緒なので歩き始める。

「いや〜韓国料理美味しかったね。杏子ちゃんお腹いっぱいになった?」

「はい。めちゃくちゃ食べてやりました」

なんだか杏子ちゃんの様子がいつもよりトゲトゲしい。

「杏子ちゃん?」

「良子さん」

「うん?」

「さっきのあれ、ご自愛じゃないですよね」

ピタッと彼女の足が止まった。杏子ちゃんの言葉に全てを見透かされているような気がしてドキリとした。でもマスターが言っていたように、ご自愛の形に正解はないのだ。

「うーん。ご自愛に正解はないからさ。今日のはこれでいいんじゃないのかな」

歩き始める。もうすぐ駅に着く。

「良子さん、本当にそう思ってます?お店でお酒を飲む『ご自愛』も、本来はもっといい時間になるんじゃないですか」

「そうかもしれないよね。でも今日のは仕方がないよ。私ももっと上手く説明できたらよかったし。さ、行くよ〜」

「あの3人、『ご自愛』ってワードがエモいから興味を持っただけだと思いますよ。『チルい』が好きな女子大生と一緒!」

杏子ちゃんの声がどんどん大きくなる。20歳は超えているものの、お酒はほとんど飲んでいないはずだ。珍しくトゲトゲしている杏子ちゃんの言葉を心の中で復唱してみると、たしかに彼女の言う通りなのかもしれないなと思った。

「良子さん!」

立ち止まり振り返ると、そこにはいたずらっ子のように笑っている杏子ちゃんがいる。

「今から私と上書きしませんか?今日のご自愛」


***


コンビニで買ったアイスは、公園まで歩いてくる途中に少し溶けてしまった。ポタポタと地面に甘い蜜が垂れていく。でもそれも今日は全然気にならない。

夏の夜の公園はまばらに人がいる。暑さも和らいでいるので、ベンチに座って話している人も多かった。

ブランコに腰掛けて、キイキイと小さく揺らしながらジャイアントコーンをかじる。外で食べるのならカップアイスの方がいいかもしれないけれど、今日はガッツリとかぶりつきたい気分だった。

「この新発売のマンゴーアイス、めっちゃ美味しいです」

杏子ちゃんがアイスを私に見せる。マンゴーの果肉がごろっと入っていてジューシーなんだそう。夏にぴったりのアイスだ。今度買ってみようっと。

アイスを食べ終わった後、杏子ちゃんはブランコを漕いだ。「うわ、久しぶりだからなんか怖い」と笑う声は、すっかりといつも通りの杏子ちゃんだった。

「私、飲み会の帰り道、決まってどこかに寄りたくなるんです」

「うん」

「最寄駅のコンビニとか、マックとか。全然満足していないときはファミレスに行ったりもします」

杏子ちゃんはどんどん大きく漕いでいく。それに合わせて声も大きくなる。

「もともと飲み会が苦手だからだと思うんですけどね。まあ、楽しいときもあるけど……なんかいつも疲れちゃって。ご飯も食べた気がしないから、自分一人で二次会開いてます」

ご自愛を始める前の自分を思い出した。私も飲み会の後はよく一人で二次会を開いていたっけ。カフェでコーヒーや紅茶を飲んでいる30分が妙に心地よかった。

「もしかしたら私にとっての二次会は、ご自愛だったのかもしれません」

だんだんと揺れが小さくなっていく。パッとブランコから飛び降りた杏子ちゃんはにっこりと笑った。

「良子さんと夜に歩いて、コンビニ行って、公園でアイス食べて、ブランコ乗ったの、すごく楽しかったです」

ご自愛に正解はない。伝えるのも案外難しい。杏子ちゃんに負けないくらいブランコを大きく漕いで、パッと飛び降りた。

「私もだよ。ありがとね、杏子ちゃん」


***


帰宅すると栗山さんからLINEがきていた。

私や杏子ちゃんと同じような気持ちになったそうで、謝罪の言葉が書かれている。途中まで返事を打ったところで指が止まった。やっぱり電話にしよう。

少しのコール後、栗山さんが出た。後ろがザワザワとしている。もしかしてまだ外なのかもしれない。

「あ、まだ外でした!?」

「良子さんさっきはごめんなさい!」

「え?全然大丈夫ですよ」

私の気持ちを話すと、栗山さんは「よかったあ」と泣きそうな声になり、思わず笑った。

「並木さんたちは大丈夫ですかね?」

「あ、こっちは全ッ然気にしなくて大丈夫です!今気持ちよさそうに歌ってます」

ガヤガヤしていたのはカラオケだったのか。気持ちよさそうに歌っているのなら安心だ。良いことも悪いことも溜め込まずに、安心して吐き出せるのは素敵なことなのかもしれない。

栗山さんはちゃんとご自愛ができたのだろうか。もしかしてまだ今日はできていないんじゃないかな、と思った。

電話を切る間際、「無事に帰れました?」と聞かれたので、杏子ちゃんと公園でアイスを食べた話をした。栗山さんもちゃんとご自愛ができますように。

「私は明日の朝、ランニングでもしようかなあ」

明るい声が聞こえてきてホッとした。


電話を切ってベランダに出る。今日は月がよく見える日だった。まんまるな月を見ていたら、夏の日にしか姿を見せないクリームソーダのアイスを思い出した。


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illustration by:キコ

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